第19話 いにしえれしぴのーと②

「すみません。才雲さんにまで手伝ってもらっちゃって」

「いいんだよ、気にしないでおくれ。不思議なこともあるものだね。この神棚が、そこにいるワンちゃんの依り代だとは。ははっ、いやぁ、ここにいると愉快なことが多い」

「我はワンちゃんではない。九頭龍大神くずりゅうのおおかみであるぞ」

「これは失礼した、龍殿。つい可愛らしい見た目なものでな」

「ふふん」


 才雲さんに事のあらましを話すと、すんなりと受け入れてくれた。「妖怪がこの世にいるのだから、神や仏がいてもおかしくはない」という才雲らしい見解だった。


 ちょうど営業時間が終わったところで、神棚の掃除をするという話に興味を示した才雲さんは現在に至る。仏に仕える才雲さんに、神棚の掃除を手伝わせてしまうとは少々気が引けてしまうが……。そんなことはお構いなしに、才雲さんは陶器の神具を丁寧に水洗いしながら、近くでふんぞり返っている龍さんに話しかけた。


「ところで、龍殿。先ほどの妖祷草ようじゅそうの話だが、それを口にした人間は健康に害はないのかい? 依存性のあるものなら、麻薬と同じということだろうか?」

「一時的な依存性があるだけで、健康面では問題なかろう。それに、妖祷草は術を唱えなければ効力を発揮しない。麻薬とは似て非なるものなのだ」

「ほう。そのような薬草があるとはね。しかし、なんとも汚い手を使う妖怪もいるものだ。人間をなめているとしか思えない所業だね」

「ふむ。我なら一発でその店ごと消せるぞ」


「それはやめて」


 物騒な一言が聞こえたので思わず制した。恐らく主犯は妖怪だとして、働いている従業員もなんらかの術をかけらているのかもしれない。いくら人に害はないと言っても、商売人として卑怯な方法は見過ごせない。一番の理由として、このままお客が流れていってしまえば、うちの店の存続にも関わるのだから。


「こりゃ、ずいぶんと古い神棚だな」


 神棚を降ろして埃を払っていた虎之介は、扉を開けて中を掃除しようとすると、古びた冊子を見つける。


「なんだこれ。『三守屋料理録みかみやりょうりろく』と書いてあるぞ。……ん? 三守屋?」

「神棚の中になんでこんな物が……じいちゃんが隠してたのかな」


 パラパラと冊子をめくってみると、くずし字でびっしりと文字が書かれていたが、俺にはさっぱり解読できない。恐らくレシピノートのようなものだと思う。どこかに年号が書いていないものかと注意深く探してみると、冒頭のページにかろうじて読めた一文があった。


『天保元年 三守屋創業』


「天保元年って江戸時代ってこと?」

「恐らく1830年、今から190年以上も前だ。神棚にしまっておいたということは、ずいぶんと貴重なものなんだろうね」

「へえ。才雲さん、これ読めます?」

「いや、残念ながら私は読めないよ。鬼のキミなら読めるんじゃないか?」

「ああ、読めるっちゃ読める。どれ、貸してみな」


 冊子を手に取った虎之介は、適当に開いたページから文字を追う。


「……どじょう鍋にあんこう鍋、鴨鍋、豆腐鍋、鍋ばっかりだな。その横には材料と調味料の分量が書かれている」

「もしかして、俺の先祖が書いたものなんだろうか。代々メシ屋をやっているとは聞いていたけど、鍋を出す店をやっていたとは。しかも屋号が『三守屋』だなんて初耳だ」

「その三守屋なんだがな……覚えがあるんだ」

「え、どういうこと?」


 急に神妙な顔になった虎之介は、少し考え込んでから口を開いた。


「昔、蕎麦屋で働いてたって言っただろ? その店で『みかみそば』っていう十割蕎麦を出していたんだ。当時はかなり流行った店でな、毎日大忙しよ。そんな時、真向かいに団子屋が出来たんだ。見た目はただの団子なんだけどよ、なにが珍しいんだか客足が増えて蕎麦屋の客もみんなそっちに取られちまった。結局、経営が立ち行かなくなって、オレはお役目御免になったってわけだ。雇ってくれたおやっさんは申し訳なさそうにしてよ、あんたのせいじゃないってのに何度もオレに謝ってきたんだ。おやっさんには小さいせがれがいたんだが、アイツに会えなくなるのが寂しくてなぁ……。すまん、前置きが長くなってしまったが、要するにオレが世話になっていた蕎麦屋っていうのが『三守屋』だ」

「えっ……いや、それをスッと先に言え」

「悪かった」

「ってことはさ、虎之介がいた蕎麦屋って俺の先祖がやってたの? もしかして、俺たちって出会うべくして出会った運命共同体?」

「妙にぞわぞわする言い方だな」

「でもさ、鍋料理を出してた店なのに蕎麦屋っておかしくない? もしかして、昔過ぎて記憶違いとか」


「いや、記憶違いではなさそうだ」


 いつの間にか冊子を手に持っていた才雲さんは、とある一文に目を向けた。


「ページの終盤に『嘉永三年 三守屋蕎麦創業』とある。蕎麦という漢字が所々にあるから、恐らく蕎麦に関するレシピが乗っているのだろう。それに……ははっ。この落書きがなによりの証拠だ」


 笑いながら見せてくれたページには、子供の落書きと思わしき絵が描かれている。着物を着用し、髪をひとつに結った男の口元には牙が2本あり、その横には書き慣れていない字で『とらのすけ』と書かれていた。その反対には『こたろう』とあり、恐らく落書きをした張本人の署名なのだろう。


「ぷぷっ。その凶悪なツラはまさに虎だな。よく似ているぞ」

「あぁ、小太郎ってのはおやっさんの倅でな。アイツ、字を書けたのか。さすがにもうこの世にはいないだろうが、まさかここで再会できるとはな。大人になった小太郎にも会ってみたかった」

「最近涙腺が弱くなってきたんだから、しんみりさせないでくれ」


 小太郎くんも俺の先祖にあたる人だ。長生きの妖怪と人間では、生きる時間軸が異なる。改めて人間の一生というのは短いものだと実感した。


「虎之介と大史くんが特別な縁で繋がっていたなんて、なんとも面白い話だ。妖怪という存在がいてくれるからこそ、私たち人間は命の尊さを学ぶことが出来るのかもしれないね。時間は有限であるから、今この時を大事にしないと。それはそうと、先ほどの話で少し気になったのだが……。団子屋にお客を取られたって話だ。今、この店における状況と似ていると思わないか?」

「確かに。まさかその団子屋も妖祷草を使ってたりして」

「ふむ。あり得るな。同一人物だとするなら、味を占めて現代でも同じ手を使っているのやもしれん」

「なん、だと……! おやっさんの蕎麦屋を潰した野郎が、エセ蕎麦屋をやっているってことか……許せねぇ」

「いや、まだ確定じゃないけどね」


 怒りのスイッチが入ってしまった虎之介は、みるみる体が赤くなり、おでこからは2本の角が姿を現した。鋭い眼光は殺気を帯び、今まで見たことのない虎之介の姿にちびりそうになる。


「今からヤツをぶっ潰してくる」


 店を出ようとしたところで、龍さんと才雲さんはすかさず虎之介の前に立ちはだかった。


「行くのなら我を倒してから行け」

「私も同意だ。どうしても行くのなら私の屍を越えていきなさい」

「え……お、俺は横で見てます」


「ぐっ……そこを退け……!」

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