第18話 いにしえれしぴのーと①

 毎朝、きっちり身なりを整えて朝食を作る虎之介。

 あちこちに逆毛が立ち、とんでもない寝癖がついている龍さん。

 まだ寝ていたい俺。


 朝メシの時間には1人も欠けることなく食卓に揃う。


「いただきます」


 手を合わせて食べようとした時、短い手で器用に納豆をかき混ぜていた龍さんは、思い出したかのように呟いた。


「大史よ、ぬしは神棚の掃除をしていないだろう」

「あ……そういえば。店の再開でバタバタしていたせいか、すっかり忘れてたよ」

「まったく。どおりで埃っぽいと思ったぞ」

「ごめん。だから龍さんも薄汚れていたのか」

「そうだ! ぬしのせいなのだ!」


 ぷりぷりと怒るのも致し方あるまい。と言うのも、先日龍さんの体を洗ったばかり。本人は「金色こんじきの毛並み」と言っていたが、ペット用の石鹸で泡立てると、みるみる泡が茶色に濁っていった。どうやら龍さん本人は、埃で汚れているとは思ってもみなかったらしい。綺麗になった毛並みは神々しく金色に輝き、艶やかさを纏っていた。あの時は疑ってごめんよ。


「今日の営業が終わったら掃除をしよう」

「せいぜい励むがよい」

「龍、お前も手伝え。お前の住処だろう」

「我は祀られている神だぞ? なぜやらねばならぬのだ」

「ぐぬぬ……ああ言えばこう言う。ここで世話になっているのだから、神だろうと関係ねぇ。毎日なにもせずにぐうたらしやがって。少しは感謝の意を示したらどうだ? それに、最近のお前は食ってばかりで肥えすぎだ」

「ふん。肥えているほうが愛らしいのだ。虎よ、ぬしが我の分も働くがよい」

「命令するな。手伝え」

「イヤなのだ。ぬしこそ命令するな」

「……こンの犬野郎……!」

「まぁまぁ、落ち着け。俺1人でやるから大丈夫だ。ありがとな、虎之介」

「……」


 龍さんと虎之介は相変わらずの仲だ。喧嘩は毎日のことだが、時間が経てば何事もなかったかのように仲良くメシを食う。こんな言い争いは日常茶飯事なので、喧嘩が始まれば仲裁に入るのが俺の役目だ。龍さんは俺の言うことは素直に聞いてくれるのだが、虎之介の言葉にはなぜか反発する。まるで反抗期の子供のようだ。


 この日の昼営業は珍しく暇で、ぽつぽつと来客がある中、才雲さんが1人で訪れていた。今日はチンジャオロースと天津飯を注文し、出来立ての品をテーブルに並べると、箸を取りながらこんなことを言った。


「そういえば、斜め向かいに蕎麦屋が出来たんだね。ずいぶんとお洒落な店の佇まいで、行列が出来ていたよ。あ、いただきます」


 手を合わせた才雲さんは、チンジャオロースを口に運んだ。


「あぁ、そう言えば飲食店が出来るとは聞いてましたけど、まさか蕎麦屋だとは。だから今日はこんなに暇なのか」

「この辺じゃ、新しい飲食店は珍しいからね。まぁ、一時的なことだから、時間が経てばお客さんが戻ってくるよ」

「そうだといいんですが……」

「それなら、オレが敵情視察に行ってきてやろうか? どんな蕎麦を提供しているのか、偵察してくる」

「まぁ、俺が行くのはさすがに気が引けるからな。頼んだ」

「任せろ!」


 前掛けを取った虎之介は、意気揚々と店を出て行った。偵察と言いながら、ただ蕎麦を食べたいだけだと思うが。


「大史よ、まかないはまだか」

「あ、ちょっと龍さん、まだお客さんがいるから」

「……ん?」


 2階の住居から下りてきた龍さんは、お客がいないと思ったのか、俺に話しかけてきた。案の定、才雲さんは不思議な顔で龍さんを見つめ、張本人は「しまった」と思ったのか、その場で固まっている。

 いつも営業時間中は2階でおとなしくしているように言っているのだが、この日はまかないを用意するのをすっかり忘れていたので、痺れを切らして店に下りてきてしまったのだ。


「その犬、今喋ったような……?」

「えっと、気のせいじゃないでしょうか。この子はただの犬ですから。まったく、営業時間中はおとなしく待っていろって言ってるんですけどね、あはは」

「ふむ。妖怪ではなさそうだし……犬といえば犬か」

「そうですよ、ただの犬です。名前は龍っていうんですけど、最近飼い始めたんです。な、龍さん?」

「うむ。……間違えた。わんっ!」

「今『間違えた』って言わなかったかい?」

「い、言ってないです! 空耳では!? ほら、もう1回鳴いてごらん」

「わんっ! わんっ!」

「ほらね」

「……まぁ、そういうことにしておこう。どれ、こちらにおいで」


 優しく微笑んだ才雲さんは龍さんを招いて、膝の上に乗せた。おとなしく撫でられている龍さんは、まんざらでもない様子。妖怪が視える才雲さんにとって、龍さんの存在はきっと受け入れがたいものだろう。なんせ、犬の正体は神なのだから。


「珍しい毛並みの犬だね。それに、角らしきものも生えている」

「ええ、海外の犬種なんですよ」

「ほう。どんな犬種なんだい?」

「えーっと……ド、ドラゴ二アン……だったかな」

「ポメラニアンの仲間かな?」

「そうです、そうです! ポメラニアンの突然変異的なアレです」


 なんとか凌ぎ切った。

 しかし、才雲さんは勘が鋭い人なので、バレるのも時間の問題だ。早く龍さんを回収しなければ。冷や汗をかきながらタイミングを見図っていると、虎之介はゲッソリとした顔で店に戻ってきた。


「おかえり。なにがあったんだよ」

「うっぷ……あんなもん、蕎麦じゃねぇ……とんでもなく不味かった。しかし、客はみんな美味そうに食べていて、追加注文する人ばかりだ。どうなってんだ……」

「そりゃ好みの問題じゃないか?」


「……いや、違う」


 そう答えたのは虎之介ではなく、龍さんだった。


「ほら、やっぱりこの犬喋るじゃないか……!」

「いや、あの、これはですね! ちょっと、龍さん!」


 才雲さんの膝から下りた龍さんは、虎之介の側でクンクンと匂いを嗅ぎ始めた。


「この匂いは……妖祷草ようじゅそうだな」

「な、なにそれ」

「妖祷草は人間にだけ作用する薬草で、依存性のあるものだ。どんなに不味い食べ物でも、それを含んだ食品は美味に感じる。つまり、店で提供している蕎麦には意図的に妖祷草が使われているのだろう。虎が不味いと感じたのは好みの問題ではなく、単に不味いからだ。人間以外には効果のない薬草だからな。日頃から大史の作るメシを食べていれば、味覚に問題があるはずもない」

「え、怖っ」

「妖祷草は人間界で手に入る代物ではない。隠れ里や妖怪の住む世界にしか生息していないものだ」

「そういえば、店員の中に1人妖怪がいたな……」

「ふむ。ならばそいつの仕業だろう。ずる賢い方法で金稼ぎをするとはな」


「ほう。なんとも興味深い話だね。大史くん、その犬のことも含めて詳しく話を聞かせてくれないかね?」

「あ……はい」


 なにやら、とんでもないことが起こったぞ。

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