第17話 世話焼きの赤鬼

 人間界で生活し始めて早半年。


 オレにとって大史は命の恩人でもある。路上を彷徨っていた時、偶然にも下等妖怪に襲われそうになっているところを助けたが、数日間飲まず食わずだったオレはその時が限界だった。しかし、大史はそんなオレにメシを食べさせてくれて、その恩義には今でも感謝している。


 大史の作ったメシを食べると気力が増して力が漲り、あれはではない。他の妖怪も似たようなこと口にするが、その正体は未だに分かっていない。妖怪だけに作用するようだが、なんとも不思議な力だ。


 その証拠として、傷の治りが圧倒的に早くなった。人間と違って妖怪は自己治癒力が高く、深手を負っても1週間ちょっとで完治する。小さな傷だと2日ほどだ。先日転んだ時、顔の骨が折れてしまったようだが、翌日には元通りになった。折れた牙も再生した。毎日大史の作るメシを食べているオレは、不思議な力の恩恵を受けているということだ。


 この店で働くようになって、いろんな人間や妖怪と出会うようになり、毎日が楽しい。それだけじゃない。神にまで会えたのだ。その神とやらはオレたちと一緒に暮らすことになり、居間の座椅子でアイスを食べながらふんぞり返っている。


「おい、龍。それ大史のアイスだぞ。高いアイスだから食うなって言われてただろ」

「そんなもの、ぬしが食べたことにしておけばよい」

「なんでだよ。オレに罪をなすり付けるな。詫びに同じもの買って来いよ?」

「こんなに愛らしい姿の我に買い物をさせるのか? そもそも、動物1匹で店に入れるわけがないだろう。警察とやらに保護されて家に帰されるだけだぞ」

「ぐぬぬ……じゃあ、人間の姿になればいいだろ」

「我はこの姿にしかなれぬのだ。まぁ、なろうと思えばなれるが面倒なのでな。虎、ぬしがアイスを買って来い。大史の分と、ついでに我の分も」

「ぐっ……お前ってやつは……」


 わがまま放題の神の正体は九頭龍だ。龍といっても、見た目は犬そのもので耳の横に2本角が生えているだけの擬き生物。見た目は可愛いかもしれないが、なんせ態度がでかい。大史は「神様だから大目に見てやれ」と言うので、仕方なく従っている。


 しかし、アイスに対する執着心は凄まじいもで、龍は買い物から帰ってきた大史に案の定怒られていた。


「龍さんよ、これで何回目だ? アイスに名前まで書いておいたのに。ファミリーパックのアイスは食べていいけど、俺のは食べるなって言ったよな? あれ、この光景はデジャヴか? 前にもこんなことがあったような……」

「オ、オレはちゃんと詫びとして買ってきたじゃないか」

「そうだっけ? とにかく、龍さんは罰としてしばらくアイス禁止な」

「な、なんだと……我からアイスを奪うというのか……」

「うん、反省して」

「仕方あるまい。こうなったら奥の手だ」


 龍はその場で仰向けに寝転び、両手足を広げてまさかの言葉を言い放った。


「撫でてよし! ぬしにだけ特別だぞ」

「おいおい、そんなんで許してもらえると思ってるのか? なあ、大史」

「いいんですか?」

「馬鹿、惑わされるな! たかが腹を見せたくらいで……」

「はわ~、もふもふだぁ~」

「ふふん。どうだ? 許す気になったか?」

「許すよ~いくらでもアイスあげちゃう~」

「……」

 

 オレの言葉が届くことはなく、大史は龍の腹をわしゃわしゃと撫で回す。腑抜けた顔の大史と、まんざらでもない龍の顔を見ると無性に腹が立つが、ふとこんな考えが浮かんだ。


 時々、店の料理を味見という名のつまみ食いをしているオレは、その都度大史に怒られている。しかし、龍のように腹を見せれば許してくれるのではないか、と。我ながら名案だと思った。


 その日の夜営業。


 店に来ていたのは、いつものから揚げ好き妖怪。玲子と美影は大量のから揚げを注文するので、1、2個つまみ食いしてもバレることはない。万が一バレても、あの作戦を実行すればいい。


 ステンレスのバットには大量の揚げたてから揚げ。一瞬の隙を見て、1つ口に頬張った。サクサクの衣と溢れる肉汁、やはりから揚げは揚げたてが一番美味い。ひと時の幸せを噛み締めていると、ピリついた視線を感じた。


「……おい。お客さん用のから揚げ、食べたな?」

「すまん。つい美味そうだったもので」

「はぁ。せっかく今日のまかないでスペシャル丼を作ってやろうと思ったのに、おあずけだなぁ」

「す、すぺしゃる丼とはなんだ」

「チキン南蛮だよ。甘酢ソースに絡めたから揚げに、卵たっぷりのタルタルソースを乗せた料理なんだけど、それがご飯に合うんだよなぁ。虎之介はつまみ食いしたから、今日のまかないは白米だけだからな」

「そ、それだけは勘弁してくれ! ならば、オレも差し出そう……!」

「は?」


 この場で服を脱ぐのはさすがにマズいと思ったので、腰に手を当てながら腹筋と胸筋に力を入れてみせた。


「フンッ! お前にだけ特別だぞ? ほら、触れよ」

「……なに言ってんの?」

「詫びの気持ちだ。龍の腹を喜んで撫でていただろう? 男に触られる趣味はねぇが、仕方ない。オレの腹も撫でてよし!」

「おい、成人男性のバキバキな腹筋を触って喜ぶ男がいると思うか? うん?」

「なんだ、触らないのか?」

「……」


 呆れ顔の大史が大きく溜息をついたと同時に、カウンターのほうから「ピャアァァァ」という奇声が店内に響き渡る。声の主はあの妖怪たちだった。


「ちょ、ちょっとあんたたち! 触るだの触らないだの、厨房のすみっこでコソコソしてないで、そういうのは私たちが見えるところでやりなさいよ!」

「いや、美影さんなにを言って……」

「大ちゃんだけズルい! あたしだって虎ちゃんにお触りしたいー! オプションでいくら? 3万までなら出せる」

「うちそういう店じゃないんで!! はい、から揚げお待ちどうさま!!」


 鼻息荒く大史に迫る妖怪たちは、目の前にから揚げを出された途端におとなしくなる。大史はギロリとこちらを睨みながら、ズカズカと目の前に迫る。


「あとで覚えとけよぉ……」

「な、なんで怒ってるんだ」


 龍の時は喜んで腹を撫でていたくせに、大史のツボがよく分からん。


 結局、その夜のまかないでは、大史はオレの分のすぺしゃる丼もちゃんと用意してくれた。口ではああ言っていたが、大史はいつも優しい。先ほどの経緯を素直に話すと、大史は安堵の溜息を吐き、龍は大笑いした。


「ぷぷっ! 虎は阿呆だな! 我の愛らしい姿だから大史は腹を撫ででくれたのだ。お前のようなごつい人の姿では訳が違ってくる。なんかこう、変な誤解をされるぞ」

「むむっ……」

「そういうことだったのか。いきなり腹を撫でろって言うから、気が触れたのかと思ったぞ。俺は犬が好きっていうのもあるけど、龍さんは見た目が可愛いだろ? 甘やかしてしまっているのは自覚してるよ。それに、虎之介のつまみ食いはさておき、なんだかんだ真面目に働いてくれるし、俺は助かってる。だからお相子だ」

「そ、そうか」

「それにしても、このすぺしゃる丼というやつは美味いな! 酸味のあるタレと鶏肉がよく合う。卵のたるたるも甘くて好きだ!」

「龍、お前はもっと綺麗に食えないのか。まったく」


 口の周りを汚している龍がどうしても気になってしまい、いつもふきんで拭ってやっている。神だというのに子供のようで、なぜか世話を焼いてしまうのだ。


「あ、これ台ふきんだった」

「なんか言ったか?」

「いや、なんでもない」


「虎之介って龍さんのお父さんって感じだよな。なんか属性も似てるし」

「嬉しいような嬉しくないような」

「ふむ。虎が我の父か……いつも世話をしてくれるからな。悪い気はしない」


 こいつが大史の願いを叶えてくれる龍ならば、世話係はオレの役目なのだろう。オレを拾ってくれた恩義を返せるなら、出来ることはなんだってやる。


 この楽しい日常が続く限り、いつまでも。

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