第16話 九頭龍とラムチョップ
店に入り、カウンター席の椅子にちょこんと座った犬。いや、神様。
龍の神様で思い出したが、うちの神棚に祀っているお札は
お札に書かれている文字を目にした虎之介は、九つ頭のあるでっかい龍を想像したんだろう。しかし、目の前にいるのは……。
「な、なんだ! どうした、大史!」
「念願叶って龍のお出ましだよ。カウンターを見てみろ」
「龍? ……なんだ、この犬っころは。ちょっと薄汚いな」
「無礼者! これは薄汚いのではない。
「しゃ、喋った……」
本人は金色と言っているが、薄茶色のそれは汚れているとしか思えない。
風呂、入ってないのかな。
「おい、犬っころ。お前本当に龍なのか? 証拠は?」
「その呼び方をやめんか。証拠なら頭に角があるだろう。これこそ龍の証だ」
「角らしきものが確かにあるな……先端が2つに分かれているし、龍っぽくはある。しかしだな、オレは九つ頭のあるでっかい龍が現れると思ったんだ」
「ふん。この愛らしい容姿で、九つ頭があったら気持ち悪いだろう。本来の姿ではぬしらを驚かせると思ってな、愛らしい動物に化けたのだ」
「ふうん。まぁ、こいつが龍だというのなら信じるか」
信じるのか。素直だな、虎之介は。
そんな俺も、この摩訶不思議な生き物を目の前にして信じざるを得ない。
「そんなことより、我は腹が減っている! 肉が食べたいのだ!」
「肉かぁ。あいにく、今日は定休日でな……あ、そういえば」
昨日、肉屋の松さんから珍しい肉を買ったんだった。
『安く仕入れられたから大量に買ったんだけどさ、うちの客層じゃなかなか売れなくてね。大史くんのとこなら使い道ないかい?このラムチョップ』
近所の肉屋で、ラムチョップを扱っている店などほぼない。俺としては、牛肉よりも柔らかくてクセの少ないラム肉のほうが好きだ。どんなソースにも合うので、シンプルに焼くだけで肉の旨味が楽しめる。
「わかったよ。じゃあ、すぐ用意するから」
「早くするのだぞ!」
「はいはい」
「ところでよ、そのぶら下げてる巾着の中にはなにが入ってるんだ?」
「これは我の宝物だ。見たいか?」
厨房からなにげなく見ていると、龍さんは器用に前足を使ってポシェットの中身を出して見せた。いや、前足というのは失礼か。
「これは……オレがお供えした三種の神器セット! 神棚にあったはずだが……いつの間にかなくなっている!」
「ぬしが供えたのか? これには妖怪の霊力が込められているからな。我はこの力を利用して現世にやって来れたのだ。だから、これは我の宝物だ」
「おぉ。思いがけず役に立ったってわけか! それを宝物だなんて……ずいぶんと可愛げがあるんだな、お前は」
「ふん。当然だ。言われなくとも我は可愛いのだ。この中でもな、特にこの黒いやつが気に入っている」
「それは河童の装飾品だ。こうやって使うんだぞ」
虎之介は龍の頭にファサッと、それを乗せてあげた。
「おお! 頭が温かいぞ! これは防寒具なのか?」
「そうだ。河童御用達の防寒具だ。似合ってるじゃねぇか」
神様にイタズラをするんじゃないよ。
しかし、尻尾を左右に振っている様子を見るに、本人は嬉しそうだ。
そんな様子を眺めながら、ラム肉にオリーブオイルとにんにく、塩胡椒を擦り込んで下準備を済ませる。ローズマリーを添えてオーブンに入れ、あとは付け合わせとソースを準備するだけ。龍さんはどんな味が好みなのか分からないので、2種のソースを作ることにした。
香ばしく焼けた肉とにんにく香りが辺りに漂い、細かく弾ける油の音が完成の合図だ。
「お待たせ。龍さん、宝物はポシェットにしまいな」
「うむ!」
「おお、骨付きの肉! 大史、この赤いのはなんだ?」
「これはクランベリーソースだよ。赤ワインとクランベリー、隠し味にチョコを加えた甘酸っぱいソースだ。もうひとつは少し辛味のあるマスタードソース。好きなほうを付けながら食べてくれ。あ、そういえば龍さんは前足……いや、手を使って食べられるか?」
「問題ない。この通り!」
両手の肉球を俺に見せつけると、握っては開いてを繰り返す。
——— もきゅっもきゅっ
ただただ、可愛い。
本当に九頭龍なのかと疑うほど、その仕草は愛くるしい以外の何ものでもない。
「んんっ……そ、それなら大丈夫か。虎之介はどうする? 歯が欠けてちゃ、肉なんて食えないだろ?」
「なんの問題もない! 食う!!」
「そう言うと思った」
1人と1匹は、骨付きのラム肉にガブリと噛みついた。その柔らかさに感動したのか、口をもごもごさせながら言葉にならない感想を言い合っていた。
「まふもはわはまはいま!」
「むむ! ほむまほむほのむまい!」
これで意思疎通ができているのだから、人外生物恐るべし。
「初めて食べる肉の味だっ! 赤い汁も黄色のつぶつぶも、どちらも美味いぞ!」
「オレも初めて食べる! 肉が柔らかくて、脂っこくない。これなら100本は余裕で食えるぞ。オレは黄色のつぶつぶのほうが好きだ!」
「そりゃよかった。ゆっくり食べな」
とは言ってみたものの、食べる勢いが止まることはない。1人と1匹は、あっという間に平らげてしまう。龍さんの口の周りはソースで真っ赤になり、それに気づいた虎之介はふきんで拭ってあげていた。
「どんな食い方をしたらそんな顔になるんだ。まったく」
「むぐぐ……」
優しいな、虎之介は。それ、台ふきんだけどな。
「人間よ、美味かったぞ!」
「お褒めいただきありがとな。俺の名前は大史、こっちは虎之介だ」
「人間と妖怪でメシ屋をやっているとは。奇妙なこともあるものだ。なら、我もここに住まわせろ! ぬしのメシが毎日食べたい!」
「す、住むの? まぁ、今更1匹増えたところでなにも変わらないしな。いいぞ」
「そうか! よろしく頼むぞ!」
「ところで、ここにやってきたってことは、オレたちの願いを聞きに来てくれたんだろ? どんな願いでもいいのか?」
「うむ、いいぞ」
「ほれ、大史。言ってみろ」
「そうだなぁ。じゃあ、 ———」
これからまた、賑やかな日常が始まりそうだ。
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