第15話 出でよ、でっかい龍!
先日の美影さんによる恋愛相談のおかげか、ヤマさんは無事立ち直ったらしい。てっちゃんのことを諦めきれたのか定かではないが、寺では以前よりも精力的におつとめに励んでいるようだ。
修業僧であるヤマさんの飲酒について、才雲さんは咎めもしなかった。
「うちはそういうの気にしないよ。酒が飲みたければ好きに飲めばいい。まぁ、私も酒好きだから、人のことなんて言えるはずがないんだけどね」
笑いながら答えた才雲さんは、心が広いというか適当というか。そうでなければ、得体の知れない妖怪を受け入れるはずがない。
かくいう俺も、住所不定無職だった妖怪と一緒に働いている。
「おい、大史。使用済みの油はここに入れとけばいいんだよな?」
「うん。そこの一斗缶に入れてくれ。今日は業者が引き取りに来る日だからさ」
大妖怪の酒呑童子だというのに、仕事は真面目で意外にもマメである。
この日は定休日で店の掃除をしていた。俺1人でも十分なのだが、暇を持て余した虎之介は率先して手伝ってくれることになった。使用済み油の処理や冷蔵庫の掃除、食材の整理など、やることが多いので俺としては大助かりだ。
「その油、こぼすなよ? 絶対にこぼすなよ? 掃除が大変になる」
「大史、それはもしかして『フリ』ってやつか? この前テレビで観たぞ。絶対にやるなよって言いながら、やらなきゃいけないオチだろ」
「あのな、後で大変な思いするのは自分達なんだから、ワザと油をこぼす馬鹿がどこにいるんだよ」
「冗談だ。言ってみただけ……あっ!」
——— バシャッ
手が滑った虎之介は盛大に油を床にぶちまけてしまった。
言った側から行動に移すとは……。
「虎之介、ワザだろ」
「ち、違う! 断じて違う! 新聞紙を持ってくるからそれで吸収すれば……!」
「ま、待て! 油の上は歩かないほうが」
「おわっ……!」
慌てた虎之介は油の上で足を滑らせ、受け身も取れぬまま顔面から倒れていく。
一瞬の間、それはスローモーションのようだった。
——— ゴンッ
「だ、大丈夫か!? やべぇ音したけど」
「ぐっ……いてぇ……」
膝を立てながらゆっくり立ち上がった虎之介の顔を見ると、左半分が赤くなり口元から出血していた。ぎょっとしていると、何かが足りないことに気付く。
「あれ? 虎之介、お前……チャームポイントの牙はどうした」
八重歯の辺りに位置する片方の牙が無くなっていて、辺りを見渡すと床に白いそれが転がっていた。
「あ、折れちまったのか」
「ど、ど、どうすんだよ……お前のアイデンティティーが」
「別にどうってことない。顔の骨も折れてるだろうが、明日になれば治る」
「えぇ……マジで言ってんの? もしかして、治癒魔法で治そうとしてる? 最近、異世界アニメにハマってるもんな。でもいくら虎之介でも魔法ってのは」
「魔法じゃねぇよ。生命力だ」
「おぉ……」
その言葉が妙にグッときた。
“俺の生命力を見くびるんじゃねぇ。魔法なんざ弱いヤツが使うもんだ”
そんなことは言ってないけど、言っているような気がした。
「他の妖怪はどうか知らねぇが、オレの場合は負傷しても翌日には元通りになっている。だから、心臓を狙われない限り死ぬことはない」
「へえ、さすが鬼。生命力の強さから違うんだな。でもさ、とりあえず手当てだけでもしておこう。ばい菌が入ったら危ないから」
「うむ、すまん」
顔面の傷に消毒を施し、部屋で休むように伝える。
すると、虎之介は去り際、神棚になにかを置いていた。
「ちょ、おい、虎之介。それってまさか」
「オレの牙だが」
「馬鹿ッ! っていうか、この前あのゴミを撤去したのに元に戻したな!?」
「だからゴミじゃないって言ってるだろ。お供え物だ。安心しろ、牙はちゃんと綺麗に洗った」
「そういう問題じゃない」
「河童の
満足気な虎之介は神棚に手を合わせてから、2つ拍を打つ。店内に乾いた音が響き渡ると、祈るように再び手を合わせた。
「えー、どんな神か存じ上げないが、三種の神器とやらを揃えた。我々の願いを聞き届けたまえ。出でよ、でっかい龍!」
……
……
静寂に包まれる店内。
「もしかして」と思った俺も1分ほど様子を見守っていたが、当然なにも起こるはずがない。大の大人が2人、でっかい龍が出てくるのを待っているなんて、なんとも滑稽である。
「……おかしいな。なにも反応がない。寝ているのか?」
「そうだな、お昼寝中なんだよ。虎之介も部屋に戻ってお昼寝しな」
「もし龍がやってきたら起こしに来いよ?」
「はいはい。きっとお前の夢に出てくるだろうよ」
時間の無駄だった。
再び掃除に戻ろうとした時、店の戸が開いていることに気付く。鍵は閉めていたはずだが、虎之介が開けたのだろうか。
ふと視線を下に向けると、入り口には薄汚れた犬がお座りをしながらこちらを見つめていた。頭には耳と小さな角らしきものが2本あり、首からは小さなポシェットを下げている。見たこともない犬種に思わず凝視していると……。
「おい、そこの人間。我は腹が減っておる。我をもてなせ」
「うわっ! しゃ、しゃ……喋ったっ! 犬なのに! 犬なのにっ!」
「むむっ。失礼な人間だ。犬のような姿ではあるが、断じて違う」
「じゃ、じゃあ、なに? もしかして妖怪? いや、しかし匂いがしない……」
「まったく。ぬしらが呼んだのであろう。我の名は
「……と、と、と、虎之介-っ!! 今すぐ来いっ! なんか可愛い犬が来たー!」
「犬ではないっ!」
まさか、いや、そんなはずは。
九頭龍大神と名乗る可愛い生き物は、ぷりぷりと怒りながら店の中へと入ってきた。
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