第8話 明け方の豆乳鍋

 俺たちは人の姿となったヤマさんを連れ、店に戻った。

 待っていた才雲さんは、てっちゃんを見つけると駆け寄り、肩の力が抜けたのか大きく溜息を吐いて、そっと手を握った。


「よかった、無事で。怪我はないか?」

「大丈夫だよ、お父さん! 大史さんと妖怪さんが助けに来てくれたから。連れ去られた時はちょっと怖かったけど、なんだか楽しかった」

「……楽しかった?」

「それとね、紹介したい人がいるんだけど」


 てっちゃんは後方でモジモジしていたヤマさんの腕を引っ張り、自らの横に立たせた。「ほら、ヤマさん」と小声で促すと、ヤマさんは緊張した面持ちで決意を決める。


「は、初めまして、お義父さん。八岐大蛇といいます」

「……え? おとうさん?」

「ヤマさん、『お義父さん』はちょっと違うかも」

「ハッ……つい口走ってしまった」

「えっとね、こちらのヤマさんこと八岐大蛇さんは、今回の一件をすごく反省してるの。だから、罪を償いながら人間の道徳を学ぶために、寺の修業僧として一緒に住まわせて欲しいんだ」


 才雲さんは驚きつつも反対する素振りはなく、少し考え込んだ。

 そりゃ、そうだろう。

 娘を攫った妖怪と一緒に暮らすなど、危険と隣り合わせなのだから。


「八岐大蛇よ、貴殿に尋ねる。貴殿は大昔から、若い女性を攫っては残虐非道な行いをしていたそうだが、それは本当か?」

「そ、そんなことするわけないじゃないですか! ボクはただ、伴侶を探していただけで……女性たちはみんな無傷でおうちに帰しましたよ。婚活は何百年も惨敗中ですが……。手荒なことをしてしまったのは、本当に申し訳なく思ってます」


 何百年も惨敗してるのに、未だに結婚を諦めないメンタルすごい。

 というか、執着がすごい。蛇だけに。


「ふむ……そうか。ならばよし。今日から貴殿、いや、お前は私の弟子となりなさい。戒名かいみょうは……そうだな、山神蛇才やまがみだっさいと名付けよう。八岐大蛇というのは、一方では山の神や水の神とも云われている。その言い伝えに恥じぬよう、仏の言葉を真摯に受け止め、人間の道徳をしっかりと学びなさい」

「あ……ありあとうございます、お師匠様ッ! この蛇才、誠心誠意努めて参ります!」

「よかったですね、ヤマさん!」

「ところで、鉄子。蛇才とはどういう関係なんだ? ずいぶんと親しくなったようだが」

「ボクがお答えします! 今はオトモダチですが、いずれはけっこn」

「ただの友達だよ」


 ヤマさん、脈なしだから諦めな。


 ハートフルな会話が繰り広げられる中、まったく興味を示さない者が1人。腹が減り過ぎて、厨房を出たり入ったりしていた虎之介は、痺れを切らして俺の腕を引っ張った。


「おい、メシはなにを作るんだ? なにを準備すればいい?」

「今から用意するから落ち着け。豆乳鍋を作ろうと思うんだが、虎之介は白菜とネギを切ってくれるか? あとは豚バラとしめじを…‥」

「合点承知!」


 こうなった虎之介は、作業がとてつもなく早い。

 というか、食い意地が張っているのだ。それだけ俺の作るメシは美味いということなので、悪い気はしない。むしろ嬉しい。


 豆乳鍋は、市販の豆乳を使うだけの超簡単料理だ。鍋に無調整豆乳と生姜、酒を入れ、味の決め手となるのは味噌と胡麻。そこに具材を投入して、煮込むだけで完成だ。ほっとするような味わいは、朝でも重くなく食べやすい。


「みなさん。豆乳鍋を作ったんだけど、よかったら食べていってよ」

「うわぁ、美味しそうな匂いがします!」

「せっかくなので、いただこいかな」

「この白いのが豆乳というものなのか……豆の汁なんて美味しいのかい?」

「それは食べてからのお楽しみだ」


 各々取り皿によそってスープの味を確かめると、頬を緩めながら息を漏らす。白菜や豚ラバの甘味も加わり、食欲が増してくる味わいとなっている。


「豆の汁の優しい風味だけじゃなく、味噌のコク深さや、かすかに感じる生姜の刺激。初めて食べる味なのにほっとする……」

「しんなりして味が染みた白菜や豚肉もとても美味しいね」

「はあ……癒されます」


「こりゃ美味いな。しかし、これだけじゃ腹が満たされねぇな……」

「食いしん坊め。ちゃんとシメも用意してあるから」


 ある程度食べ進めたところで、鍋にうどんを入れて煮立たせ、バターとチーズを投入すれば、ちょっぴり洋風なクリームうどんの出来上がり。とろみのついたスープがうどんによく絡み、どんどん食べ進められる一品だ。


「さっきとは違う濃厚な味に、うどんがよく合う! うめぇ!」

「はわ……美味しい。わたしも今度、作ってみようかな」

「鉄子の作る料理はなんでも美味いが、こりゃ楽しみが増えるな」

「て、てっちゃんの料理……ゴクリ」


 メシを食べて幸せそうにしてくれるのが、なによりも嬉しい。ひと時の安らぎを与えることができたなら、これこそ料理人冥利に尽きるというやつだ。


 俺が誰かに対して出来ることと言えば、やはり料理しかない。

 じいちゃん、ばあちゃん。俺は今、ちゃんと役目を果たせているだろうか。


 これからも、こんな平穏な日々が続くといいな。


 しかし、そんな願いはすぐに散ることとなる。

 「恋」という名の修羅場に巻き込まれてしまうことを、この時はまだ知らない……。

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