第7話 てっちゃんと八岐大蛇

「マジで今から行くの?」

「当たり前だろう。八岐大蛇はオレに匹敵するほどの強さだというが、今まで出くわしたことがない未知の相手だ。それに、昔から若い娘を攫っては喰らっているという噂もある。てっちゃんも例外じゃないぞ。オレは武器なんてなくても戦えるが、大史は念のため武器を持て」

「えぇ……虎之介が1人で行けばいいのに」

「この件は、坊さんからお前に託されたものだ。いざとなればオレが守ってるやる」


 ——— トゥンク

 不覚にもときめいた。無敵の鬼ってチートすぎるだろ。ずるい。


 今回の事件では、攫われた女性たちは解放されていると聞くが、八岐大蛇がいつ暴れ出すか分からない。逆上すれば、たとえ虎之介がいても敵わない可能性もある。


 しかし、俺も男だ。当然、てっちゃんをこのままにするわけにはいかない。

 ここは気合を入れて、立ち向かっていかなければ!


「武器っていっても……包丁は物騒だしな。っていうか、あんな硬そうなウロコに刃が入るわけもないし。あと武器になりそうなものといえば……あ、こんなところに牛蒡ごぼうが! これなら急所を狙えば、突きの一撃でいける! それと、こいつもポケットに忍ばせておこう。いざとなった時に放てば、ヤツは悶絶するに違いない……!」


 鬼の勘を頼りに向ったのは、ここから少し離れた山の中腹。真っ暗闇の中では、夜目が利く虎之介だけが頼りだ。鬱蒼と茂る草木をかき分けながら進んでいくと、俺の前を歩いていた虎之介が急に立ち止まる。


 ——— ドムンッ

 俺の顔面は、ヤツの背中にはじき返された。


「いってぇ。急に立ち止まるなよ。牛蒡が折れちゃうだろ」

「あったぞ。ここがヤツの住処だ」

「えっ。勘で見つけられるとは……さすがだな」


 目の前には、真っ暗で大きな洞窟の入り口があった。


 確かにここから妖怪特有の甘い匂いがする。しかし、それだけではない。その匂いとは別に、香ばしくて菓子のような甘い匂いもする。これが大妖怪である八岐大蛇の覇気というものなのだろうか。そんなことを考えると冷や汗が止まらず、脈がどんどん速くなってくる。


 洞窟に足を踏み入れると、冷たい空気とカビ臭さを感じた。足音だけが響く中、先に進んで行くと、奥の方に灯りのようなものが見えてくる。そして、匂いもどんどん濃くなってきて、ようやく灯かりのある開けた場所へ出ると……。


「てっちゃん! 助けに……って、なにこれ」

「あ、大史さんと妖怪さんじゃないですか! お2人もお茶をしに来たんですか?」

「……は?」


 俺は目を疑った。


 8つ頭のある蛇のようなバケモノは椅子にちょこんと座り、おどろおどろしい洞窟内部とは不釣り合いなアフタヌーンティースタンドがテーブルに置かれている。しかも、3段にもなる台の上には様々な種類の菓子が並び、色とりどりのマカロンやスコーン、クッキーなどの焼き菓子に加え、ショートケーキやモンブランなど、生菓子も充実している。


 そして、まったく怖気づいていないてっちゃんは、バケモノと向かい合った席で優雅に紅茶を飲んでいた。


「こ、これは……もしや、ティーパーティー……!?」


「えっとぉ、どちらさまですか?」

「あの……てっちゃんの知り合いなんですが。あなた、八岐大蛇さんですよね? ここで一体なにを」

「婚活です」


 俺は耳を疑った。


 若い女性を攫ってなにをしているかと思えば、セルフ婚活パーティー。理解が追い付かず、てっちゃんとバケモノを交互に見つめる。


「ヤマさんはすごいんですよ! お菓子作りの天才で、ここにあるもの全部手作りなんです。どれも美味しくて幸せですっ!」

「えへっ。そ、そんなに褒められると照れちゃうなぁ」


 八岐大蛇を『ヤマさん』って呼んでるの?

 ねえ、8つの頭のうちどれが喋ってるの?


「ボク、てっちゃんとはすごく気が合うみたいだ。このまま一緒に、ここで暮らさないか? 家事や料理は得意だから任せてよ」

「ご、ごめんさい! 私、妖怪には興味があるんですけど、恋愛対象外なんです……!」

「そ、そんなぁ」

「でも、お友達なら喜んでお受けします!」

「トモダチ……嬉しい!」


 一件落着。


 まぁ、そんなわけはない。

 いくら危害を加えていないからといって、女性を攫って監禁まがいのようなことをしたのだから、これは立派な犯罪である。


「茶番は終わったか? おい、そこの蛇妖怪。お前、自分がなにしたか分かってるんだろうな? 婚活だかなんだか知らねぇけどよ、自分勝手なことして人間の記憶まで操りやがって」

「そ、それは……攫ってしまったことは申し訳ないと思ってます。本当に。ボク、どうしても人間のお嫁さんが欲しくて、女の子と話がしたかったんです……。だけど、みんな『帰りたい』と言うもんですから、元の場所に帰す時、この場所とボクの存在がバレないように、記憶を消す術を使いまして……」

「それならよ、こんなとこに籠ってないで、人の姿になって人として暮らせばいいじゃねぇか」

「ボクは人間の世界が苦手なんですよ……社会の在り方から人付き合いまで。ボクには合わないんです。それに、人の姿ではなく、ありのままをボクを愛してくれる運命の人を見つけたかったんです……!」


 人間世界が苦手なのに、人間のお嫁さんが欲しいとはずいぶんと矛盾している。もしかしてコイツは、女性に幻想を抱いているのだろうか?


 その瞬間。

 ——— バチーンッ


 虎之介の強力なビンタは、ヤマさんの頬を直撃した。


「ばっかやろぉッ! ありのままを愛して欲しいなら、そのウジウジした考えを捨てろ! 愛してくれる存在がいるなら、人間だろうが妖怪だろうが関係ねぇ。お前のやってることは道理に反する。それに、人間の女ってのはお前が言うほどいいもんじゃねえよ。嫉妬深くて執念深くて、こっちの気持ちはお構いなしにズケズケと入り込んでくる。夜も眠れないくらい、どれだけ恐怖を感じたことか……おぞましい」


 コイツ、過去になんかあったな。


「うぅっ……殴るなんて酷いじゃないか……父さんにも殴られたことなにのにッ!」


 すると、逆上したヤマさんは赤い目を光らせ、牙を剥き出しにしてこちらに襲いかかってきた。


 は、速い……!


 この速度じゃ、逃げるのも間に合わない。そして、この牛蒡も何の役にも立たない。急所を突こうにも、どこが急所なのか分からんッ!


 クソッ、なんで牛蒡なんか持ってきたんだ。


「ハッ、そういえば」


 その時思い出した。ポケットに入れていたアレを。

 咄嗟にそれを取り出して、ヤマさんの口を目がけて投げ入れる。


「こ、これでもくらえッ! 鷹の爪ファイヤーホークスッ!」

「んぐっ……か、辛い! 喉が焼けるように熱い……!」

「おお! 大史、やればできるじゃねぇか!」


 悶絶するヤマさんはその場に倒れ込み、攻撃的な匂いもたちまち消えていった。ちょっとかわいそうな気もするけど、致し方ない。なんせ、命の危機だったのだから。


 すると、てっちゃんは悶絶するヤマさんの元へ駆け寄り、手にしたショートケーキを口に放り込んだ。


「大丈夫ですか?」

「むぐっ……はぁ、ヒリヒリとした口の中が緩和されていく……ありがとう、てっちゃん」

「わたし、人を襲う妖怪は嫌いです」

「えっ」

「どうしても人間のお嫁さんが欲しいのなら、人間のことをもっと知る必要があります。ヤマさんは、本当は心優しい妖怪だということも知っています。だから、うちの寺に来て父の元で修業しませんか?」

「こ、こんなボクを見捨てずに、拾ってくれるの……?」

「はい。ただし、二度と身勝手に人を攫ったり襲うことはしないでください」

「わ、わかった。約束する……!」


「え。いや、あの、そんなこと勝手に決めちゃっていいの? 才雲さんは絶対反対するでしょ」

「わたしが説得しますから、ご心配なく! それに、わたしとヤマさんはもうお友達ですから」

「てっちゃん……」


 とんでもないことになってしまった。


 才雲さんは、まさか自分の娘が八岐大蛇を連れて帰るなんて思いもしないだろう。てっちゃんもお人好しすぎるというか、妖怪好きすぎるというか。恐らく、友達になれたことが嬉しかったのだと思う。


 優しさは連鎖していくものだと思っている。これをキッカケに、ヤマさんも心を入れ替えてくれるといいのだが。


 ——— ぐうぅぅ‥…

「あ、わりぃ」


 今ちょっといいとこだったのに。虎之介、お前の体は正直だな。


「とりあえず店に戻って、みんなで朝メシでも食うか」

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