第5話 河童となめろう丼&出汁茶漬け

 営業を再開してから、意外と客入りも多く繁盛している。

 この近辺には居酒屋は数軒あるものの、メシ屋がない。よって、うちの店は独り勝ち状態なのだ。昼間は年配の常連客やサラリーマンも多く、ありがたいことに毎日満席となっている。


 その中で、1人気になるお客さんがいた。

 もっさりとしたメガネ姿で、サラリーマンらしきその男性は、いつも挙動不審なのだ。妙に周囲を気にして、なにかに怯えているいうな感じもした。注文するのはいつも野菜スティックで、彼は必ずこう言う。


「野菜スティックの野菜を、全部きゅうりに代えてください」


 そんなもん、家で食え……!


 当然、お客に向かってそんなことは言えない。注文をしてくれるだけありがたいのだから。


 そして、なにより一番気になっているのが髪型だ。

 七三スタイルなのは、まぁよしとしよう。だがしかし。それが不自然に浮いているのだ。もみあげや襟足部分の不自然さはもちろん、日によって七三の向きが違う。もはやと言ったほうがいいだろう。


 俺は毎回笑いを堪えるのに必死だったが、個人のマイノリティを馬鹿にしてはいけない。そんな俺の気遣いも虚しく、少し空気の読めないアイツはついに禁忌を冒してしまった。


「おい、あんた。頭に昆布のってますよ」


 虎之介の言葉に目を丸くした男性の顔から、たらりと汗が垂れる。バレてしまった、とでも思ったのだろう。しかし、虎之介は頭のソレを昆布だと思っているので、誤魔化すなら今ですよ、お客さん。


「えっと……ぼ、僕、昆布が好きなので……」

「へえ。そりゃ、最近の流行りなのか?」

「まぁ、そうですね……」


 どうやら昆布ということで話を通すらしい。頭にそんなものを乗せる流行りなんて聞いたこともないが、現代の世の中をまだ知らない虎之介には十分誤魔化せる。


 しかし、このお客。妖怪なのか人間なのか見分けがつかない。妖怪独特の匂いがほとんど感じられないからだ。影が薄い、とでも言うのだろうか。


「ところで、あんた妖怪だよな?」

「そ、そういうあなたも……」

 

 あ、妖怪なんだ。


「まぁな。俺は虎之介という。あんたの名前は?」

「ぼ、僕は河合といいます……しがない河童です。最近、人間として暮らし始めたんです……昔から、人間に憧れを持ってまして」

「ほう。オレと一緒だな。しかし、なんでそんなにビクビクしてんだ? なにかに追われてるのか?」

「いえ、そうではなく……」


 男は頭のそれをサッと取ってみせた。


「ハッ……!」

「僕のこれ、実は昆布じゃなくてカツラなんです」

「なっ……なん、だと……」


 あまりの驚きに後ずさりをする虎之介。

 大型量販店のパーティーグッズコーナーで売っていそうな粗末な作りは、日常生活には向かない気がする。なんでそんなところで買おうと思ったのか疑問だが、人間になりたての妖怪なら右も左も分からないのだろう。そんなことを考えると、ふと同情心が芽生える。


「人間の姿にはなったものの、妖怪の名残りでどうしても頭頂部だけこのように……。なので、カツラを着用していたんですが、いつも周りの視線が気になってしまうんです。自分に自信が持てなくて……」

「男ってのはな、見た目なんかじゃねぇ。余裕のある心構えと、どんなことでも動じない精神力、時には根拠のない自信も必要だ。きゅうりばっか食ってても、力が湧いてこねぇだろ? うちの大将が作るメシを食え。気力と自信が漲ってくるぞ! きゅうり以外で好きな食べ物はないのか?」

「えっと、そうですね……生魚ですかね」

「だってよ、大史!」


 静かに聞き耳を立てていたところ、虎之介はこちらに向かって合図を送る。


「はいよ。生魚料理ね。それなら、今日はアジとマグロがあるから、2種のなめろう丼なんてのはどうかな」

「なめろう、ですか。よく分かりませんが……では、それを1つお願いします」

「はい、喜んで」


 生魚とはいえば、新鮮なら刺身や海鮮丼で食べた方が断然美味い。しかし、力が湧いてくるような料理なら、味噌で濃い味付けのなめろうにしたほうが食が進むだろう。


 アジには生姜とネギを細かく刻み、味噌と醤油、風味付けにごま油で味付けする。マグロにも同様の食材と、味のアクセントにミョウガを少量。白米の上に大葉を敷いて、2種のなめろうと仕上げに黄身をトッピングする。最後に白ごまを散らせば出来上がりだ。


 それともう1つ。最後まで丼を楽しめる秘策がある。


「お待たせ。アジとマグロのなめろう丼だ。半分まで食べ進めたら、この出汁を注いでみてくれ。なめろう茶漬けも楽しめるぞ」

「なんとも豪勢な見た目ですね……2つの料理が味わえるとは。人間の姿になってからも、きゅうりしか食べていなかったので、こんな料理は初めてです」

「ははっ。本当にきゅうりが好きなんだね」

「で、では、いただきます」


 恐る恐る一口食べると、河合さんは目を輝かせた。二口、三口と食べ進め、箸が止まらない様子から、どうやら気に入ってくれたようだ。


「お、美味しいです! 初めて食べる味なのに、なぜか馴染みのあるような……。それに、生魚の風味を活かしながら薬味の味がとてもいいアクセントですね。アジとマグロ、それぞれの旨味が白米にもよく合います」

「ご丁寧な食レポありがとな。そろそろ、出汁を入れてみてくれ」


 土瓶に入った出汁を残りの丼に注ぐと、たちまち湯気がのぼる。カツオと昆布の香りが広がり、豊かな風味はさらに食欲をかき立てる。


 河合さんは丼を口に近づけ出汁の味を確かめると、「ほっ」と息を漏らした。


「体に沁みますね。温かいものがこんなに美味しいなんて知りませんでした」


 穏やかな声でそう言ったのも束の間。

 丼を抱えて、それを一気に掻き込んだ。


「……はあ。美味しかった。食べ物だけでこんなにも幸せな気分になれるなんて、すごく満足しました。それに、今まで悩んでたことがちっぽけに思えてきました。僕、頑張ります! こんなもの、もう僕には必要ありません!」


 ——— ぺシンッ

 床に投げ捨てたのはカツラだった。


「立派な男になって、またここに戻ってきます!」

「おお、その意気だ! あんたならやれる。オレは信じてるぜ!」

「はい!」


 河合さんはお会計を済ませると、清々しい笑顔で颯爽と店を後にした。


「ちょ、忘れ物……!」


 元気になってなによりだが、その姿のまま仕事に戻るつもりなのだろうか。彼の威厳に関わると思い、ソレを持って慌てて店を出たが、すでに姿はなかった。


 それから数日後のこと。


 ——— ガラガラガラ

 店に入ってきたのは、初めてのお客さんのようだ。すらっとしたイケメンで、スーツがよく似合っている。そんな男性と目が合うと、彼はふっと微笑んだ。


「先日はありがとうございました」

「えっと……お会いしたことありましたっけ?」

「あの時救っていただいた、河童です」

「えっ、うそ、えぇぇぇ!?」


 頭部にはカツラ、いや、ウィッグと言うべきか。地毛のような上質な装飾を身に付け、もっさりしたメガネは、スタイリッシュなスクエアタイプに。服装は前回と同じスーツなのだが、爽やかさが増して仕事が出来るエリートサラリーマンに変貌を遂げていた。


「大将さん、虎之介さん。お2人のおかげで、僕は自分に自信を持つことができました。これからは他人の目を気にせず、堂々と生きていきます!」


 多分だけど、自信が持てるようになったのはカツラを新調したからだと思うんだ。

 

「おお、ずいぶんといい男になったじゃねぇか! 見た目だけじゃなく、心構えも男前だな。あんたならできるって信じてたぜ。これも大史のメシのおかげだな!」

「まぁ、そう言われると俺も嬉しいよ。ところで、この前河合さんが置いていったアレはどうした?」

「あぁ。アレはどこに置いていいか分からなかったから、あそこに」


 ……え、おい、嘘だろ。

 虎之介が指を差した場所は、店の神棚。お供え皿には黒いなにかが乗っており、目を凝らすとそれは紛れもなく河合さんのカツラだった。


「いや、河童って商売繁盛のご利益があるっていうだろ? だからお供えしてみた」

「やめろよ……」

「なんだか照れくさいですね。あんなに大事にしていただけるなんて……。きっと、このお店は繁盛しますから、ぜひ僕の分身だと思ってください」

「あんたも大概だな」


 神様は今頃困惑してるだろうよ。

 どうかこの鬼と河童にバチが当たりますように。

 

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