第3話 松さんと親子丼

「おっ。ずいぶんと見違えたなぁ」

「そうだろう? オレはこう見えてもツラがいい」


 小綺麗になった虎之介は、別人のようだった。


 無精髭を剃って肩まである赤髪をひとつに結い、シンプルなTシャツとパンツスタイルの虎之介はまるで海外のモデルのようで、ガタイの良さが際立つ。スタイルだけではなく、はっきりとした目鼻立ちや形のいい唇、確かにツラもいい。190cmもあればグレーのスウェットも似合うはずだが、ヨレヨレでボロボロの小汚いアレは論外だ。


「店のオープンは3日後だ。それまでに大体の仕事を覚えてもらうぞ。俺は基本、調理を担当するから、虎之介はホールを頼む。接客業はやったことあるか?」

「接客……そういえば昔、蕎麦屋で働いたことがある」

「お、そりゃ心強い。接客は元気よく、愛想よくが基本がだからな。じゃあ、俺をお客さんだと思って、声をかけてみてくれ」


 ——— スーッ、フー、スーッ……

 深呼吸をする様子を見て、なんだか嫌な予感がした。


「ラッシャッセェーーーーーイ!!!」

 慌てて耳を押さえたが遅かった。

 俺の鼓膜がジンジンと悲鳴を上げ、思わず顔をしかめる。


「お、大丈夫か?」

「大丈夫か? じゃねぇよ。ご近所迷惑だろ」

「す、すまん。蕎麦屋じゃ、これが普通だったから」

「まぁ……元気と気合があるのはいいことだが、今の時代じゃ、それすらもクレームになるんだぞ。声量はほどほどで頼む」

「うむ、心得た!」


 虎之介は素直なヤツだ。

 少々加減がわからないようだが、それも徐々に慣れていくだろう。


 ——— ガラガラガラ

 古びた店の引き戸が開いて、発泡スチロールを抱えた小太りの中年男性が「よっ」と声をかけてきた。


「あ、松さん。わざわざ来てもらって申し訳ない」

「いいんだよ、気にするな。店を再開するっていうからさ、居ても立っても居られなくてな。これが注文分の鶏もも肉5kgと、こっちが差し入れの焼き鳥だ」

「ありがとう、松さん! 松さんの店の焼き鳥、大好きなんだよなぁ。炭火の香ばしい香りと、甘いタレが最高に……」


 ——— ゴクリ

 虎之介は焼き鳥の匂いに反応したのか、生唾を飲んでビニール袋を凝視していた。


「おや、このデカいあんちゃんは?」

「うちで雇うことになったんだ。名前は虎之介。虎之介、こちらは昔からお世話になっている肉屋の松さんだ」

「お、おう。よしく頼むぞ、松さん!」

「ははっ。ずいぶんと威勢がいいな! 俺は好きだぜ、あんたみたいな男は」


 ガッチリと握手を交わした2人。どうやら相性がいいらしい。


「虎之介も腹を空かしてることだし、松さんからもらった焼き鳥でまかないでも作るか。松さんもよかったら食べてく?」

「おぉ、いいのかい? もちろんいただくよ」

「せっかく美味そうな焼き鳥なのに、わざわざ料理するのか?」

「もちろんそのままでも十分美味いんだけど、腹が減ってるなら白米も食べたいだろ? だから、丼ものにしようと思うんだ」

「ほう! いいな、それ!」


 用意するのは、焼き鳥と玉ねぎ、みつば、卵、めんつゆのみ。

 先に薄めためんつゆを軽く煮立たせ、スライスした玉ねぎと焼き鳥を投入。火が通ったら溶き卵を入れて、半熟程度で火を止める。どんぶりにご飯を盛り、具材をのせて仕上げにみつばをトッピングすれば出来上がり。時間のない時や、簡単にメシを済ませたい時にはもってこいの定番丼。


「お待たせ。松さんの焼き鳥を使った親子丼だ」

「おぉ、まさかの親子丼ときたか」

「美味そうな匂いだ……」

「焼き鳥の味を活かすために、割り下は味を薄めにしてみたんだ」

「ほう。この甘い匂いは、確かに焼き鳥のタレの匂いだ。では、ご相伴に預かって」

「いただきます!」


 松さんは一口、口に運ぶと顔をほころばせて小さく頷いた。

 どんぶりを抱えて勢いよく親子丼をかきこんだ虎之介は、どうしても感想を伝えたいのか、口をもごもごさせながらこう言った。


「はまおはほのほのへ、ほまい!!」

「……なんて?」

「んぐっ……卵がふわふわで美味い!!」

「喋る時は飲みんでから喋ろうな」

 

「大史くん。こりゃ、本当に美味いよ。とろとろの卵が鶏肉を包んで、タレの甘さとほんのりとした塩っけが絶妙なバランスだ。それに、少し食感が残った玉ねぎも、いいアクセントになっている。こんな美味い親子丼は初めてだなぁ」

「いや、松さんの焼き鳥が美味しいからだよ。じゃあ、俺も食べようかな」


 卵の半熟加減は完璧、焼き鳥の炭火の風味を残しながら、割り下の配合もバッチリ。我ながら、これはかなりうまくいった。マジで美味い。


「これ、新しくメニューに加えようかな。この焼き鳥、冷凍で売ってもらうことってできるかな?」

「もちろんだとも。うちはその日に売る分だけを生の状態から焼いてるんだが、焼いてから真空で冷凍すれば日持ちもするだろう。大史くんの店用に、特別に作ってあげるよ」

「ほんと? ありがとう、松さん」

「いいってことよ。こんな美味いメシをタダで食べさせてもらったお礼だ。店の再開準備、頑張れよ。今度は客として食べに来るから」


 周りの人たちは本当にいい人ばかりだ。

 人同士の繋がりは、一朝一夕では築くことができない。

 これもすべて、祖父母の人徳のおかげだ。

 俺はとても恵まれいる。


「大史! おかわりをくれッ!!」


 ——— あぁ、どおりで見覚えがある。


 その時、俺は近所の大型犬を思い出していた。

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