第2話 長い一日

 

 さて、どうしたものか……

 目の前に広がる美しく雄大な風景が、俺の焦燥感を掻き立てる。

 確実にここは地球ではない。早急に帰還方法を探す必要がある。だが、帰る云々よりも、とりあえずは明日、明後日の近い未来の心配をしなければならない。俺は全くもってこの世界を知らない。文化、経済、地理、政治体制、とにかくすべての事柄についての知識が無い。そして最もマズいのは無一文であることだ。着ているジャージのポケットをまさぐっても、少しの糸くずが出てくるのみ。財布も携帯電話も何も持っていない。


 非常にマズイ。

 現在この世界において、俺はジャージを着ている無職無一文の27歳男性。

 水は?食料は?金は?ここは安全なのか?夜になったらどうする?不安のオンパレードだ。

 ……少し落ち着こう。『変身』で知られるユダヤ人作家、フランツ・カフカ曰く、人間のあらゆる過ちは、全て焦りから来ている。落ち着いて、まずは今日をどうするか考えよう。


 崖淵にあぐらをかき、思考を巡らす。

 あの岩山のふもとに見える街に行けば、確実に人には会える。そこで土下座でも何でもして、物乞いすれば、何とかなるかもしれない。だが言語が分からない。街に入れるかも分からない。このジャージ姿でいるのもよろしくないだろう。そもそも今日中にあの街に辿り着くのは無理だ。直線距離でも数十キロある。


 であれば今日は、この付近で寝泊まりするしかない。今の時刻は分からないが、夜に森をうろつく事になるのだけはゴメンだ。多少準備をして、夜に備える必要がある。そうと決まれば、善は急げだ。



 五時間ほど経っただろうか。もうすっかり日が落ちかけており、橙色の日光が、木の葉の隙間から差し込んでくる。俺は拠点づくりに勤しんでいた。

 崖淵では大変危険なので、少し離れたところに、木やら葉やらで寝床のような何かを作った。そして先ほどの蠢く木から果実を失敬したので、本日はこれで糊口を凌ぐことにする。人生初のサバイバルにしては良くやったと思う。良くやったのだが……


 「点かねぇ!!」


 火が付かない。取り敢えず、木と木を擦り合わせて摩擦熱で火を起こす、きりもみ法というのをやってみたが、全く駄目だ。2時間ほどトライしたが、煙が起こる気配すら無い。歴史学者である以上、当然石器時代についても知識はある。火おこしの方法自体は知っているのだ。しかし、知っている事を、必ず実践出来るかといえば、当然そんな事は無い。知識は知識の域を出ず、経験の裏付けがない知識をひけらかすべきではない。部屋に籠ってお勉強ばかりしていた俺には、少々ハードルが高かったようだ。

 夜に火を焚けば、誰か来てくれるかも、と甘い希望を持っての火起こしだったが、疲労を蓄積させただけの、徒労に終わった。

 

 次第に太陽は姿を隠し、地上に闇をもたらした。俺はまた、崖淵であぐらをかいて夜風を感じつつ、長すぎた一日を振り返り、ため息を漏らす。太陽に代わり現れた月は見事な三日月で、俺を笑っているように見える。しかし、太陽も月も地球とほぼ同じように見えている、ということは、ここは太陽系の惑星なのだろうか。だがそれならば、発見されていないのは全くおかしい事だ。

 いや、そういう大それた事は考えなくていい。しばらくは、身の保身だけを考えていこう。

 

 (とはいえ……俺、これからどうすればいいんだろう)


 遠くに見える街明かりが、何とも虚しく現実を照らす。


 突然、説明も無しにこの世界に放り出され、おまけに素寒貧ときた。全く、どこの誰が何の意図をもって、俺をこの世界に喚んだのか。全くもって理解できず、全くもって迷惑だ。だがとにかく、明日明後日を生きていかねばならない。きっと、帰る方法はある。


 俺は、寝床とは言うにはあまりに簡素で粗雑な、木と葉の集合体に寝そべり、静かに目を閉じる。長い一日が終わった。


 

 翌日、目を覚ますと、俺は手足をきつく縛られ、パンツ一丁のあられもない姿で荷馬車に揺られていた。

 

 どうして?

 

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歴史学者は異世界で何を成す? @sadaharuX123

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