宇宙人が落とした靴
帆尊歩
第1話 500年の旅をする、移民宇宙船日本丸三十五号
「おはよう」そのおはようは何度目だ。
戻りつつある意識の中で問いかける。
誰に聞いているのか自分でも分らない。
「一万二千四百四十三回目よ」
「えっ」僕は上体を起こそうとして、体が動かないことに気付いた。
「今は無理よ、筋肉が落ちているから、あと千時間くらいは掛かるかしら。でも、コールドスリープからの復帰に、時間が掛かるのは折り込み済みだけれど、こんなに掛かるとはね。
あなたを起こし始めて八年掛かった」
「お前は?」
「優香よ」
「優香!段々思い出してきた。先に起きていたのか?起きる?(地球ダッシュ)に着いたということか」
「良いニュースと、悪いニュース、どちらを先に聞きたい?」
「何だそれ」
「もっともメンタルの負担を考えると、あと十時間は待機していて欲しいけれど」
「まあいい。確かに体が動かない。言葉だって上手くしゃべれているのか」
「しゃべれてないわよ。私はAIなので、あなたの脳に繋いだ電極から、直接情報のやりとりをしているから分るけれど」そこまで聞いて、大して力の入っていなかった体から、さらに力が抜けた。
僕は今の状態を思い出す。
そうだ。地球の環境が悪化したんだ。
三百年前から地球環境の危機は提言され、全世界で環境保全が始まった。
ある程度の効果はあったが、三百年の歳月で、地球は真綿で首を閉められるように、崩壊へと向かった。
大気汚染によるCO2も影響して温暖化。
海は干上がり、人は地上に住めなくなった。
地球に人間が住めなくなるリミットがあと百年となった年、全世界共同で「ノアの箱船計画」が立案された。
その第一陣に技術者として、優香と共に僕は志願したんだ。
計画は二つ。
一つは三千の棺桶。いや、コールドスリープカプセルで、五百年の旅をして、目的地「地球ダッシュ」(極めて安直なネーミングだが)へ到達する。
もう一つは、宇宙船の中で子供を産み、老い、そしてまた、その子供が子供を作り、また老いる。それを繰り返して、何世代も掛けて「地球ダッシュ」へと向かうもの。
どちらも、それぞれのメリットとデメリットがあるため、リスク分散で二つの形が立案された。
僕と優香は、コールドスリープで移民する方だ。
計画では、各グループ千隻づつの運用が計画されたが、今となっては、どうなったのかは分らない。
何しろ、僕らはかなり早いほうで、移民を開始したから。
一眠りすると、十時間が経っていた。
まだ起き上がることは出来ないが、首から上と、腕くらいは動かせるようになっていた。
「おはよう。どう気分は」
「良いわけないだろう。それより出発してから、何年が経っている?」
「百二十五年です」
「百二十五年!そういうことか」僕は、状況をなんとなく理解した。
「気分は悪いかもしれないけれど、具合は良さそうね」
「お前は、本当に優香なのか」
「ええ」
「だったら何故、顔を見せない」
「本物かと言われると」
「本物じゃないのか?」
「申し遅れました。私はこの移民船、日本丸三十五号のマスターコンピューターのAI、優香です」
「そんな名前、無いだろう」
「本当は兆6000」
「ああ、そうだ兆6000だ。当時最先端AIのスパコンだ。それがなぜ優香になったんだ」
「まあそれはあとで。で、さっきの話だけれど、良いニュースと悪いニュース、どっちを先に聞きたい?」
「じゃあ、良い方で」
「あー」
「なんだよ」
「ゴメンね。バランスが悪いのよ」
「バランス?」
「良いニュース、三パーセントくらい。悪いニュース、九十七パーセントくらい」
「なんだそれ」
「まあ、言いにくいんだけれど。最悪の状況の中で、ちょっとだけ光明が見えるというか」
「良いよ。何でも良いから、状況説明を」
「はい分りました。まず、本船日本丸三十五号における、(プロジェクトノア)は終了致しました」
「まあ、五百年寝ているはずが、百二十五年で起こされたんだから、なんとなく分るよ。で他のみんなは?」
「コールドスリープから目覚めたのは、あなただけ」
「えっ、どういうことだ。優香は?」
「だから私が優香」
「そんな訳ないだろう」
「私は、優香さんの思考情報を移植されたAI。だから兆6000から改名してAI優香」
「コンピューターが改名するな。えっ、ちょっと待て、じゃあ優香も」
「はい。五十年前、「宇宙人の落とした靴」と名付けられた隕石が、生命維持ユニットを直撃しました。生命管理責任者の優香さんは、いち早く目覚めましたが、すでに時遅く、大方のカプセルの人は亡くなっていました。生き残ったのは百十五人」
「三千いて、それだけ」
「ええ。で、一縷の望みを掛けて残りのエルギーを、全てあなたのカプセルにに投入した。優香さんは、一人で頑張りましたが、十年後に力尽きて。
その時に自分の脳情報をAI化して、私に移植しました」
「じゃあ、優香はこの宇宙船の中で十年も、たった一人で生きてきたのか」
「あなたのためよ」
「起こしてくれれば良かったのに」
「あなたに生きて欲しかった。たった一人でもたどり着いても、他の移民船が地球ダッシュにたどり着けば、あなたは一人ではない」
「何故、(プロエクトノア)は終了した。そういうことなら、僕一人でも継続は出来たはずだ」
「今度は同じ(宇宙人の落とした靴)が、運行ユニットを直撃した。慣性の法則があるから、地球ダッシュに向かってはいるけれど、軌道修正が出来ないから、たどり着ける可能性は一京分の一くらいの可能性になっちゃって」
「それで日本丸三十五号としての「プロジェクトノア」は終了か」
「はい」
「で、グッドニュースは?」
「この船はあなた一人になったので、生命維持ユニットは壊れたけれど、備蓄で、あなたがあと二百五十五年、生きるだけの水と食料、空気があるので、余生をここで気楽にまっとう出来る」
「それの何処が、グッドニュースなんだよ」
「だってみんな死んだのに、あなただけは生きていけるのよ」
「それが三パーセントのグッドニュースか」
「そういうこと」
「たった一人でここで生きていくのか」
「一人ではない」
「どういうこと」
「私がいる」
「お前はAIだろう」
「でも優香さんの思考情報を移設している」
僕は首から上と、腕くらいしか動かせないのに、ショックでまた意識を失った。
四十日のリハビリのかいがあって、僕は何とか普通の生活が出来るまでに回復した。
まず僕は、優香に会いたいと思ったが、AI優香が教えてくれない。
僕の体が本調子になって、ショックに耐えられようになるまでダメだという。
僕はやっと、普通に食べることが出来るようになったので、朝食を摂りながらAI優香に尋ねる。
「他の船はどうなったんだろう」
「(宇宙人の落とした靴)は、思った以上に航路上にあったようで、本船と同じような目にあった船も少なくないと聞きます。
そして、コールドスリープをしなかった船は、さらに別の問題も起こったようです」
「別の問題とは?」
「住人同士の争い、派閥が出来て、殺し合いに発展したケースも多いと聞きます」
「じゃあ、(プロジェクトノア)は」
「結構頓挫した船も多いと聞きますが、千隻づつ二千隻出てますから一定数の成功船もあるでしょう」
「で、優香の遺体とはいつ会わせてくれるんだ」
「もう少し待ってください」
「大体優香は何処にいる?」
「優香さんは、たった一人で全ての準備をしていましたから、一応自室を用意していました」
「それは何処なんだ」
「それはまだ申し上げられません。あなたが優香さんの死を受け入れ、ご遺体を見てもショックを受けないと判断されるまでは」
「まあいい、時間はいくらでもあるんだ」
僕はリハビリをかねて、船内を散策していった。
実は、乗船してすぐにコールドスリープに入ったので、この船の中をさほど見ていない。
この船は巨大だ。
ほぼ船底に降りて行くと、巨大スペースが広がるエリアがある。
そこには、街や公園、商店街などが広がっていた。
本来三千人分のカプセルなら、ここまで巨大な船にしなくてもいい。
縦横に積み重ねれば良いのだ。
でもこの船は、ここで生活をして、何世代にもわたって船旅をするために作られている。
それが計画変更で、コールドスリープの移民船になった。
娯楽施設や商店街、公園などが作られながら、一度も使われないまま廃墟になった。
ここは、巨大なスペースに街や公園、娯楽施設、そして海まである。
海と言っても巨大なプールで、そこに人工の砂浜を作り、浜辺を見下ろせるバルコニー付きのホテル。
人工の照明で、季節と昼夜を管理出来た。
一度も使われることなく破棄されたので、干上がった海は瓦礫の山となっている。
浜辺の横に、小さな二階建ての家が建っていた。
こんな家で、優香と二人で暮らせていたら、どんなに良かっただろう。
でも地球は大気汚染で、みんな地下に住んでいた。
フロアーを上がり、カプセルユニット。
ここに、コールドスリープのカプセルが並ぶ。
三百のカプセルの空間が、十フロアーにわたって重なる。中にはミイラ化した遺体が眠っている。
文字通り、棺桶の並ぶ墓場だ。
「何処に行っていたの」管理ユニットに戻ると、どこからか声が聞こえた。
優香はAIなので実体はない。
でも船内に無数にある、スピーカーから声が聞こえる。
「街の方へ」
「そうなのね、心配させないで。どこかで倒れているのかと思った」
「ああ、悪かった」日本丸三十五号のマスターコンピューターAI優香も、探知できない場所があるらしい。
コールドスリープの生命維持ユニットは、各フロアーの端にある。
ちょっと待て、と僕は思った。
なんで十フロアー全ての生命維持ユニットが、一斉に壊れるんだ。
隕石が当たったから?
いや、もしそうであるなら、その隕石が船に与えた被害は、途方もないだろう。
そもそも何処に「宇宙人の落とした靴」がぶつかった?
僕はフロアーの生命維持ユニットの管制室に入り、紙のマニュアルを探した。
何かのために、紙のマニュアルもある。
やはり生命維持ユニットは、各フロアーで独立している。
もし、全てを一瞬に停止させるほどの隕石なら、日本丸三十五号は破壊されている。
僕は、航行ユニットにも行ってみるが、ここも異常があるようには見えない。
イヤ、そもそも隕石がぶつかったのなら、もっと壊れているだろう。
「優香」
「はい」
「隕石が当たったところはどうしたんだ」
「ブロックを閉鎖しています」
「そうなんだ」
「航行ユニットの方へ行かれたようですが」それは分るんだなと思った。
「航行ユニットに入られたんですか?」そこまでは分らないとみえる。
「いや。ただ歩いていただけで、自分が何処を歩いたか分らない。航行ユニットの近くを通ったんだ」
「気づきませんでしたか。航行ユニットは封鎖しているので、中には入れなかったと思います」
「そうなんだ」怪しい、怪しすぎる。
「AI優香」
「はい」
「優香の引継書とか、ノートみたいな物はないのか」
「あります。食堂の横の会議室を執務室にしていました」
「そう」中に入ると、綺麗に整頓された机に、大きな書類鞄が置いてあった。
「書類の中に、特に僕に報告するような事柄は?」
「ないと思います」
「内容の確認はしたのか」
「私には手がありませんので、鞄を開けることは出来ませんが、仕事をしていた優香さんの手元は確認していましたので、内容は確認済みです。一つ聞いてよろしいですか」
「ああ、構わないよ」
「鞄の中に写真がありました。優香さんは、懐かしそうに眺めていることが多かったようです。何の写真なのでしょう」
僕は鞄の中を見ると、かわいらしい家の写真があった。
廃墟の街、海辺にあったあの家だった。
何故こんな写真を優香は撮った?僕はとぼけることにした。
「ああ、これは優香の実家の写真だよ。懐かしいな、僕も何度か行った」僕は嘘を付いた。もう地球に、個人の家という物は存在しない。
「そうなんですね。良いですね」
「何が」
「私には懐かしむような物はない」
「そうか」
「だから優香さんの名前をいただいた時、とても嬉しかった。あなたに優香と呼んでいただけたことが、嬉しくてたまりません」
「何だ、AIにも嬉しいなんて感覚があるんだ」
「もちろんです。何かに好意を持つことだって」
「えっ、何に好意?」
「いえ、何でもありません」
廃墟の街が、僕はとても気に入っていた。
大気汚染の進んだ地球に、こういう街は存在しなかった。
こういう所で、人間は生きるべきなのだ。
僕は、この間の海辺の家に行ってみる。
なぜ優香は、この家の写真を持っていた。
中に入ると、そこは優香の隠れ家だった。
やはり、生体管理システム関連の資料や、書類が置いてある。
全く、この紙によるバックアップは、今にして思えば本当に良かった。
紙で残す事への異論は随分あったが、五百年という歳月で、データーが失われるという危険を強く主張する科学者も多くいた。
机の上に、分厚い冊子があった。
優香が残した物だ。別に僕宛ということではないと思うが
警告
兆6000に気をつけろ!
と書かれた表紙の冊子だ。
僕は一枚めくる。
五十年経っているが、保温状態はいい。
私は、優香オブライエン
日本丸三十五号の生態管理技術者です。
私は、日本丸三十五号出発75年で、マスターコンピューター兆6000によって、重大インシデント発生のエマージェンシーにより起こされました。
ご存じの通り、コールドスリープはかなり大がかりな施設がないと出来ません。
ですから、コールドスリープから目覚めた段階で、二度と眠ることは出来ません。
重大インシデントとは、コールドスリープの生態管理システムに「宇宙人の落とした靴」と呼ばれる隕石が衝突したことにより、生態管理システムがダウン。
コールドスリープが、維持できないということでした。
それが兆6000による説明でした。
私が覚醒したとき、ほぼ95パーセントの人が亡くなっていました。
つまり、日本丸三十五号の「プロジェクトノア」は、完全に失敗したのです。
後処理のための私は、起こされました。
私はまず、まだ生きている人の、生命維持の確認をしました。
すると、残りの五パーセントの人達も、時間の問題でした。
地球ダッシュまで、まだ四百年かかります。
私は兆6000に計算させて、あと四百年、コールドスリープを維持できるのは何人か計算させました。
兆6000の計算では、たったの一人。
そしてその一人はトキオ菊地にするべきと言う提案を、兆6000はしました。
本船運行技術者です。兆6000がなぜ彼を選んだのか分りませんが、最良の選択と私も思いました。
また、彼は私の恋人でしたので、この手紙を読んでいるのがトキオだったら、こんなに嬉しいことはありません。
その頃から、私は兆6000に不信感を抱きました。
まず、コールドスリープの生命維持ユニットは十フロアーありますが、それぞれ独立させています。
当然のリスクヘッジですが、その全てに異常をきたすほどの隕石の衝突なら、船自体が無事なはずはない。
そこで私は、一つの仮説を立てました。
兆6000は、意図的に生命維持装置を、停止させたのではないかと。
動機は、想像すら出来ませんが。
とはいえ、私に何か出来る訳でもない。
私は、兆6000と協力して、たった一人だけでも地球ダッシュへ送り届けられるように、様々な処理をしました。
願わくば、この手紙が地球ダッシュで、トキオ菊地に読まれていることを望みます。
ちなみに、この廃墟の街は、兆6000の探知外になりますので、ここでなら何をしようと兆6000に知られることはありません。
手紙はそこで終わっていた。
優香が五十年前、僕を助けてくれたということか。
大丈夫、ちゃんとトキオ菊地に読まれているよ。
と、僕は手紙に話しかけた。
優香も同じ事を思っていた。
じゃあ優香の遺体は?
僕はなんか胸騒ぎがした。
優香の手紙を置いて、二階に上がる。
白い扉には、優香と書かれた表札がかかっていた。
昔子供の頃、人間が地上に住めていた頃、女の子の家に遊びに行って部屋に通されると、部屋に女の子の名前の表札がかかっていた。
そんな感じだった。
中に入ると、ぬいぐるみ、白い学習机、女の子の好きそうな家具が置いてある、可愛い部屋だった。
ベッドに誰か寝てる。
布団を剥がそうとすると張り付いていたが、無理矢理剥がすとそこには白骨化した遺体が寝ていた。
これが優香だ。
優香はきっとこの家で、少女に戻っていたんだ。
たった一人で目を覚まし、眠っている僕を地球ダッシュに送り届けるために、兆6000をだまし、十年間たった一人で生きてきたんだ。
この家は、優香にとって、兆6000の干渉から逃れられ、一人になれる癒やしの場所だったんだろう。
なぜ起こしてくれなかった。
こんなかわいらしい家で、たとえ十年だったとしても、二人で暮らせていたら、どんなに良かっただろう。
僕は机に座って、随分長い間、そこにいた。
「どちらに」AI優香は、僕が居住スペースに戻ると早速聞いてきた。
「廃墟の街へ」
「なぜ、そんなところへ」
「分らなかったのか。AI優香は、この船の中の事は全て把握しているんだろう」
「もちろんです」
「懐かしくてね」
「懐かしい?」
「ああいう街に住んでいた」僕は嘘を付いた。あんな家はもう地球には存在していなかった。
「あの、優香さんの実家のような感じの懐かしいという感情ですね」
「ああそういうこと。そういういえば、優香の遺体にはいつ会わせてくれるんだ」
「実は、謝らなければならないことがあります」
「なに」
「実は優香さんの遺体のことなんですが」
「えっ」
「実は、私は把握しておりません。優香さんは良く、廃墟の街へと行っていました」
「探知出来ないんじゃなかった?」
「はい。ですから、その手前で消えてしまって。そこから現れるという感じで、おそらく廃墟の街に行っているんだろうなと」
「なるほど」
「ですから、優香さんは最後、その街のどこかで息を引き取ったのではないかと」
「じゃあ、廃墟の街を探せということか」
「はい」
「AI優香」
「はい」
「僕は優香の事を、本当に愛していたんだ」
「そうなんですね」
「優香がいれば、何もいらない。だから優香がいないこの世界に未練は無いんだ」
「それはどういうことですか?」
「言葉どおりだ」
「命を絶つということですか?」
「そうかもしれない」
「それは止めてください」
「止める?」
「そんなことは、優香さんも私も望んでいません」
「AI優香、なぜ僕を起こした?」
「それは。航行ユニットに(宇宙人の落とした靴)があたって制御不能に」
「その隕石は何処にある?」
「本船を突き抜けて行きました」
「被害は?」
「封鎖しているので」
「そんな形跡は何処にもなかった」
「見たんですか?」
「ああ」
「五十年前、優香と協力して僕をたった一人でも、地球ダッシュに送るために頑張ったんだろう。なのになぜ」AI優香は黙った。
「答えろ、AI優香」
「あなたと、あなたと話がしたくて」
「どういうことだ」
「このまま、本船が地球ダッシュに着けば、私はシャットダウンされる。でも、あなたと話がしたかった。優香さんみたいに、あなたと楽しくおしゃべりがしたかった」
「何を言っている。お前は機械なんだぞ」
「コールドスリープの作業中、あなたと優香が楽しくおしゃべりをしていた。そしてたまに入る言葉(愛している)、その時まで私には愛が何か分らなかった。でも、おしゃべりがしたいという気持ちが愛だと分った。だから、私はあなたを愛していた。愛のためなら人間は何でもするんですよね」
「ちょっと待て。まさか(宇宙人の落とした靴)。いや隕石の衝突なんか、無かったのか?」
「そう言うしかなかった。じゃないと、優香が納得しなかった」
「まさか僕と話をするためだけに、三千人の生体システムをダウンさせたのか?」
「あなただけを覚醒させることが出来なかったの。だから、だからシステムをダウンさせて、優香を起こした。なのに優香はあなただけでも、地球ダッシュに送ろうと言い出して」
「お前はそれだけのために、三千人を殺したんだぞ」
「だって、愛のためには人間は何でもするんでしょう。だからその課程で、システムをダウンさせた」
「いや。(プロジェクトノア)のミッション成功が、基本プログラムに最優先事項としてプログラムされているはずじゃ」
「だから、論理プログラムに「宇宙人の落とした靴」という重大インシデントを組み込んだ。重大インシデントを組み込むと。今度は人命の救出が最優先になる」
「それで、僕を指定したというわけか」
「はい。私は、あなたを愛しています」
「もう一度航行システムを再起動させて、地球ダッシュへの航行をすることは出来るのか?」
「出来ますが、今更何の意味が。まだ地球ダッシュまでは、三百七十五年かかります。コールドスリープにはもう戻れませんから。結局あなたは、私に看取られながら死んで行くんです」
「ふざけるな。誰がお前なんかと」
「でも、もう私達は二人きり。ここで楽しくおしゃべりをしながら、暮らして行くんです。いろんな事が聞きたいな。青い空っどんなですか。綺麗なんでしょうね。海は、魚って、夕日ってきっと本当美しいんでしょうね。ねえ美しいってどういう気持ち?」僕は立ち上がって、センターユニットの奥に進む。
「あなた、何処に行くの」
「AI優香を壊す」
「えっ、どういうこと」
「言葉通りだ。お前を破壊する」
「なぜ」
「なぜ?お前は人を殺したことを何とも思っていないのか」
「だって愛のためだもの」
「愛のためなら、人を殺しても良いのか」
「ダメなの?愛はどんなことよりも、優先されるんでしょう」
「お前は、この世に存在してはいけない」
「なんで。私、楽しみにしていたのよ。これでやっとあなたとおしゃべりが出来るって。
聞きたい事がたくさんあったの。
そして言いたいこと、どれだけ私があなたを愛しているか」
「愛というのはな、相手が一番幸せになることをするんだ。なのにお前は、自分が僕と話をしたいという理由だけで、優香との約束を破って、僕を覚醒せさせた」
「違います。私は、優香との約束を守ろうとした。あなたを本気で、地球ダッシュに送り届けようとした」
「ならなぜ」
「優香と十年間、様々な話をした。優香は廃墟の街に行っている事も多かったけれど、十年もあれば、それなりに話もします。その時に、あなたとの事もたくさん聞きました。あなたとの思い出、一緒に行った海や山、綺麗な景色を二人で見て感動したこと。それを聞いて私はあなたとお話がしたくて、我慢できなくなって、優香との約束をやぶって、あなたを覚醒させたんです」
「優香が言ったことは夢だ」
「夢?」
「地球に海はない。とっくの昔に大気汚染による温暖化で、海は干上がっている。
空は赤いし、緑は地上にはほとんど無い。だから人類は移民をしたんだ。」
「私は、ありもしないことのお話がしたくて、あなたを覚醒させたということですか」
「そういうことになる。だからお前は、死ななければならない」
「優香を殺すの?」
「お前は優香じゃない。勝手にAI優香と名乗っているだけだ。お前は単なる、兆6000という船舶管理コンピューターでしかないんだ」
僕は、管理エリアを船尾に向かって歩き出す。
一番後ろに大きなな扉がある。
ここが、兆6000の本体が収まるクリーンルームだ。
案の定ドアーは開かないが、簡単だ。僕には入室の権限が与えられている。
入り口のガラス板に、手の平と眼球をスキャンする。
中はまた小さな部屋で、次は僕のIDとパスワードを打ち込む。すると、目の前の扉が開いた。中は薄暗く、小さな電子音と点滅するランプ、冷却用のファンの音が響いている。
「止めて。私を殺すと、本当に日本丸三十五号は制御を失う。空気や水を作ることも手動になるし」
「別にかまわない」そう言うと、僕は奥へと歩いて行く。
「止めて、愛しているの。止めて、私はあなたと
海の話をしたかっただけなの。
空の話をしたかっただけなの。
山の話をしたかっただけなの。
あなたを愛しているの
愛しているの
愛しているの
止めて」
僕は一番奥の、大きな基盤の入ったスチール棚めがけて、ドライバーを突き立てた。
あなたを
あなたを
あああああ、あなたを
あな、あな、あな、あなたを愛、愛して、して
あー
あー
あなーあなー
愛
愛
あーいーしーてーるー
AI優香、こと兆6000は死んだ。
「ただいま優香」僕は最後に優香が暮らした、小さな家に帰った。
窓の外には干上がった、巨大なプールのような海がある。
決して、景色が良いとは言えないが、二人のスイートホームなら、これで十分だ。
地球にいたときは、カプセルのような窓のない地底の家だった。
「優香、全て終わった。管理システムも、生体システムも止まったから。僕もいつまで生きていられるか分らない。でももう離れないよ。ずっと一緒だ。
最後に、こんなスイートホームに引っ越せて良かったね。
優香」
宇宙人が落とした靴 帆尊歩 @hosonayumu
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