48. ずっとそばに(先生の視点)

 王家の姻戚の証となるシグネットリングは、正式書類に封蝋の押印に使うものだった。驚いて声が出なかった。カルロスが僕を婿に!


「陛下が?」

「嫁入り道具はこれだけ。持参金もないわ。それでも、この命令を受けていただけますか?」


僕はティナの手が微かに震えているのに気がついた。


「これは王命だから拒否権はありません。先生がお嫌なら、結婚した後に離縁してください。そのときは看護師として、先生の病院で働かせてほしい。先生のそばにいられれば、私はなんでもいいんです」


 僕は思わず、ティナを抱きしめた。誰かをこんなに愛おしいと思ったことはない。


「嫌なわけないだろう! 離れてから何度も君の夢を見た。君を傷つけてしまったことを、苦労を強いてしまったことを後悔し続けた。そんな僕を君は許してくれるのか。今もまだ僕のことを?」


 ティナが僕の背中に腕を回し、その頬を胸に擦り寄せた。ここにいるのは本物のティナだ。僕が愛して誰よりも慈しみたかった女性。


「先生、私は今も変わらずあなたを愛しています。幼い頃からあなただけを愛してきました。その気持ちはこれからも変わりません」


「ティナ、僕はかつて君の母上を愛していた。その事実は永遠に変わらない。だが、今は君を愛している。君だけを愛している。この先もずっと、君だけを愛し続ける。それでいいかい?」


「私が好きになった先生は、お母様を愛していた先生だし、私を愛してくれた先生よ。どっちも同じ人。過去も今もすべてが大切な先生の一部だわ。私はそれを丸ごと愛しているの」


「僕はもう若くない。君にふさわしい人間じゃない。誇れるものは何もないんだ。それでも?」


「先生、私を誇ってはもらえないの? 私は先生の教え子よ。あなたが手取り足取り育てた生徒。失敗作だと思う?」


 そうだった。彼女が王宮に入ったときから、僕は彼女が花開く様を見ていた。可愛かった女の子が、輝くような乙女に変身していくのは、ときには眩しくときには苦しく僕の心を揺さぶった。君の成長を嬉しく思う反面で、僕は君に惹かれる自分に戸惑っていた。君のその強さを愛さずにはいられなかった。


「そうだね。君は僕を軽々と超えた。もう教え子じゃない。尊敬すべき立派な大人。僕の自慢だよ」


「嬉しい。ようやく先生と対等になれた! でも、まだまだ教えてもらいたいことがあるの」


「僕が教えられることはもう……」


「閨房指南。これはもっと学びたいわ。先生を永遠に虜にするために。これから毎晩きちんと教えて」


「男を煽るのがうまくなったね。やはり、もう教えることはなさそうだ」


 僕がそう言うと、ティナは頬を染めたまま、恨めしそうな目を向けてきた。愛する女にこんな顔をされて、男がベッドで冷静に指南なんてできるわけがない。そういう意味では、ティナはまだまだ教え甲斐がありそうだ。


「冗談だよ。君はこれからもずっと僕の指南を受けてもらおう。一生ね」


 僕が笑ってそう言うと、ティナは真っ赤になって俯いたままこう言った。まるで、火の玉を抱いているかのように、腕の中のティナの体は熱を宿していた。


「じゃあ、今からすぐにお願いします」


 その言葉で僕にわずかに残っていた理性が吹き飛んだ。そのまま、彼女を僕の家に連れていき、互いの情熱の焔に焼け尽くされるように愛し合った。この二年、欲求というものを感じなかった。そんな僕の中の一体どこに、こんな激情が残っていたのかと思うくらいだった。


 彼女の体は、僕が教えた通りに反応をした。二年前と寸分違わない。他の男に触れられていないという何よりの証拠で、それが僕を喜ばせ行為を更に加速させた。夢中で抱き潰して、気がついたときにはすでに日付が変わっていた。


「ティナ、大丈夫か?」


「はい。先生のお嫁さんになるって、大変なんだなあって思ったわ」


 やってしまった。頭を抱える僕にティナはくすくすと笑った。


「先生、私以外はダメよ。私だけで我慢してね。それならいいわ」


「バカだな。君がそばにいて、僕が我慢なんてできるわけない」


 そうして、僕はまた彼女を貪った。今まで抑えてきた彼女への留まることを知らない愛を、思うままに注いだ。


 ずっと僕が求めて、得られなかったもの。愛する者を愛すること。愛する者に愛されること。ようやくこの手に入った素晴らしい宝物を、その心のままに求めること。


「ティナ、一生、僕のそばにいてほしい」


 その言葉が、ティナの耳に届いたかは定かではない。だが、きっと分かってもらえたと思う。僕がもうティナを離す気はないということは、彼女の体に十分教え込んだのだから。


 そうして、僕たちは結ばれた。年の差二十五歳。四十を過ぎて十代の美人妻を娶ったということで、僕のことは地元で有名になってしまった。

 だが、ティナはその優れた人柄で、すぐに人々の心を掴んだ。『怖い看護師さん』の異名を取り、この国にこの街に馴染んでいったのだった。

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