47. 再会のとき (先生の視点)

 あれから二年が経つ。僕は祖国の王立病院の院長に就任した。カルロスの叔父が統治するこの小さな国で、唯一の施設が整った無料医療を提供する場。


 毎日、押しかける民を診察しながら、職場環境を改善して治療効率を上げた。今では近隣諸国からも患者が訪れ、貴族の診察も頼まれる。そのおかげで多くの寄付が集まり、良い人材が確保できた。最新技術を提供することも可能となった。


 ティナは帝国で学業を終え、帰国して王族の義務を果たしている。再来月には他国に嫁ぐことが決まり、王都では式典の準備がされているという噂を聞いた。相手は知らない。


 全ては収まるところに収まった。これでいい。彼女は王族としての自覚を持ち、自分が進むべき道をみつけたんだ。


 その門出を喜ばなくていけないのに、つい物思いにふける。せっかくの休日も落ち着かず、自宅に隣接する病院の庭でぼんやりとタバコを吸って時間を潰していた。


 本来なら休みなく働くのが、何も考えずにいられる唯一の方法。だが、上司が働き過ぎると下の者たちが休みにくくなる。この病院は待遇がいいことで、多くの優秀な医師を集めている。僕の都合で、それをぶち壊すわけにはいかない。


「タバコばっかり吸ってちゃダメよ。医者の不養生なんて笑っちゃうわ」


 背後から聞こえた懐かしい声に、僕は思わずタバコを落とした。これは夢。何度も見た夢の続きだ。目覚めるたびに現実に戻るのが苦しくなる、あの夢をまた見ているんだ。


 僕は急いでタバコを拾ってもみ消した。声の主は確かめる必要もない。それでも、振り返ることができなかった。もし、振り返ってしまったら、この夢は一瞬で消えてしまう。それなら、もう少しだけこの夢を見ていたい。君の声を聞けるだけで、僕はまだ生きていてよかったと思えるから。


「今日はどうしたんだ。何かあったのかい?」


「挨拶にきたの」


「律儀だな。わざわざ僕に?」


「そうよ。突然で困った?」


「まさか。僕はいつも君を待っているんだ。いつ来てくれてもいい」


「本当? いいの?」


「ああ。君の声が聞けるだけで、僕は幸せだ」


 いつものように、こうして夢に出てきた君はいつのまにか消えてしまう。だが、きっとこれが最後。彼女は別れの挨拶に来てくれたんだ。


 僕はそのまま目を閉じた。そして、次に目を開けたときには、夢が消えてしまうことを覚悟した。もう何度も繰り返した夢。それなのに、今日はなぜこんなに切ないんだろう。


「私は声だけじゃ幸せになれないわ。先生のそばにいないと死んじゃうの」


 彼女の声が少し震えて、そして、僕は背中から優しく抱きしめられた。温かい体、柔らかい匂い。これは夢じゃない。現実?


「ティナ! どうして。ここで何をしているんだ? 婚礼は?」


 僕を抱きしめる腕を振りほどいて振り返ると、そこには何度も夢に見た女性が立っていた。いや、夢よりもずっと美しい。ゆるやかなカーブを描いて流れる黒髪も、健やかな肢体も。そして、忘れることができなかった、深い青の瞳も。


「今日で二年よ。私、十八歳になったの。成人した大人だから、先生の許容範囲に入ったでしょ?」


「何を言っている。君は再来月には嫁ぐんだろう?」


「そうよ。だから来たの。先生の押しかけ女房にと思って」


「どういうことだ? 意味が分からない」


 混乱する僕の胸に、ティナはそのまま飛び込んできた。最後に会ったときよりも背が伸びて、女性らしく丸みを帯びた体つきになっている。それでも、ティナはあのときのまま何も変わらない。僕が愛した彼女、そのままだった。


「きちんと医学を学んだわ。看護師の資格も取った。自炊しながら一人暮らしもしたし、ちゃんと自活できるようになった。だから、もう王族の保護はいらないの」


「国を捨てるのか? なんてばかなことを!」


「お父様が言ったのよ。王族の庇護がないと生きられない子どもは、先生の役に立たないって。だから、ちゃんと頑張ったの。どうしても、そこは譲れなかったから」


 確かに陛下はそう言った。だが、あれは君を諦めさせるための方便で、こんなことをさせるつもりじゃなかったはずだ。君を家族から引き離すなんて。


「みなが心配している。すぐに帰りなさい。婚礼までまだ日があるだろう。今なら間に合う」


「一人で帰ったら、お父様に怒られてしまうわ。国に戻るときは先生と一緒にって命令されてるの。だって、新郎がいなかったら、婚礼にならないでしょ?」


 ティナはそう言って微笑むと、僕の手を取ったままその場に跪いて深く頭を下げた。そして、僕を見上げると、潤んだ瞳を向けたままでこう言った。


「ジルベルト様。あなたこそ、私のただ一人の主君。祖国の王命により、第一王女クリスティナの降嫁をお受けください。生涯をかけてあなたにお仕えいたします」


 立ち上がったティナが、僕の手にそっと差し出したのは、家の紋章であるグリフォンと子爵家の紋章である剣を絡めてデザインした指輪印章だった。

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