43. 情熱の代償

 ここが北の塔。話には聞いていたけれど、本当に劣悪環境だわ。


 上階にある独房は空室だけれど、地下牢からは呻き声や怒号が聞こえる。小さくて真っ黒なネズミが、我が物顔でチョロチョロ走りまわる。


「暗いわね。空気も悪いし気が滅入る。お父様、本当に怒ってるのね」


「今回は致し方ないでしょうね。ちょっとタイミングも悪かったと思いますよ」


 サラさんが付き添うのを許された。お医者様ということで、いざというときのためだろう。お父様もなんだかんだ言って、割と詰めが甘い。


「ごめんなさい、サラさんにまで迷惑かけてしまって。こんなことになるとは思わなくて」


「陛下はティナ様を心配されてるんですよ。お母様譲りの美貌がどんどん評判になって、諸国から求婚が後を絶たないし、不埒な輩が御身を狙っているとも聞いてます。変な男に騙されたんじゃないかと」


「でも、相手を言うわけにはいかないの」


 体中にたくさん付けられた鬱血痕。お父様へのお目通りの前に消してもらうよう言われたけれど、どうしてもそんな気になれなかった。

 先生が付けてくれたキスマーク。たった一度だけ愛された証。これが消えてしまうなんて、考えただけで苦しい。


「ティナ様、先生と一線を超えたなら、今回の計画は成功でしょ? 一緒になれるよう、陛下にお願いすればいいだけなのに」


「それは絶対にダメ。お父様が命令したら、先生は断れないわ。無理強いしたくないの」


「は? だって、先生と愛し合ったんでしょう? 先生もティナ様のことを」


 私は黙って首を振った。愛されて結ばれたんじゃなくて、私が弱っている先生の隙に付け込んだ。これで先生を諦めるから最後にするからと、先生を脅した。


「体だけの関係なの。先生の心は私のものじゃない。無理強いしたのよ」


「先生が無理に女を抱いたりするわけが……」


「男性の生理現象を利用して、うまく誘惑しただけなの。先生の気持ちは変わらなかったわ。ずっとお母様を愛しているのよ」


「先生がそう言ったの?」


「口に出してはいないけれど。でも、私には忘れるようにって」


「愚かね。男の自己陶酔ほど見苦しいものはない」


 サラさんは頬に手を当てて、はあっと大きくため息をついた。サラさんは誤解している。先生は最後まで抵抗してくれた。私を守ってくれようとした。


「先生は私の我儘を聞いて、願いを叶えてくれただけ。それなのに、地位や権力を笠に着て結婚を望んだら、パワハラもいいところよ。一生、恨まれ続けてしまう」


「ティナ様に本気で望まれて、喜ばない男なんていないと思いますよ。こんなに愛されたのに、どこかズレてるんですよねえ。シア様の血だわ」


 サラさんは、私の服の襟元をチョイっと引いて胸元を覗き込んでから、またため息をついた。


 全身に昨夜の情事の証が、薔薇の花弁のように散らされていた。真実を知らない人が見れば、愛の執着が深すぎる証拠と思うだろう。


 でも、それは違う。これは先生の採点。私が先生の閨房指南を修了したという証拠だ。最終試験に、先生は満点を付けた。もう指南は必要ないという意思表示をされてしまった。


 それでも、先生を知った体は今も潤んで火照ったままだし、発情した雌の匂いは消せない。鏡の中の私は、誰が見ても事後だと分かるほど、肌が光り輝いていた。もう誰にだって隠しきれない。


 先生が相手だと知られてしまう前に、先手を打っておく必要があった。


「とにかく、今は陛下のお許しを待つしかないでしょうね。今後のことは、それから考えましょう」


「せっかく協力してくれたのに、チャンスを活かせなくてごめんなさい。私の魅力が足りなかったの」


 私の謝罪に、サラさんは曖昧に微笑んだだけだった。ニナ叔母様も、きっと話を聞いてがっかりしているに違いない。


 王族のままでいれば、いずれは政略結婚の駒にされてしまう。先生以外の人と結婚するくらいなら修道院に入りたい。けれど、それじゃ誰の役にも立てない。むしろ、何もできない私なんか、修道院でも足手まといだろう。


 どうせ王籍を剥奪されるのなら、男に頼らず生きていくための術を身につけたい。一生独身を貫くために、何か資格を……。看護師になりたい。それには平民になるのがいいと思った。そして、その結果がこれだった。


 そのとき、ドアが静かに開かれた。


「すごいところね。初めて入ったけれど、さすが牢獄。いかにもだわ」


「お母様っ!こんなところに来ちゃダメです。お体に障るわ。赤ちゃんが……」


「それはあなたも同じでしょう。妊娠する可能性だってあるんだから」


 お母様にそう指摘されて、急に恥ずかしくなった。私と先生の赤ちゃん? 考えたこともなかったけれど、授かっていたらすごく嬉しい。


「お母様、あの、勝手なことしてごめんなさい」


 お母様は私を優しく抱きしめて、髪を手櫛で梳くように撫でた。それを見て、サラさんは部屋を出ていった。母娘の会話ができるように気を使ってくれた。

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