44. 本当の気持ち
「あなたを王宮の外に出したのは私。閨房指南役を任命したのも。いわば共犯。それに、先生をけしかけたのもね」
「どういう意味ですか?」
お母様はあのイタズラっ子のような目をして、ふふふっと笑った。
「引導を渡したの。愛し合う男女が互いに気持ちを牽制し合って、全然進展してないみたいだったから。しかも、そのバカバカしいすれ違いが、なんの関係もない私のせいにされているなんて心外だもの」
「お母様、先生は昔からずっと、今もお母様のことを」
「そう思い込んでるのはティナで、そう思い込みたかったのは先生。確かに先生は、昔は私を好きだったかもしれない。でも、もうとっくにその気持ちは消えているの」
「そんなこと言ったら可哀想です。先生の気持ちを否定しないで」
「先生は過去の気持ちを理由にして、何とか壁を作っていたのよ。それを崩壊させたほどの情熱は愛だと思うわ」
泣き出した私の手を取って、お母様は小さな子どもに聞かせるように、ゆっくりと話し始めた。
「ティナ、人間は完璧じゃない 。間違えることもあるし、気持ちが変わってしまうこともある。それは不誠実だからじゃなくて、私たちが日々を真剣に生きているからなの。物事は変化していくし、私たちはその瞬間瞬間で、自分にとって正しい答えを見つけていくの」
「でも、お母様はずっとお父様を好きでしょう」
私がそう言うと、お母様は少しだけ瞳を揺らした。
「この国に来るまで、私はニコライ様が好きだったの。それこそ初恋よ。お兄様のお嫁さんになりたかった」
「それはブラコンでしょ? 妹が兄に憧れる」
私だってお兄様たちのことは好きだった。遊んでくれたときは特に。
「どうかしら。お兄様は従兄だけど養子で、血の繋がりはなかったの。私はそれを知ってて、だから結婚の約束をしたの。この国に来る前に」
「本当ですか?」
「子どものおままごとみたいな約束よ。お父様には内緒ね」
子供の頃の話でも、お父様が知ったらショックで寝込んでしまいそうだ。
「お父様に出会って恋をして、私はそれをすっかり忘れてしまったの。ティナは私の心変わりを責める? 私が約束を破ったって」
「まさか。そんなの子供の約束」
お母様は少し涙ぐみながら、それでも先を続けた。
「子どもだったけれど、そのときの思いは真剣だったわ。不思議ね、お兄様が亡くなって、急に思い出したの。夢を見たのよ」
「伯父様は、最後までお母様を?」
伯父様は独身で子どもがいなかった。だから、アレクセイ兄様を養子にしていた。
「どうかしらね。お兄様は逝ってしまった。問い続けることはできるけれど、もう答えを聞くことはできない。でもね、ティナ。先生は生きているのよ。ティナは先生の本当の気持ちを、きちんと知るチャンスも時間もある」
「先生は、私のことなんて…」
「本当にそう思う? 先生は私に指一本触れたことはないわ。分別ある大人の男性なの。そんな人が二十五歳も歳下の主君の娘に、気軽に手を出したりしないわ。それこそ、覚悟を決めた行為でしょう」
「あれは私が誘ったから。それに指南はお役目で……」
お母様はそれを聞いて、深くため息をついた。
「本当に強情ね。私の娘だけあるわ。困ったところって似ちゃうのね。先生はね、ティナを無理やり襲ったって言ってるの。そのせいで、ティナが混乱しているんだって。指南役としては大失態よ。職務にあるまじき振る舞いだったから、罰を受けたいって申し出ているわ。王族への暴行は死刑。先生はそれを望んでいるの」
「そんなの嘘よ! 先生は私をかばっているの。先生を誘惑したのは私なの。どうしても先生に愛されたくて!」
「じゃあ、それをきちんと伝えないと」
「お願い、お母様。お父様のところへ連れて行って! 誤解を解かなくちゃ」
お母様は黙って頷いて、私を塔から出してくれた。
先生がそんな風に私をかばうなんて。そんな高い代償を払うなんて、思ってもいなかった。私はバカだ。ちょっと考えれば分かることだったのに。先生はいつも、人のために自分が悪者になっていた。そして、いつでも私を守るために、なんでもしてくれていたのに。
「お父様っ! 先生を離してください。悪いのは私なんです」
王宮の父の元にたどり着くと、先生は衛兵に両腕を捕まれ床に跪いていた。上着は剥ぎ取られ、白いシャツはボタンが引きちぎられたようにはだけている。頭は前かがみ前方に突き出され、その首はすぐ前に突き立てられた二本の槍の交差部分に載せられている。まるで今にも首をはねられてしまいそうに見えた。
「ティナ! お前は下がっていなさい。今はこの男の取り調べ中だ」
転がるように部屋に飛び込んだ私に、お父様の叱咤が飛んだ。怖がったらダメ。逃げたら先生が罰せられてしまう。
そうして、私はお父様と先生が対峙しているその間に、割って入ったのだった。
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