35. 認めたくない思い(先生の視点)

 この指南が始まってから、僕はまともに眠れたことがない。ティナには何の責任もない。彼女はただ純粋に僕を慕ってくれている。彼女は本当に男というものを知らないし、僕の気持ちも知らない。


 だからこそ王妃は、僕を閨房指南役に指定したのだろう。すべてを承知の上で。


 王族の結婚には公開による閨の儀式がある。初めて顔を合わせた男女が、多くの立会人の前で実質的に結婚が成立したことを証明する初夜の儀。婚姻の新床に血を流すことは不吉とされるため、非処女であることが望ましい。つまり、ティナが乙女である以上、嫁ぐ前に誰かがこの役目を引き受ける。


 政略結婚が避けられないのなら、指南役はむしろ絶対にティナと結ばれない相手がいい。年相応で身分も釣り合う相手だったら、若いティナは心も奪われるだろう。ティナを一度でも抱いた男が、彼女を忘れられるわけがない。相手にも生涯続く苦しみが与えられることになる。


 互いに執着することなく、体だけに喜びを教える。それが閨房指南役のあるべき姿だ。とは言え、ティナが恐怖心を持つような相手は適切ではない。


 僕は若い頃から数々の浮名を流し、女が途切れたことはない。だが、自身は誰にも溺れることはなく、問題を起こしたこともない。

 身分と年齢というのも、僕がこの役目に選ばれた理由だろう。実の父親よりも歳上。平民出身でしかも外国人は、王女を望めるような人間じゃない。


 避けられない運命なら、王妃は娘に適切な指南役をつけたいと思ったのだろう。医者としての知識もティナの体を思えば適任だった。

 僕は生まれたときからティナを知っている。敬愛する女性の娘。現陛下の即位に伴って宮廷医に抜擢されたこともあり、娘同然に可愛がってきたし、ティナもよく懐いてくれた。


 新国王とのコネで、宮廷医に成り上がった平民医師。そんなものが高位貴族が出入りする王宮で、簡単に受け入れられるはずはない。

 表面上は当たり障りない態度を取られるが、見下されて蔑まれる孤独な日々を過ごす中、同じように王宮に馴染めないティナが僕を訪ねてくれるのが救いとなった。


 ティナと会って話をすることが日課となり、彼女を見ない日は落ち着かなくなった。医務室に来ないのは心身ともに健康な証拠なのに、彼女が元気なのかを確認するまで、気が気じゃない。いつの間にか、僕はティナの来訪を心待ちにしていた。


 まるで蛹から蝶が生まれるように、幼い少女は美しい女性へ成長した。まだ大人になりきってはいないが、そうなる日はすぐそこまで来ていた。もう言い訳はできなくなる。


 そんな状況に焦りを覚えたころ、僕はしばらくなかった女たちとの交流を頻繁に持つようになった。別に女を抱きたかったわけじゃない。ティナに決定的に呆れられて、嫌われたかった。だから、彼女が訪ねてくるような時間を絶妙に狙って女を誘った。


 どれだけ際どいシーンを見せつけても、ティナは気にせずにまた僕を訪ねてきた。まだ未成年とはいえ、男女のことは知っているだろう。それなのに、ティナは僕に愛想を尽かすこともなく、今までと何も変わらずに情愛を示してくれた。

 それを嬉しいと感じる自分に気が付かないほど、僕は頑な人間じゃない。僕は確かにティナに惹かれ始めていた。


 そんなときに来たのが、閨房指南の話だった。断れば別の誰かに話が行く。僕が断れるわけがないと、おそらく王妃は気がついていたのだ。


 最初は無防備に男を煽る危険性を諭すだけのつもりだった。少し怖い目に会えば、こんなことはやめたいと言い出すだろうと。それなのに、ティナは僕を拒むことなく、そのまま受け入れた。無茶なことをすれば警戒すると思っていたのに、彼女はますます近づくばかりだった。


 正直、彼女と同じ部屋で寝るのは、苦行以外の何物でもない。これ以上、進んではいけない。僕にこの役目は無理だ。そう思うのに、幸せそうに僕に身を寄せるティナに、無意識に囁いていた。愛してると。


 彼女に聞かれたかどうかは分からない。だが、その言葉に一番驚いたのは僕だった。そのときまで、僕にはその自覚がなかったから。だが、認めてはいけないと思った。ティナはまだ逃げられる。僕の指南からも政略結婚からも。


 若者との出会いがあればと、僕の母校を訪ねた。だが、ティナは他の男に見向きもすることなく、僕の手をしっかりと握ってくれた。今まで僕の手をあんな風に握り、しっかりと胸に抱いてくれた女性はいなかった。


 グラグラと揺れる気持ちを押し留めようと、わざとティナに王妃の話をした。若いとき、僕は王妃を愛していた。愛されることはなかったが、信頼関係で結ばれた友情は固く、それを嘆いたことはない。


 彼女のことはずっと敬愛し続けているが、恋をしているわけではない。ただ、他に愛するものが現れなかったので、僕の中の一番がいつも彼女になっていただけだった。

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