34. お風呂では


「思ったよりシアが元気そうでよかったわ。ニコライ様のことでは辛いだろうけど」


「叔母様が来てくださったおかげです。お母様、なんだか生き生きされて」


 ニナ叔母様は、歩きながら私の肩を引き寄せた。そして、私の髪を撫でながら、優しい声でこう続けた。


「あなたのおかげよ。ティナがずっと先生のそばにいたいと思ってくれて、シアは嬉しいのよ。ニコライ様が独身のままで亡くなってしまって、本当は寂しかったんじゃないかって、そればかり気にしているの。幼かったアレクセイ様を養子に出したのも、ニコライ様に家族を作ってあげたかったからだと思うわ」


「ニコライ様は、お寂しかったんでしょうか」


「さあ、こればっかりは本人しか分からないわ。でも、不幸せではなかったと思う。シアも陛下もあなたたちも、みんながニコライ様を大好きだったでしょう。きっとたくさんの家族の愛に包まれた、幸せな人生だったはずよ」


「伯父様はとても素敵な方でした。もうお会いできないなんて、本当に寂しいわ。享年四十三。先生より二つ上だわ。やだ、仮婚約者様と同じ歳なんだ!」


「そうね。異教徒王がニコライ様みたいな方だったらどうする? 先生より素敵かもしれないわよ? 実際にお会いしたら、好きになっちゃったりして」


「先生より素敵な人なんていません! それに私は先生しか好きにならないし、先生以外の人とは一緒になりたくないんです。政略結婚なんてするくらいなら、修道院に入りたいなって」


「えっ、修道院? それってどこからの発想? やだわ、なんだかすごい既視感。あなたたちって、本当に親子なのねえ」


 ニナ叔母様が、素っ頓狂な声をあげた。


「それって、お母様も修道院に興味が?」


「まあね。若い頃、修道院に行くって言ってたの。本気で条件の合う場所をリストアップしていたのには、正直引いたわね。どこまでもトンチンカンなのがシアよ」


「お母様の場合はそうでしょうけど、私はかなり高い確率でリストアップが必要になると思います。お母様に相談しておこうかな、どこがオススメなのか」


 ニナ叔母様はため息をついただけで、それに対しては何もコメントしなかった。


 それにしても、お母様って不思議な人だ。いつも優しくて正しくて、完璧な淑女だと思っていたのに。お父様のほうがずっと子供っぽいと思っていたけれど、そういうわけでもないのかな。


「陛下がいない今しか、こんな茶番は通用しないわ。ティナ、これは短期決戦になるわよ。とにかく、先生に好きだと言わせるの! 相思相愛の言質が取れれば、後はなんとでもなるわ。言動の責任を取らせるのよ」


「無理な気がします。今までだって、結構アプローチしてきたのに」


「今回は指南役の任務なのよ。先生にはティナを男好みの女に仕立てる責任があるの。自分の色に染まったティナを見て、どこまで理性が保てるか。時間との勝負になるわ」


「そういうものなんですか?」


「そういうものなの! とにかく、教わったことをそのまま使って、誘惑しまくりなさい。押して引く! 引いて押す! 駆け引きに勝たないと、その先は修道院行きよ」


「が、頑張ります」


 ニナ叔母様の言うように上手くできるか自信はない。でも、しばらくの間、先生を独り占めできる。先生が私の専属の指南役として、朝から晩まで一緒にいてくれる。それだけで、もう十分なくらい嬉しい。


 そうして、先生とお母様が話し合った結果、翌日からすぐに先生の故郷で転地療法に入ることが決定した。行先は隣国の首都に次ぐ第二の都市。川の河口に位置する港町で、ワインの輸出で有名なところだ。旅程は十日。私はその期間内で結果を出さなくてはいけなくなった。


 先生はその都市の郊外の出身で、奨学金で近隣にある大学に入学したという。その大学で書いた論文に目を止めた教授が、私の国の王立医学院へと先生を引き抜いたと聞いた。


 王宮付きの医師になってから、先生は故郷にいくつか屋敷を買ったそうだ。市内の屋敷を管理しているのは、亡き恩師の屋敷に勤めていた執事。彼なら、今回のこともうまく対処してくれるだろうと、ここが転地先に選ばれた。


 私たちがするのは疑似恋愛。私と先生とでは目的も目標も違うけれど、手段は同じになる。こうして、私と先生の秘密の閨房指南が始まったのだった。


 その指南も、今日でもう五日が過ぎる。私は先生に好きだと言われていない。押しても引いても誘惑できない。それでも指南でなら、先生は私に触れてくれる。


「先生。今夜はずっと一緒にいて。夜しかできない指南もあるでしょう? 誰にも邪魔されたくないの」


 その晩、やっと私にもニナ叔母様が言ったことの意味が理解できた。お風呂は声が響く。防音完備じゃなかったら、本当に困っていたと思う。


 そうして、意識が途切れるように眠ってしまうまで、私は先生に愛されているような錯覚に酔うことができたのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る