30. 恋愛指南【駆け引き】

「君が幸せになってくれれば、僕は十分報われれるよ。実の娘みたいなものだ。子の幸せを願わない親はいないだろう?」


 先生はそう言って、私の頭を撫でた。これは何? 私は先生の娘? 私に愛し合う喜びを教えるのは親心から?


 私たちは単なる師弟関係。先生はそう言っている。私に変な誤解や期待をさせないために、こんなにはっきりと言葉にして。


「そうね。ごめんなさい。先生の言いたいこと、よく分かりました」

「ティナ」


 私の腕をつかもうとした先生の手を、私は避けるように体の角度を変えた。今は先生に触られたくない。親子の情なんかいらない。ここまで来ても、私は先生の心を掴めなかった。


「考えなしでした。私が子供なのね」


「ティナ、君はまだ若い。今は混乱しているけれど、それは一時の気の迷いだ。僕を慕ってくれることは嬉しいが、それは錯覚だよ。そして、君がそう自覚できないかぎり、この関係はこれ以上は続けるべきじゃない」


 私が溺れてしまうなら、もう指南はできないと。先生はそうはっきりと釘を刺している。先生から指導以上のものを、愛を求めても、それには応えられないと。


 私に残された選択肢は二つ。先生の心を得るのを諦めて一緒にいてもらうか、先生を思い続けるためにこの関係を解消するか。


 それならば、選ぶ道は決まっている。


「出来の悪い生徒でごめんなさい。先生から学ぶべきことは、恋愛の手管だけじゃないのね。体だけが大人になるんじゃなくて、精神の成長も必要なんだって、ようやく分かりました」


 先生の大きな手が私の片頬にそっと触れた。これは家族愛や師弟愛。それ以外の感情はない。それでも、先生が私に触れる。優しく笑ってくれて、一緒にいてくれる。それの何が不満だろうか。


 こんな幸せは、私が王女だから手に入ったもの。親の権力をつかって先生に命令ができる立場だから。普通の女の子だったら、こんな機会は得られない。

 王族であることを利用した卑怯な行為。そんなことをして先生の心をつかむことなんて、最初から無理だったんだ。


 自分の両手で包むようにして、私は頬を撫でる先生の手に頬ずりをした。


 先生が私にしてくれることを大切にしよう。先生が何も心配することなく任務を終了できるように、私の気持ちは封印する。


「先生、私、ちゃんといい生徒になるわ。だから、どうか最後まで教えてください」


「僕がいい教師だとは思えないんだ。だから、この関係はもう……」


「先生は適任者よ。だって、私がこんな風に混乱するくらいだもの。先生の手がとても愛おしいの。だから、触れられると嬉しくて、自然と私も先生に触れたくなってしまう。こういうことが、人を愛するのに必要な気持ちでしょう? きちんと学んでるわ」


 そう言って笑おうと思ったけれど、目に涙が滲んでしまった。泣いちゃダメ! 泣いたら先生が去ってしまう。


 無理に笑ったとき、先生が私を引き寄せて抱きしめた。耳に届く早い心臓の鼓動は私のもので、先生のものじゃない。勘違いしちゃいけない。期待してもダメ。先生は私に、同情してくれているだけなんだから。


「僕には、君を正しく導ける自信がないんだ。そんな風な君を見ると、ついこうしたくなってしまう。そして、それが更に君を混乱させる」


「先生。もし先生が自然にこう動いてくれるなら、それはいい結果だと思うの。先生から学んだことを私が自然に実践して、先生もそれに応えてくれる。上手な疑似恋愛ができているってことだわ。この指南は大成功よ」


「そんな健気なことを言わないでくれ。君にしていることが正しいと思えなくなる」


 先生の声が苦しそうなので、私は先生の背中に腕を回した。気のせいかもしれないけれど、私が抱きしめる力よりも、先生の腕が私を抱く力のほうが強いと思った。


「大丈夫。この指南の目標は、私が婚約者となる方を愛して、その方に愛してもらうことでしょう? 今は先生が私のお相手の代わりだから、これで合ってるんです」


「確かに、僕は今、君をとても愛おしいと思っているよ。君がそのままの君ならば、君の夫となる男も僕と同じ気持ちになる。心から君を愛するだろう」


「嬉しい。ね、先生、もっと私を愛してください。私が愛する人に愛される人間だって自信をもてるように」


「上手な駆け引きだな。ティナ、君は優秀な生徒だ。君に愛される男は、誰でも君を愛してしまうだろう。もし君にその自信がないのなら、僕にそれをつけさせてくれ」


 先生のこの温もりは、私が望んだ熱じゃない。もし私にとってもこれが任務だとしたら、私は失敗してしまったんんだ。


 先生の腕の中で、私はお母様のことを考えていた。サラさんとニナ叔母様のことも。私の恋を応援するためにこんなチャンスをくれたのに、私はその期待に応えられなかったんだ。


 果たせそうもない約束をしたときのことが記憶から蘇ってきて、私はそっと唇を噛んだ。

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