22. 神への冒涜

「それ、本気で言っているんですか?」


 そう聞いたのに、先生はそのまま黙ってしまった。やっぱり先生はこのお役目から早く解放されたいんだ。会ったばかりのマルセラに、私を丸投げしたくなるくらいに。


 私はすずきの塩焼き、先生は鴨のポートワイン煮込みをメインに、前菜とデザートがついたスリーコース。すごく美味しいのに、先生が楽しそうじゃないので、私も食が進まなかった。

 食後のお茶を飲んだところで、やっと会話らしい会話ができたと思ったのに。なんだか、ますます気が重い。


「出ようか。もう少しお土産を見たいんだろう?」


 外に出て、『雄鶏伝説』の工芸品を買った。色違いの雄鶏の飾りのついたコルク栓をいくつか。先生の分ももちろん入っている。


 午後になって街には人通りが増えていた。この辺りは観光地で整備されているとはいえ、買い物客が車道にも溢れていいるので、馬車が通りにくい。


「聖堂の前に馬車を待たせてある。少し歩けるかい?」


「はい。でも、ちょっと疲れたかも。腕を組んでいい?」


 意識して甘えた声を出すと、先生は腕を差し出してくれた。淑女としては、軽く手をかけるだけにしておくべきだけど、先生ともっとくっつきたい。

 今しかこんなことできないからと、私はその腕を両腕で抱きかかえるようにして、がっちりとしがみついた。


 もうちょっと胸が大きかったら、ここでグイグイ押し付けたりできるのに。これじゃ、骨がゴツゴツして痛いかも。

 押し返されると思ったのに、先生は反対側の手を私の腕に重ねてから、ゆっくりと歩き出した。


 マルセラと一緒にいたとき以上に、今回は周囲の視線をガッツリ感じる。やっぱり先生の美貌はここでも注目の的。そんな人にちょこんとすり寄ってる小娘なんて、きっと滑稽に見える。


 馬車はすぐに見つかった。せっかくだからと、聖堂の中を見てから帰ることにした。


 ファザードに残されたバラ窓が歴史を感じさせる。比較的最近改装した回廊はアズレージョで飾られていて見事だった。かなり階段を登らなくてはいけないけれど、塔の頂上から眺める広場や街並みにも、その向こうに眺める川のきらめきにも心を奪われる。


 そんな美しい場所なのに、私はどうしても先生から目を離せなかった。


 入り口に置かれた聖水盤にさっと指を浸してから、床に片膝をついてその指で十字を切る。着ているジャケットの長めの裾が、優雅に床に広がって、その姿は神様でも見惚れてしまうほど洗練されていた。


 今だけ先生は私の夫。神様にも私が先生の妻だと認めてほしい。


「先生、ここを出る前に、してほしいことがあるんです」


「なんだい? 僕ができることなら、なんでも」


 よし。言質は取った! 私は礼拝堂のほうに先生を引っ張る。今はミサも祈祷もなくて、ひっそりとして人影はない。それでも、人目につきにくい奥の柱の陰まで行って立ち止まった。


「ね、キスして」


 私がそうお願いすると、先生は困ったような顔をした。


「ティナ、ここは神聖な場所。神の御前だよ」


「結婚式では誓いのキスをするでしょう? 私達は夫婦。それに、なんでもするって言ったわ。神様の前では、嘘をつくほうが問題じゃない?」


「君は小悪魔だな。それこそ神への冒涜だ」


 先生はそう言うと、私を柱に押し付けてから、少しかがむようにして唇が触れるだけのキスをした。それだけで終わりたくなくて、先生の首に腕を回すと、先生も私の腰に腕を回した。


 少しだけ唇をついばむような優しいキス。それが何度も繰り返されれば、自然と体が熱くなる。私たちは抱き合ったまま、互いの熱に触れて燃え上がる。カンパネラと呼ばれる聖堂内の小鐘がミサの予告を告げるまで、かなり長い時間をキスに夢中になっていた。


 体に灯った火はなかなか消えず、帰りの馬車の中で先生は私を膝に座らせ、今度はもっと深いキスをした。これは恋愛指南というには情熱的すぎる。その先には進めないのを苦しくに思うくらい、先生から離れるのが辛かった。


 そんな気持ちを落ち着けるために、私はすぐに湯浴みを済ませた。先生の愛撫に反応して、私の体はあきれるくらいドロドロだった。それを清めて簡素な部屋着を身につけると、少しだけお化粧をする。


「夕食はどうする? ここに運んでもらおうか?」


「まだお腹いっぱい。もっと後でもいい?」


 先生もシャワーを浴びたらしく、くつろいだ部屋着だった。すっかり元の冷静さを取り戻している。情熱も消えてしまったけれど、機嫌も良くなったと思ったのに。マルセラが買ってくれた本を部屋に届けきたことで、先生はまた不機嫌になったのだった。


 そうして、彼をレセプションルームに待たせたまま、ドアを挟んだだけの寝室で、先生は私に妻の心得を指南した。


「妻は横になっているから、夕食はいらない。呼ぶまでは、誰もここに来させないでくれ」


 眠りに落ちる寸前に、先生の声が聞こえた。記憶はそこまでで、私はそのまま深い眠りに落ちたのだった。

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