7. 恋愛指南【キス】


 川を挟んだ北側には、ポートワインのワイナリーがある。午後はそこを見学することになった。

 上流や渓谷でしか栽培できない品種の葡萄が原材料。ワインが入った樽を載せて運搬する小さな帆船はラベーロという。


「ポートワインはね、発酵途中に蒸留酒やブランデーを加えて、酵母の働きを止めるんだ。だから、苦味が少ないし、甘みが強い」


「シェリーみたいに?」


「そうだね。酒精強化ワインに分類される」


 半地下のようになったカーブと呼ばれる貯蔵庫には、たくさんの樽が置かれている。ワインを買付ける商人や高級品を購入する貴族のために、一部が見学できるようになっていた。


 ひんやりとしたワインカーブは、夏でも涼しくて肌寒い。私が両手で抱えるように二の腕をさすったのを見て、先生は自分のジャケットを脱いで、私の肩にかけてくれた。


 先生の匂いに包まれると、昨夜のことを思い出してしまう。ジャケットに残る体温は、今朝ベッドの中で感じた暖かさと同じ。自然と顔がにやけて赤くなる。


 やだ。私ったら、何を思い出してるの! むっつりスケベ!


「思ったより涼しいね。もう出ようか。君の母上のお土産に、何本かいいものを買っていこう」


 ワイナリーの出口には、ポートワインの試飲と購入ができる場所があった。先生は慣れた感じでメニューを見て、何種類か試飲するらしい。


「テーブルに座ろうか。少し休もう。まだ寒いかい?」

「少し」


 嘘だった。先生のジャケットを返したくないだけの嘘。それなのに、先生は心配して私に温かいお茶を注文してくれた。


「いい香りだな。これは三十年ものだ。ヴィンテージって言うんだよ」


 先生がグラスを少し揺らして、ポートワインの香りを嗅ぎながら言った。そして、ワインを口に含むと、うっとりと目を閉じた。お酒を飲む姿までキマっていて、思わず見とれてしまう。紅茶を飲んでいるだけなのに、酔っているみたいに顔が赤くなる。


「お酒が好きなのね。いいなあ。私も先せ……じゃなくて、ジルが好きなお酒を飲んでみたい」

「成人するまで、あと二年の辛抱だね。かなり強いから飲むときは気をつけるんだよ。口当たりがいいからってたくさん飲むとひどい目に遭うぞ」

「ね、ちょっとだけいい? 舐めるだけ」


 わざとペロっと舌なめずりをしてから、空になったグラスを取ろうとする。あっさり手首を掴まれて、阻止されてしまう。先生のほうにぐいっと腕を引かれたので、少し顔の距離が近くなってしまった。


 やだ、こんなことでドキドキして、恥ずかしい。照れ隠しに、私はすねたフリをした。


「意地悪な旦那様ね! ジルなんか嫌いになっちゃうわよ。それでもいいの?」


 わざと怒った顔を作ると、先生は優しく笑った。その顔は反則。かっこよすぎる! 先生は舞台俳優にだってなれたと思う。


 真っ赤になった顔を見られたくなくて、私は横を向こうとした。それなのに、先生は私の頬に手を当てて、自分のほうに顔を向けさせた。


「それは困るね。じゃあ、奥様の我儘を少しだけ聞いてあげよう。ポートワインの味を教えてあげるよ」


 先生はそのまま、私の唇を噛むようにキスをした。これは、どうしたらいいの? 息ができない。


「鼻で息をしてごらん。ワインの香りがするだろう」


 唇を少しだけ離して、先生はそう言った。これは、もしかして指南? キスの仕方を教えてくれるの?


 先生の言うように鼻で息をしてみると、少しだけワインの香りがした。


 こうやって息をすれば苦しくない……わけない! 先生とキスなんて、胸が爆発する! 血が沸騰する!


「僕の口の中に、少しワインの味が残っているだろう。吸い付いて味わうようにしてみなさい」


 言われたとおりに先生の口を吸うと、微かなアルコールの苦味と甘さを舌に感じた。でも、それよりずっと強く先生の匂いと味に酔わされる。


 もう無理……と思う、ほんの一瞬前の絶妙なタイミングで先生は唇を離した。肩で息をする私の頬を撫でながら、先生はお茶を飲むようにすすめてくれた。


「少し落ち着こうか。まだ、試飲は残っているからね。全部、味わってから、君が一番気に入ったものを買って帰ろう」


「先……ジル、今のは、えーと……、指南ですか」


「そうだね。でも、ワインの試飲のためだから、上手にできなくていい」


「でも、あれじゃワインの味なんて分からない」


「次は僕が飲んだら、すぐティナにも試してもらおう。味に慣れれば、違いが分かるようになるよ。幸い、この地域にはワイナリーが密集してるんだ。君の好きな味が見つかるまで回ろうか」


 先生、それは、キスに慣れるまで指南……じゃなくて、試飲が続くということ? そういうことなの? こんな人前で?


 周囲を見回すと、他のお客さんは遠慮がちに離れて座ってくれていた。北の島国のバイヤーが多いのか、山高帽を被った紳士は無関心を装っている。

 その気の使いようが、かえって私たちが目立ちまくっていることを証明していた。もう、穴があったら入りたい!

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