6. 恋愛指南【デート】

 川の両側の傾斜がある土地には、白壁にオレンジの屋根の家々がびっしりと立ち並んでいる。路地ではベランダに洗濯物が干してあったり、裸足の子どもたちが走り回ったり。庶民の生活を垣間見ることができる。


「素敵! 可愛い! こんな街があるなんて。世界には、本当に知らないことがいっぱいなのね。国に籠もっているなんて、もったいないわ」


 見るものすべてが珍しくて、私は興奮しっぱなしだった。顔が自然と上気してしまう。お酒に酔うって、こんな感じ? 街全体に漂うポートワインの甘い香りにくらくらする。


「あそこに浮かんでいる船。あの樽の中にワインが入っているんだよ。樽は何度も使い回すから、どうしても香りがついてしまう。でも、それがさらにワインの風味を増すんだよ」


 市街地をのんびりと散歩した後、私たちは港がある川岸まで下ってきた。対岸のワイナリーの前には、黒塗りの小さな船がたくさん停泊している。どの船もワインを運ぶ樽がたくさん積んであった。


 川のこちら側には、可愛いカフェやおしゃれなレストランがあって、美味しそうな匂いが漂っている。お店の前の石畳にテーブルが出て、テラス席のようになっていた。大きな白い傘で日除けがしてあるから、暑い日でもゆっくりできそう。


「せっかくだから名物料理を食べよう。タコが有名なんだよ。米と炊き込んだのもいいし、衣をつけて揚げても美味しい。ここでは魚介類を食べるべきだね」


「そうなの? 食べたい! この国は西側はみんな海だものね。新鮮な魚介類が手に入るんだわ」


 先生はメニューを見て、この国の言葉で注文をしてくれた。地続きなだけあって、この国の言葉は話せないけれど理解はできる。先生は今日のオススメや市場の様子なんかを聞いている。


 聞き違いじゃなかったら、私のためにここで一番美味しいものを出してくれって言ったと思う。すごく嬉しい! 


 そうして、出てきた料理に私たちは舌鼓を打った。


「美味しい! タコがぷりぷりなのに柔らかいの! トマトベースのスープにお米が合うわ!」


「タコ墨を使った黒い炊き込みご飯もあるよ。でも、初めてならこっちのほうがいいだろう。ほら、これはイワシの塩焼き。素朴な料理だけど、鮮度がいいから美味しいよ」


 先生が取り分けてくれる料理を、私は遠慮なく食べた。ここではお上品を気取るべきじゃない。先生の前でガサツに振る舞うのは気になるけど、変にカッコつけたら逆に目立ってしまう。


 それに、マナーなんて気にならないほど、ここの料理は美味しかった。


「すごく美味しいわ。この国の料理、大好き! 毎日食べたいくらい。移住してもいいわ!」

「そんなに気に入ってくれるなんて嬉しいよ。連れてきた甲斐があるな」


 先生は嬉しそうにニコニコ笑って、自分もたくさん食べていた。先生が美味しそうに食べているのを見ると、私もすごく嬉しくて、つい頬が緩んでしまう。


「先生、あの……」


 私が言いかけると、先生が人差し指を唇の前に立てて、「シーッ」と小さく言った。


「ここでは夫婦だ。僕のことはジルベルト。そうだね、ジルと呼んでくれ」

「え、それは無理。だって、その……」

「これは指南の一貫だ。指導に従わない子は即帰国だな」

「卑怯な! じゃあ、ジ、ジル」

「うん」


 先生はさっきよりもっと嬉しそうに笑ってくれた。こんな笑顔が見れるなんて、ここにきて本当によかった!


「ありがとう。すごく楽しいです! えーと、デートは大成功っ」


 私はそう言って、自分の顔の両脇に親指と人差し指で丸を作った。先生はそれを見て、ちょっと目を見開いた。あ、これはちょっと馬鹿っぽかったかな?


 そう思ったとき、先生の指がすっと私の顎に伸びた。先生の顔が近づいてくる。これはキ、キス? こんな公衆の面前で?


 焦って歯を食いしばってしまったせいか、先生が口づけてくれたときに、歯がカチっと当たってしまった。わ、これ失敗。


「先……、ジ、ジル、ごめんなさいっ。うまくできなくて」

「いや、まだ指南していなかったな。僕こそ悪かった。ティナがあんまり可愛いから」


 可愛い? 私が可愛いから、思わずキスしちゃったの? え、そういう意味? なんで? どこが? どこが良かったの? 私、今、何した? え、さっきのポーズが先生の萌えポイントなの?


「午後はワイナリーを見に行こう。興味深いと思うよ」


 先生はそう言うと、お店の人に合図をしてお金を払った。周囲のみんなにさっきのキスを見られていると思うと、体中が火照ってしまう。きっと真っ赤になっていると思う。顔を上げることもできない。


「可愛らしい奥様ですね」

「ええ、若い妻をもらって自慢でね」


 先生がそう言うのが聞こえた。どうしよう、設定だと分かっているけど、ドキドキが止まらない。


「さあ、もう出ようか。行くよ、奥さん」


 そういって先生が私の手を握ってくれたとき、私の心臓はもう爆発寸前だった。息が苦しい。私、この国から生きて帰れるかな。そのとき、本気でそう思ってしまった。



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