2. 他の男はイヤ

 先生は『親バカモード』で私を見ている。だから、勘違いしているだけで、私はその辺にいる普通の女の子。


「経験豊富じゃない者に、このお役目は無理です。私はいずれ他国に嫁ぐ身。仮初の関係に相手が溺れては困ります。若い男性が私を抱いて、愛さずにいられます?」


 かなり無理な見解。勘違い女っぽい響きもあり。こんなこと言ってる時点で、もうこの女は誰にも本気で愛されない臭がプンプン。でも、このままやり通す! 自分がお母様みたいな魅力的な女性だと思い込むしかない。


 私のお母様は絶世の美女。若い頃からその美を讃えられていた。私を含めて八人の子どもを産んだ後でも、その容姿は衰えることを知らない。三十八歳という年齢は、まだ女盛りだと言っていい。今でも世界中から求婚者が殺到している。


「君はもう十分に魅力的だ。本来なら指南などいらないんだよ」


「先生には私の魅力が通じない。なのに、なぜそう言い切れるんですか?」


「僕だって普通の男だ。君に惹かれないわけがない!」


 ソファーに座ったまま頭を抱えてうなだれる白衣の宮廷医。私はそっと立ち上がって先生のほうへ近づき、そのまま黙って彼を抱きしめた。


 もしも、私に少しでも気持ちがあるのなら、どうかこの依頼を受けてください。お願いだから、私を見捨てないで。一度でいいから、チャンスがほしいの。


「先生、私に愛し方を教えてください。私に触れた男性が、私に執着して手放せなくなるように。私が幸せになるためには、愛の手管を磨く必要があるんです」


 肉付きのよくない私の胸が、先生の耳に当たっている。この心臓の鼓動が聞こえませんようにと、そのときの私はただそれだけを必死に祈っていた。


「異教徒の国には『カーマ・スートラ』という愛の経典があるだろう。それ専門の宦官が姫らに手ほどきをすると聞いた。彼らのほうが適任では?」


「宦官は他国の奴隷です。そんな者にこの身を任せたくありません。それに……、怖い」


 涙が出た。先生は、私を他の男に投げてしまえるんだ。それほどに、私の相手をするのが嫌なんだろうか。先生がこちらを見上げたタイミングで、私は腕をほどいて、急いで涙を拭いた。


「すまなかった。君を泣かすつもりはなかったんだ。僕はどうかしているな。ティナを怖がらせるようなことは、絶対にさせないから安心しなさい」


 宦官の手ほどきを怖がって泣いたのだと、先生はうまいこと都合よく解釈してくれた。私がショックだったのは、そこじゃなかったんだけれど。でも、そう思ったのなら、それを利用させてもらう!


「よかった。他国の奴隷だろうが、この国の貴族だろうが、先生以外の男性は怖いです。だって、何をされるか分からないんだもの」


 両手を先生の頬を包んで、その黒曜石のような瞳を見つめた。どうか私の顔が赤くなっていませんように。先生にこの下心を悟られたら、この話は受けてもらえない。


「ティナは、僕だったら怖くない?」


「はい。先生だったら大丈夫。だって、痛くしないし、辛いときは優しくしてくれるし。いつも喜ばせてくれるから」


 先生はそれを聞いて、なぜか笑った。今夜、最初の先生の笑顔が見れて、私は少しだけホッとした。


「それは、注射や病気のときの話だろう。閨房指南はお菓子をもらって喜ぶようなこととは違うんだよ。それでも、僕なら泣かずにいられるのかい?」


「はい。先生がいいんです。お願い、この話を受けてください。私を助けて」


 これは本音。先生じゃなくちゃ嫌。どうか、私を突き放さないで。私の手を離してしまわないで。


 先生は何も答えなかった。沈黙は合意。私は先生の頬から手を離して、ソファーから少し距離を空けて立った。


「このお役目、承諾してくれますよね。明日から、私は先生のお部屋に通います」


 異論を唱えられないうちに、私はだまってスカートの端をつまみ、淑女の礼をした。そして、ドアノブに手をかけたところで、背後から先生の声が聞こえた。


「王宮では目立つ。急病の療養目的ということで、どこか別の場所に移ることにしよう。僕は君の主治医だから、一緒に行ってもおかしくない。王妃様に転地療法を進言しておこう。それでいいかい?」


「分かりました。では、その手配ができるまでは、今まで通りでお願いします」


 ドアを開けたときに、先生のため息が聞こえた。


「君は、本当に強情だな。それに度胸がある。王妃譲りだね」


 私は何も聞かなかったフリをして、そのまま医務室から退出した。なんと言われようとも、ここは我を通す! 私の人生がかかっているんだから、引き返してなるものか。


 とにかく、お母様にコトの首尾を報告しなくちゃ。先生が転地を勧めてきたら、うまくことを進めていただかないと。こういうことには、母娘の連携プレーが大事なのよ!


「お母様っ、うまくいったわ! 受けてくださるって」


 お母様のサロンのドアを開けながら、私は思わずそう叫んでいた。

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