3. 婚前旅行

 目的地は先生の故郷。首都に次ぐ隣国第二の都市で、ワインの輸出で有名な港がある。美しい街並みで観光客に人気だ。

 色々と名所もあるし、食べ物も美味しい。物価も比較的安価なので、貴族だけじゃなく、平民の新婚旅行先にも選ばれる。


 だから、私たちも新婚夫婦という設定。


 貴族には年齢差婚はそれほど珍しくない。私たちが一緒にいても目立たないというわけだ。屋敷の中だけじゃなくて、外でも堂々とベタベタしている新婚さんを見慣れているから、私たちがどこでイチャイチャしても気にする人はいない。


 そんな場所への初めての旅にワクワクする私とは対象的に、先生は特にいつもと変わらず。せっかく、馬車という密室にいるんだから、もう指南を始めてほしいのに。


「先生、あの、これは期間限定ですよ? 時間がもったいないので、もう指南してもらってもいい?」


 お母様が手配した、転地療法という名の『閨房指南期間』は十日。お父様が国を離れている間だけという約束だ。

 移動にまる一日かかるので、実質は1週間くらい。その間に、私は男を虜にする技術を習得しなくてはいけない。時間を無駄にはできない!


「こんな狭い馬車の中で、一体何をしたいんだい?」


「え、だから、密室でできること」


「どういうことを想像しているのかな? 言ってごらん」


 私が言うの? えっと、馬車の中は横になるには狭い。けど、動けないほどじゃない。なんでもできる。

 でも、いきなり高度なことは無理! どうしよう。自分から言い出したんだから、何か言わないと。


 本や話でしか知らないアレコレを想像して、頬が熱くなる。真っ赤な顔でパニックになった私を見て、先生は声を出して笑った。失礼な!


「ごめん。ティナがあんまり面白い顔をしているから。何を考えてるかだいたい分かったよ。ずいぶん頑張ったね」


「面白いって。ひどっ。からかったのね!」


 エッチな考えを見透かされたのが恥ずかしくて、私は向かいに座る先生の胸をポカポカと叩いた。先生は顔の前に両手を上げて、謝りながら私の攻撃を防ぐような格好をしていた。顔はまだ笑っている。


「じゃあ、ティナの期待に応えようか。おいで」


 先生は私の手首を掴んで自分のほうにぐいっと引いた。いきなりだったので、あっという間に先生の膝の上に腰掛けてしまった。


 うわっ、これは、こ・れ・は! アレかな。お触り? 背後から、あちこち触られちゃうやつ。え、えーと、そういう場合は私はどうすれば? あ、そうか、そこを指南してもらうんだ。


「先生、これはあの、私どうしたらいい? 反応の仕方が分からないんですけど……。ご、ご指導お願いしますっ」


 先生の両手が置かれているお腹の辺りが熱い。やだ、なんか変な汗が出てきたかも。汗臭くなっちゃったらヤダっ。香水! 香水はどこだっけ?


「ティナがこんなにガチガチだと、はっきり言って手が出せないね。そんなに真面目に構えられると、こっちも緊張するよ。まあ、こういう初心な反応というのも可愛くて、意外と男ウケはいいんだよ。何もしなくていいから、そのまま座っていなさい」


 先生はそういうと、右手だけをお腹から下のほうに滑らせた。え? いきなりソコ? 嘘でしょ。え、え、え、ええええええ!

 大パニックで沸騰したように真っ赤になった頬に、先生の吐息がかかる。ぎゃああああ!


 私の期待とは裏腹に、先生の右手の行き先は私の想像していた場所から逸れて、拳を握ったままの私の右手の上に置かれた。


「そんなにガッチリ握ると、爪の跡がついてしまうよ。手をゆっくり開いてごらん。大丈夫。何もしないから緊張しなくていい。深呼吸して」


 私は大きく息を吸って吐いた。何回か繰り返すと、少し落ちついた気がした。そして、言われた通りにゆっくりと拳を開くと、手のひらにがっつりと爪痕が付いていた。しっかり赤くなっている。


「本当だわ。力入ってた」

「だろう? こんなきれいな手を傷つけちゃだめだ」


 先生の両手が私の両手を包んだ。親指で手のひらについた跡を消すように、押すように撫でてくれる。これはこれでちょっと、いや、かなり恥ずかしい。体が火がつくみたいに熱くなった。


 私の熱は伝わっているはずなのに、先生は特に気にした風もなく、そのままマッサージを続けている。


「手のひらには、いろいろなツボがある。東洋医学は馬鹿にできないんだよ。リラックスできるから、もう少し続けるよ。ほら、窓の外を見てごらん。もう北の景色だ」


 王都からすいぶんと北上した。広いこの国は北と南では気候が違う。北は雨が多くなるので、緑が濃くて土も黒っぽい。水が潤沢だと自然も潤う。


「本当だ! 気が付かなかった。風光明媚ってこういうのを言うのね」


「田舎だろう? 西に向かって国境を超えれば、僕の生まれ故郷だ。甘いワインを作っている街だよ」


「お母様が好きなポートワインでしょう? よく食後にチーズと一緒にいただいてました」


 私は得意げにそう言った。

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