第3話
窓から入る陽光を受けて、じわじわと意識を取り戻すように目を覚ました。壁に掛けられた時計は10時20分を差している。これほど眠ったのはいつぶりだろうか。
しばらくのあいだ私は起き上がりもせず、ここ2ヶ月の航海を断片的に回想していた。船上から生きたまま海に捨てた奴隷の喘ぎや、彼らをを木刀で殴打した時に聴いた頭蓋骨の砕ける音などが思い出された。
しかし残念ながら――と言うべきか分からないが――これらの記憶が私の精神を疲弊させることは一切なかった。
罪の意識が全く無いかと問われれば、それは否だ。しかし私は、守るべき他者のために別の他者を殺めることは、究極的な愛の証だと信じている。換言すれば、普遍的な人間愛は欺瞞であり、愛する対象は自分で選択しなくてはならないと思っている。それは我々人間の存在が万能ではないことを鑑みれば当然のことである。
奴隷に我々がするような仕打ちを施したい人間など、最初から存在しない。少なくともまともな理性を持っている人間ならそうだ。
ただ、愛する国と家族を守るためには奴隷が必要である。その純然たる事実が存在する。
私たちの国では、仲睦まじく暮らす夫婦も、無邪気な笑顔に溢れる子供たちも、皆が奴隷の労働に依存して生きている。年齢も性別も思想も関係がない。全員が知らない土地の他者の命を燃やして生きている。
私と一般市民との違いがあるとすれば、それは直接的に他者の命を奪うか、間接的に他者の命を搾取するかという程度のことでしかない。
それらが同胞にすら理解されないことも、私は知っている。その場で命に手を掛ける者だけが残忍で非情な人間であると、皆そう思いたいのだ。
それでも私がこの仕事をするのは、この職に就いてしまえば信じられる思想がただ一つに確定するからである。
守るべき者の為に無関係の他者へ痛みを与えること。その苦悩と罪の意識を自らが引き受けること。これこそが究極の痛みであり、自己犠牲であり、正義であり、愛である。私はそう信じている。
私は正義の相対性を冷笑して生きられるほど器用な人間ではない。だから、この究極の痛みだけが、この苦しみだけが、私に生きる意味を贈与するのだ。
—— 暇になると思考が抽象論に向かうのは私の悪い癖だ。
こんなもっともらしい理屈を思案しても、自分の死を目前にしたとき私が何に縋るのかはまだ分からない。今はただ、私の信じるこの正義が、我が国とそこに暮らす人々を救うことを願っている。
私は気を紛らわせようとして、ベッドに寝転がったまま手の指を組んで体を伸ばした。外から子供のはしゃぐ声が聞こえる。
寝床から出て部屋の窓を開けた。海風が舞い込んでドアがバタバタと音を立てた。
夜の間は気付かなかったが、窓の外には水平の海が広がっている。真下には道を往来する人々が見える。
外の景色を眺めていると少し気分が晴れた。
海から見る海は憂鬱そのものだが、陸から見る海は美しい。
居ても立っても居られなくなって、私は宿を出て街の中を歩き出した。
ただそれだけのことが享楽に感じられる程に、私は束の間の内地に焦がれていた。
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