第2話
停泊所に到着した頃、日は既に落ちて上弦の月が海面を黒く輝かせていた。朝と変わらず空は晴れ、海は穏やかである。
船が埠頭に固定された後、船長にしばらく室内で待機するように命じられ、私たち船員はパンと燻製の余りを齧って時間を潰していた。一時間ほど経ったあたりで船会社の者がぞろぞろと私たちの待機する部屋へ入ってきて、船員の名前を一人ずつ呼んでは報酬を手渡した。
私も二ヵ月分の報酬を受け取って、長い旅を共にした船と同業者たちに別れを告げた。
埠頭へ降りると私は街の方へ歩き出した。夏の夜風に当たりながら、宿を求めてとぼとぼと家屋敷の並ぶ街路を進んでゆく。
もう日付が変わろうとする時間帯だが、まだ街には明かりのついた屋敷が点在していた。時折、どこからともなく漂う嗜好品の香りが鼻腔を吹き抜け、長きに渡って抑圧されていた私の食欲を刺激した。酒場に寄って肉と供に蒸留酒を痛飲したい気分だが、まずは宿を見つけなくてはならない。
手荷物の重さに耐えながら歩を進めてしばらく経つと、荒い石畳の街道に導かれるようにして一軒の木造の館へ辿り着いた。深夜に聳える館はえらく荘厳な様相をしており、合計8部屋程度はありそうな二階建てであった。古ぼけた看板には読み難い書体で『宿所クラリッジ』とある。
入口玄関の扉は開いており、白髪の初老男性が受付の前に腰を掛けているのが外から確認できた。カウンターの上に置かれたオイルランタンが橙色の光を灯している。
「どうも、まだ空いてますか?」
私が玄関の前で声を掛けると、受付係の男は椅子に座ったまま私に館の中へ入るよう促した。そして引き出しから見積書と帳簿を取り出し、万年筆を左手に握った。
「お名前は」
「コギト・ペンローズといいます」
「いつまでご滞在ですか」
「今日から6泊です」
男は必要事項を私に尋ね、素早く見積書を書き上げると、カウンターの上を滑らすようにそれを提示した。
さっき手にした給料袋から紙幣を抜き取って男に渡す。
「2階に上がって一番奥の部屋です。浴場と便所は一階で共用です。それではごゆっくり」
宿所の廊下と階段は薄暗く、歩を進めるたびに床が音を立てた。
指定された部屋に入ると私は手にあった荷物を置いて、扉の掛け金を閉めた。
目を凝らして部屋を見渡すが、今時珍しく照明は蝋燭しかない。着火するのも面倒なので窓から入る街灯の光だけで一夜を凌ぐことにした。
部屋の隅に置かれたベッドに腰を掛けてひと息ついた後、私は背中から倒れるようにして横になった。
こうなると再度立ち上がる気力は消え失せ、天井を眺めている間に瞼が重くなり、しだいに意識が遠のいて私は気絶するように眠った。
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