【急】ばいばい

 夕日はとうに落ち、べにが一割にも満たなくなった夜道の街灯に照らされながら──腋にモニターを挟み、台車を倒さないよう斜めにキャスターを引きずっていた。

 タクシーでも捕まえたかったが学生如きにそんな金も無く、バスに彼女を乗せて行く勇気も無かった。


 パーツが落ちてないか後方確認しながら、千弥ちひろが入っているボックスを一瞥いちべつする。


 これに千弥がいるなんて、いまだに信じられない。


「お前迎えはどうしたんだよ。いつも来てんじゃん」


 教室の窓から時折、校門前で見慣れない作業服を着ている男たちに車へ乗せられるところを何度か見た事がある。

 その光景は帰宅というより回収に近いが。


『来ない様にしてたから』

「来ない様にって……」


 妙に引っ掛かる言葉に疑問を抱きながらも、千弥は続ける。


『普段、GPSとかカメラからの情報でサポートのスタッフさん達は私を家に帰してくれたり、何かあった時に来てくれるの』

「んじゃ、今がその何かあった時じゃんか」


 俺の言葉に、千弥は言いにくそうにしながらも打ち明けだす。


『その……GPSやカメラの機能……今、切ってるから……』

「なんでそんな事すんだよ! 一人であんな階段前にいて……」


 瞬間、想像したくもない事が直感し俺は眉を顰め口を閉じた。

 だが、それでも聞くことにした。


「お前、自殺でもするつもりだったのか?」


 二人の間に一瞬の沈黙が流れた。

 それがどれほど痛く冷たいものなのか、今の千弥が解るか見当もつかない。




「機械は自殺なんてしないよ」




 平然と、愛らしく生成された声が機械越しに響く。




「機械は自分の体か他人に壊されるしか死ぬ選択肢なんて無いんだよ」




 一年前と変わらぬ口調でそう言った。




 じゃあ、さっきのお前は何をしようとしてたんだ。


 ※


「相変わらずでっけぇ家……」


 千弥を連れてくること早三十分。

 四肢が悲鳴を上げつつも広々とした大きな一軒家の前に到着した。

 視界に広がる小さな豪邸のような煌びやかさ、昔ここまで送って行ってあげてたのも懐かしく感じる。


『ヒロ君』


 勇気を出してチャイムを押そうとした途端、千弥が名前を呼んだ。


『……会ってく?』


 一瞬、その言葉に心臓の鼓動が怪訝おかしくなるが悟られぬよう平然とした態度で振る舞っていく。


「誰に?」

に』


 言葉が詰まりだした。

 悪寒が背筋を駆け、唇が震えかける。


 助けられなくて、変わり果てた千弥を見て逃げ出してしまった俺に会う資格なんてない。

 そう言って、この場を逃げ出してしまいたかった。




「…………うん」


 だけど、それだとただ繰り返してしまうだけ。

 そんなのを免罪符にして逃げているのであれば、本当にガキ以下だ。


 腹立たしいが、合歓ねむの言っていた事は正しい。


 チャイムを鳴らすと、名前を名乗るよりも早く玄関の扉が勢いよく開きだした。

 出てきたのは身なりの整った初老の男で、彼は焦りを隠さずに俺たちを凝視し、駆け足のまま近寄ってきた。

 モニター画面が割れ、数箇所が破損した彼女の惨状を見て血相を変えるも、すぐに落ち着きを取り戻し──「良かった」と優しい笑みを浮かべる。




 千弥の家へと上げてもらい、縮こまりながらも大きなソファに座るとカップに注いだコーヒーを御馳走してくれた。


「こんな物しか出せなくて悪いね」

「いえ、お構いなく」


 少し申し訳なさそうにしながらもコーヒーを口に含み、初老の男──“千弥のお父さん”と視線を重ねる。

 コーヒーの品種はわからないがほんのりと優しい味を感じ、少しだけ落ち着くことが出来た。


『お父さん、ヒロ君に“私”を会わせてあげて』


 早速さっそく彼女はお願いすると、お父さんは少しバツを悪そうにしながらも専用の台車から分解して取りだした千弥の脳みそが入ったボックスを両手に持って、大きな部屋へと誘導してくれた。


 十人ほどが集まって食事ができるような広い一室。

 そんな何も置かれていない静かな部屋の真ん中に──白く大きな鉄の棺桶が置かれていた。

 一点だけが硝子張りとなっていた箇所を覗き込むと、




 俺の知っている大飼千弥おおがい ちひろがいた。




 削り取られていたにも関わらず、顔の状態は一年前の形を保ったまま深い眠りについている。

 久方ぶりの再開に、声が情けなくも漏れそうになる。

 大きな水晶ひとみを隠すためのまぶた

 一、二回程重ねた小さい唇。


 しかし、桃色だった頬は血を抜かれ白く凍えてしまっている。


 トラックに轢かれて全身が壊れた彼女、やっと会えたというのに。

 もうこの体ここにはいない。




『そろそろ焼くんだって、その体』


 聞き慣れた聲を聞き取り、ゆっくりと振り返った。

 今、彼女は機械の中そこにいる。


 すると、千弥を持ちながらお父さんが続いて口を開きだした。


「昨日話しあったんだ。『いつまでも冷凍保存してないで火葬して欲しい』って言われてね。

 いつまでもこうやって手元に置いておく訳にはいかないし、早く土に返してあげないとね」


 その時のお父さんの表情は、微笑を浮かべていながらも悔やんでいるようだった。


「あの事故が起きた日から僕は何とかして千弥を生き返らせようとした。

 それが口論となって妻とは離婚、金に物を言わせて千弥をこんな形で生き返らせてしまった」


 悲し気な声色で後悔を口にした父に、千弥は沈黙して二の句を継げようとはしない。


「完璧に移植することは出来た、まさに奇跡だった。

 ……そのはずなのに胸に開いてしまった穴は埋まらない。自分のエゴで娘の命を踏みにじったような気がしてならなかった」


 罪悪感にお父さんの感情は暗くなり、声色も徐々に小さくなっていく。


「今はこうやって人を別の形に移したり、ペットのクローンを作ったりと技術が発展した。

 ──しかし、見た目が同じでも中身は違う。中身がそのままでも見た目は別物。肉体と魂の不一致、生き返らせた人物を追い詰めて自分をも苦しめる愚行に過ぎないと実感したよ」


 お父さんは千弥のボックスを自分の目の前まで持ち上げ、カメラと視線を合わせだす。

 その姿は産まれたばかりの赤子を抱き抱える父親そのものだった。


「お前は、生き返って嬉しかったか……?」


 静寂に包まれ、千弥は何も答えない。

 父親の顔を彼女はカメラで捉えている、生前育ててくれた優しい父親の顔を。


『私、は……』


 小さく、声が流れてくる。




『今日、自殺しようとした……』




 機械となった娘は告白する。

 思いがけない言葉にお父さんは驚嘆して目を見開き、此方こちらを尻目に一瞥すると双眸そうぼうつぶった。


「……そうか」

『生き返ったら機械になってて……お母さんはいないし、お父さんはやつれてるし……。

 それに……この体がいつか私を殺すんじゃないかって、手足もない、服も切れない、お父さんが死んだら……これから……どうしようかと思って……くだらない事を、思っちゃって』


 流れてくる悲し気な声には流れ出ない涙が含まれていて、空気を雨色に塗り変えていく。


「すまない……」


 強い声を発し、お父さんは千弥を抱きしめる。


「いつも元気にしていたからとお前の気持ちなんて考えても無かった。本当にすまない……生き返らせてしまって……」


 すると彼の目頭から涙が溢れ出して、男は嗚咽を溢しながらも機械の娘に謝り続けた。


『……ううん、良いの』


 されど、そんな父親の言葉に彼女は優しく応える。


『もう良いの……ヒロ君に助けられて、私は“こういう人間”として生きていくって決めたから、体は機械だけど心は人間。それで良いの』


 強く、硬い決心を言葉として乗せていく。


『私は明日に向かうよ』


 お父さんの嗚咽はいつの間にか止まっており、小さく何度も頷きながら彼女の道を歓迎した。


『ヒロ君』


 名前を呼び、二つの小さなカメラが今度は俺の方を捉えだす。


『私大学行く。経理とかそういうの……機械でも雇ってくれるところ、あると思うから』

「……うん」


 彼女は、もう既に自分の未来へと視線を定めている。

 それがとても眩しい。


「ヒロ君も、ヒロ君自身の明日を見て欲しいんだ。私はもう……貴方の知っている私じゃないから……だから、私を助けられなかったことを後悔しないで……私、気にしてないから』

「……うん」


 言わなくても、彼女は最初からきっと分かっていた。


『だから……バイバイって……私に……さよならを、して』


 彼女の聲が、いつもよりも鮮明に、耳元にいるように感じられた。

 静かに頷くと、俺はまた硝子張りに千弥の顔が見える棺桶の前に再び立つ。


 ──愛していた、たぶん今も好きだ、だけどもう会えないから。


 澎湃ほうほうと涙が頬を伝るが拭おうともせずに、硝子越しに顔を近づけていく。

 水滴が硝子の上に垂れ落ちては彼女の顔を少しずつ隠していった。


 その前に早く言わなくては。









「じゃあな、千弥」


 この日、俺たちは別れた。

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