【破】ちょっと

「脳みそを機械に移植した⁉」


 一年前、彼女の友達たちだった子達は歪な姿で再登校してきた千弥ちひろを囲み、口並を揃えて甲高い声を上げる。

 周りの生徒も機械になった彼女を遠目に観察し──廊下も他クラスの生徒たちが千弥を見物しようと密集し、ろくにトイレも行けやしない。


 女子たちのよく通る声や千弥のスピーカーから響いてくる会話で、大体の状況は耳に入ってきた。


『──うん。真ん中に設置されてある機械のボックスには私の脳みそが入ってて、そこから発信する脳波を通じて調整してもらったキャラクターモデルがこういう感じでモニター越しに動くんだ。

 世界でもまだ二人くらいしか実例が無かったんだって』


 『高校一年の内容も全てインプットしたからと進級も平気だった』と陽気に説明をしながら、千弥のキャラクターモデルは身振り手振りをしながら様々な表情を見せていた。


「いや、モデルってほぼ本人じゃん! 本物そっくり過ぎ」

「うんうん、一年前の千弥まんまで超リアル」


 最新技術にはしゃぐ女子たちの姿を遠くの席で傍観ぼうかんし、友人たちは顔をしかめ合う。


「いやぁ……完全にディストピア世界のゲームなんだよ。こんなのありなんだ……」

「でも実際に目の前にいるし」


 二人が話し合う傍らで、俺は机に突っ伏したまま機械となった千弥を視線に収めている。


 いったい、何があって……だってあの時……。


「そういえば千弥って、穹一ひろかずと付き合ってなかったか?」


 友達の何気ない一言に、心が背後から刺されたかのような悪感が襲いだした。


「あ、あぁ……」


 それに対して俺は視線を合わせないまま、何処そこはかとなく言葉を返した。


「じゃあ何で話しかけに行かないんだよ」


 当然の疑問。

 二人の視線がこれほど痛いと感じた事は無く、千弥にすらも視線を落としてしまう。


「あとで話しかけるよ……」


 逃避行気味な事を呟き、また彼女へと視線を定めていく。

 日を浴びて全身を囲む黒い鉄に一点の白を浴びている彼女の中身は、一年前と何も変わっていないように感じる。




『でもこうやって、皆とまた話せて良かったよ~!』




 でも、どうやって話しかければ良いんだよ。



 ※


 休み時間、廊下の壁へと凭れ掛かり通り過ぎていく生徒達を見つめ出した。


 再登校してから二週間が経ち、学校は落ち着きを取り戻しつつあった。

 人間はその目で認識さえしてしまえば、案外すんなりと適応できてしまう種なのだろう。


 しかし、俺は簡単にそうなることはできない。


 彼女に話しかけられぬまま、そして何処となく避けられている様にも感じていた。

 それも当然と言えば当然──助けに行ったのに間に合わなくて、酷く顔が削れてしまった彼女を見て逃げ出してしまった彼氏など恋人失格だ。


 俺には千弥を思う資格なんて無い。一年という時間の壁と俺の弱さ、そして変わり果てた彼女に掛けてあげる言葉なんて──


「随分とやつれてるじゃないっすか」


 そこに突然、現れた合歓ねむはスマホを弄りながら隣の壁に寄り掛かってきた。

 このタイミングで……。


「昨日のバイトで疲れてんだよ」

「バイト一カ月前に辞めたくせに」

「そうだったけな」


 面倒くさいからと曖昧な返しをしてその場を去ってくれる事を望むが、彼女はその場から離れずに動画ばかり再生している。


「まだ千弥のこと好きなの?」


 平然と、鋭い声色で合歓は問いてくる。


「そりゃ、そうだよ」


 本当かもわからず揺らいでいる心のまま、俺はそう答えた。

 逃げ出した人に愛する資格もない癖に。

 見栄でも張りたかったのか、虚栄は何も意味を成さないというのに。


 そんな俺の惨めさを合歓は鼻で嗤う。


「んじゃあ、何で話しかけないんすか?」

「それは……」

「それで付き合ってるとかどういうギャグ」

「黙れ、友達のところにでも戻れよ」


 嘘など無い、純粋で率直な言葉に俺は苛立ちを募らせてしまう。

 俺が口にしようと、スマホに映る女の子を見つめる合歓の饒舌じょうぜつは止まらない。


「あんなロボットみたいな感じになったくらいで気持ちが揺らいでんなら、ちゃんと言って別れた方が──」

「うるせぇな! 俺だってわかんねぇんだよ! どうすれば良いとかさ!」


 堪忍袋の緒が切れ、爆発のような怒声を発してしまうと周りを歩いていた人たちは驚いた表情で此方こちらに視線を集中させた。


 完全に注目の的になってしまいながらも目の前の合歓は動じずに、一点先を指さす。


「後ろ」


 言葉通りに振り向くと、そこには四角く異質な……無表情な千弥がモニターに映りながら此方を見据えていた。


 予想外の事で慌てながらも名前を呼ぼうとした瞬間、千弥は反転してクラスの方へと機械の体を急がせた。

 その背中に呼びかけようとしたが、クラスとは逆にあるトイレの方へと俺は思わず駆け出してしまう。


 そんな逃げていく俺の後ろ姿に、合歓は微かに舌打ちを溢していた。


 ※


 次の日になっても気持ちが晴れるはずもない。

 解放感満ち溢れる放課後の帰り道すらも億劫おっくうな一本道にしか感じられない。

 河川敷のアスファルトで出来た道の先にある物なんて知っているはずなのに、今は陽炎のように視界が揺らめいて見えて仕方ない。

 もはや出る溜息も無く──


 避けていても、それは一度向き合わなくてはならなくて。


「……あ」


 を視界に入れると、俺は脚を止めた。

 道の横にある少々急斜面気味の長い階段、その前に身に覚えのある黒い機械がポツリと置いてあった。


 ──アイツ、いつも迎え来てなかったっけ。


 何でこんな所に千弥がいるのかは知らない。いったいあの体で何を思い、何を夢見ているのかも検討も付かない。

 今が話しかけれるタイミングだ、他に歩行者もいない。


 だというのに、俺は。


 俯いて、彼女の後ろを通り過ぎようと足を速めていく。


 そんな事をしても意味ないというのに、逃げていても何も始まらないというのに。

 それを解っておいて、どうしてそうしない。




 ──キャリキャリキャリッ。




 キャスターが軋み動く音に、ふと振り返った。


 瞬間、体を解き放たれた弓矢のように走らせた。


 あの時の夜のように、彼女を助けようとして。




 階段を転がり落ちていく千弥の前に回り込んで受け止めると、バランスを崩したまま一緒に下へと落ちてしまった。

 硬く重たくなった千弥に潰されて全身が痛かったが、俺は彼女の状態を見渡した。

 支えていた四脚のうちの一脚が曲がり、彼女のキャラクターモデルを映し出すためのモニターは打ち付けたのか極彩色の亀裂が走っている。


「おい、千弥! 大丈夫か! どっか痛くねぇかよ!」


 叫ぶも返答は無く、焦りが心に降り積もりながら確認しようとした。




『──久しぶりに話してくれたね、ヒロ君』


 夕焼け色に染まった赤い道。

 そんな何時か聞いたような彼女の明るい微笑が、微かにスピーカーから流れてきた。

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