【完】私にさよならをして

糖園 理違

【序】初めまして

 飲み干したいほど、嫌な夜があった。




 ──助けて、ヒロ君! 私、殺される!




 お互いの家へと別れた帰り道、千弥ちひろは電話越しでそう叫んだ。


「追われてる? 今どういう状況?」




 ──変な男の人が後ろから追いかけて来てて……ッ! な、ナイフ持ってる!




 携帯越しに伝染してくる恐怖心に駆られ、何処にいるかもわからないまま俺はその場を駆けだして行く。

 奔る姿を照らしてくる車や電柱のライトが俺をせがませてるように影を作り、走る脚を徐々に速まらせてゆく。


 最悪、その不審者と素手でやり合う覚悟をしなくてはならない。


 肩で息をしながらも、安心させるべく電話越しに声を掛け続けた。


「待ってろ千弥! 今迎えに行くから! 今どこだ!」


 ──今信号渡ってて、前にはこの前放課後で一緒に行ったハンバーガー屋さんが











 ガンッ。




 突如、激しくけたたましい衝突音が鼓膜をつんざき──電話が途切れた。


「千弥……?」


 嫌な予感が脳裏を揺さぶり、呼吸が掠れる。

 再度掛けてみるも『お繋ぎできません』と決まった言葉しか返ってこない。


「……ハンバーガー」


 その場で唖然としたまま最後の言葉を思い出し、俺は重たい脚を引きずってその場所へと向かって行った。


 八分くらいで着くと野次馬がパトカーや救急車を中心に囲んでおり、人々の隙間からバンパーが凹んだトラックが見える。

 そして地面の方には、ブルーシートを上に掛けたまま何かが放置されていた。


 少し盛り上がったように置かれたれ。


 すると何処からともなく一人の男が狂乱としながら侵入してきて、ブルーシートに包まれていたモノを抱き抱えだした。

 寄り添うように、顔を涙と鼻水で滅茶苦茶にしながら、男は警察に抑えられながら号泣し続けている。


 あの男を、俺は知っている。


 刹那、はらりとブルーシートの中身が剥がれ──




 が合った。


 瞬間人々が悲鳴を上げて、俺は思わずその場を逃げ出してしまった。

 信じたくはなかった、あんな荒く削れた顔、片方が潰れた目、アレが──


 嗚呼、当分罪悪感の中で眠りにつかなくてはならない。


 ※


穹一ひろかず、ちょっと来て」


 机で二人の友達と談笑していた最中さなか、仏頂面で此方を見下ろしながら合歓ねむが誘って来た。


「……わかった」

「ん」


 機嫌が悪そうな彼女に溜息を溢し、友人たちは煽り煽てるように「おぉ~?」と言いながら頬を緩ませていた。


「おぉ~! やったな穹一!」

「ハメ撮り見せろよ~!」


 「アホ」と一蹴し、短いスカート丈を指先で掴みながら前を歩く合歓に続いてゆくと廊下を出て、彼女は手鏡を見ながらコンシーラーで目元のメイクを治し始めた。


 廊下で堂々と校則違反、だから“誰とでもする”なんて噂を流される。


「あのさ」


 と視線も合わせずに、紅を塗られた唇で話しかけてくる。


「この前の返事……OK?」

「NOだよ」


 予想の付いていた合歓の質問に小声で答える。

 すると目元を手鏡で確認しながら、合歓も予想通りと言いたげに溜息を溢す。


「いつまであのことを引きずってるの? もう経つしさ……良いじゃん、私でも」

「やめろよ、そういう言い方」

「別に良いよ、どうせありもしない噂ばっか流れてるから」


 少々畏縮いじけたような様子を見せる彼女に声を掛けようとしたが、突然チャイムが鳴り合歓は無言のまま先に教室へと戻って行ってしまった。


 ──引きずっている、か。バレバレだな……。




 朝のホームルームが始まると、先生は何処か浮かれない様子を見せながらも口を開きだした。


「えぇっと……今日から新たな生徒が、このクラスに入ってくる」


 学校の伝統文句を聞いた途端、皆が伝染されたかのように隣の席の子たちと顔を合わせ、「転校生? いきなりだね」「あぁ、だから後ろの席一個ねぇのか」等と会話を弾ませた。


「はいはい、静かに!」


 先生の言葉で多少沈黙するも一部は止めることなく会話を続け、先生はそのまま内容の続きを紡いでいく。


「しかし、“新たな生徒”というのは少し語弊で……その生徒は一年前から休校していて、今日からという感じになる」


 違和感しかない言葉の内容に、無論みなは再度どよめきだした。


 休校? 誰それ?

 そんな子いたっけ。

 死んだ子ならいるけど……。


 自分でも意味が解らないまま心臓の鼓動は上がっていき、爆発寸前まで押し上げられるように徐々に胸が苦しくなっていくのを感じた。


「じゃあ今から入って来てもらうが、あんまり変なこと言うんじゃないぞ」


 そう言いながら先生が扉を開けると、全員で廊下を凝視しながら再登校の子が入室してくるのを待ち詫びた。




 すると廊下の方から『ウィィィン』という駆動音が、此方に向かって段々と近寄ってくるのを皆が聞き取った。

 見当もつかない相手に「電動車椅子?」などと会話する小声を微かに聞いていると、“彼女”は入って来た。




 扉の段差で全体が微々に揺れ、その姿に皆が目を丸くして唖然としたまま“彼女”を観察する。

 しかし、という言い方はおかしいのかもしれない。






 何せ人間らしいところなどのだから。




 下に付いていたのは双脚そうきょくではなく、台車のように転がり続ける四脚のキャスター。

 見た目は箱の様に四角く武骨な造形シルエットで、中央にはデスクトップPCの様なボックスが厳重に保護されていて──その上には、大きなモニターが設置されている。




 教卓の前に止まったのは、明らかに異質な全自動マシン。




 しかし、それよりも俺が声を殺してしまったのは──そのモニターに制服姿の女子が映っていたからだ。

 身に覚えない訳がなく、だった子達は口元を抑えながらまばらにその名を声にする。


 まるでビデオ通話や動画を見ているようだが、その動作や表情は──


「じゃ、じゃあ一応、自己紹介を頼む」











『──はい! 皆さん初めましての人は初めまして、休学していた“大飼千弥おおがい ちひろ”です。

 こんな姿ですがこれからよろしくお願いします!』






 過去の後悔は、機械となって姿を現してしまった。

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