8.6. ブレイブシスター・サタンフレンド
学校の廊下での戦いは、予想以上に時間がかかった。
窓ガラスは割れ、廊下は剥がれてあちこちに瓦礫が落ちている。その中を、地形以上にボロボロの男が立っていた。
仮面も既に砕け、片目からは光が消失している。
「まったく……使い魔に苦戦するとは」
憎々し気に吐き出す言葉にも覇気がない。リアクタンスもまた、限界が近かった。
「追いつきさえすれば、殺すことは容易だ……」
両の手から漏れ出ている黒い魔力は既に薄くなっている。腕を僅かに動かすだけでも肉体が悲鳴をあげる。
肉体的にも魔力の残量にしても限界。
そもそも、勇者に斬られた瞬間から死は確定していた。
「ははっ……なんでここまで必死になっているんでしょうね。生命が燃え尽きる瞬間に、こんな無意味なことをするなんて、実にワタクシらしくない」
それでも、無駄な戦いを止めると言う選択肢は彼の中には存在しなかった。
ただ欲求が残っている。このまま終われないと言う漠然とした怒りだけは頭に浮かんでいる。
「魔王は……」
窓の外を見る。黄昏の海に浮かぶ浮島のように、駅があった。
その時だった。
大気が振動すると、駅から噴き出してくる。
「おやおや、これは」
人間の血のように黒が混ざった赤ではない。宝石のように透き通った、純粋な赤の光。
リアクタンスは、噴き出した光から莫大な魔力を感じとった。
暴力的で、絶対的な力の奔流が朽ちかけた肉体に吹き付ける。
気を抜けば木の葉のように吹き飛ばされてしまう……だと言うのに――
「最期がこれなら、悪くはないかもしれませんね」
リアクタンスは笑い、黒い翼を広げて飛び出した。
肉体も魔力も限界であることは変わらない。だが、心臓だけは激しく脈打っていた。
◆◆◆
黄昏の空を切り裂き、駅へと降り立ったリアクタンス。
そこで待っていたのは、腰まで届く赤毛の髪と、人を捨てた証である角を生やした少女だった。
「お久しぶり、と言うべきでしょうか」
うやうやしく礼をすると、その名を呼ぶ。
「魔王マナマオスカ様」
その名はかつて世界を恐怖に陥れた魔王の物。
圧倒的な魔力でリアクタンスのような破壊者を魅了し、全てを灰燼に帰そうとした化物の名。
「いいや、違うな」
だが、それはかつてのもの。
「鍵宮マナ! それはわが友が――私の友達が呼び続けた、私の名前だからっ!」
制服に身を包んだ少女は腕を振りかざすと、堂々と宣言する。
『そう、アタシの一番の友達!』
心の中で『迷宮』を操るマナカが肯定する。
二人は、最後に戦うことを選んだ。ユウキが心に内にアイリンを受け入れたことで、内に眠る本来の姿――ユーシアとしての姿を取り戻したように、マオカを『迷宮』へと受け入れ、本来の自分を取り戻したマナは魔王としての姿を取り戻した。
だが、記憶はなくならない。
「勇者は今の私を、妹の友達だと言ってくれた」
たとえ世界が幻でも、一生懸命自分を助けてくれた友達の存在は消えない。
「だから、私は戦う! 魔王はみっともなく異世界に逃げたうえで朽ちたけれど、その旅路に巻き込まれたただの少女の人生は満足だったと、胸を張って友達に言うために!」
かつての全てを恨んだ瞳ではなく、友のために気高くあろうとする魔王の視線がリアクタンスを貫いた。
「よろしい」
リアクタンスは頭上に手を掲げる。肉体からこぼれた黒い魔力の霧が集まり、球体となる。
その大きさは僅かな間に人を越え、たちまちに巨大化していく。
「――文字通り命をかけた一撃が魔王に届くか、それを最期に証明するのも悪くないでしょう!」
もし仮に、この言葉を異世界で暴れていたころのリアクタンスが聞いていれば一笑しただろう。
かつての彼は、弱者をいたぶることしか考えていなかった。
仮面をつけるのは弱者から顔を隠すため。人型の魔物である彼は、素知らぬ顔で雑踏に紛れては気まぐれに人を殺していた。
魔王に従ったのも、ただ楽しかっただけ。
それだと言うのに、魔王が異世界へと逃げたと聞いた時に感じたのは失望。
ただ、効率がいい寄生先のだけだった。
だと言うのに、『魔王』と言う存在が矮小化されることに怒りを覚えた。
「――本当に、怒りに任せてここに来てよかった」
魔力の収束中であってもマナは一切動かない。ただ、鋭い瞳で堂々と立っている。
「行きましょう」
そうして、腕が振り下ろされた。
ビルもかくやと言う大きさにまで膨れ上がった黒球は、瓦礫を巻き上げながらマナに迫る。
圧倒的な魔力量による重圧が大地降り注ぐ。勇者であっても食らってしまえば闇に消えていく入り口。
それを、マナは避けもしない。
ただ、右手を前に突き出した。
「
瞬間、世界に熱が巻き起こる。炎を越えた熱の集まりは太陽の如き極光となると、黒球を一瞬で包み込むと、一点に収束する。
圧倒的な力による圧縮。光は拳大にまで就職すると、一瞬の輝きとなって世界を照らした。
「発射!」
拳を握ると熱の塊が噴き出す。炎ではなく、純粋な熱量の塊。レーザービームのような一撃が真っすぐにリアクタンスに向かって行く。
目の前には圧倒的な力、目前に迫っているのは絶対の死。だと言うのに、リアクタンスは笑っていた。
「さようなら、かつての同胞よ」
訣別の言葉を聞いてなお、彼の口元は緩んでいる。
「いやだなあ、同胞なんて言えるほどこっちは強くありませんよ」
これほど穏やかな言葉を発したのは、いつ以来だったろう。
死を前にしていると言うのに、彼の心は凪いでいる。
「強者なら強者らしく振舞ってくださいよ。せめて自分を殺したのがどうあっても手が届かない相手だったと満足しながら消えるくらいじゃないと、割があわない」
閃熱の波が世界を焼き尽くす。
赤い光が収束すると、そこには黄昏も残っていなかった。
◆◆◆
――そうして――
最後に残ったのは、二人の少女。
真っ白な空間の中に、マオカは立っている。
足音が聞こえた。その主が誰であるか、彼女にはすぐに分かった。
白い光の中に、うっすらと見えるマナの姿は半透明になっていた。
「ありがとう、マオカちゃん」
少女は静かに微笑んだ。
その顔があまりにも儚くて。消え入りそうで。
――終わり、であることをマオカは悟った。
「冗談、じゃないんだよね」
「うん。冗談じゃないよ。限界、なんだよ」
一つの命が世界から消えようとしていた。
消え入りそうな世界には、もう生命は残っていなかった。
ただ、彼女の中のもう一つの心残りである親友だけ。
そして、親友も終わりであることに薄々感じ取っていた。
消えていく世界を走りながら、何度少女の気配を見失っただろう。苦しい顔をしながら走る彼女に、もういいと言いかけだろう。
それでも、最後まで走ると決めた彼女に付き添い、文字通り命を燃やす戦いを終えた。
存在としての限界。それは異世界から転生した魔王の命の終わり。
――渋谷に通う少女、鍵宮真奈の生命の終わり――
ある日、渋谷に通う少女――鍵宮真奈が倒れた。
彼女は『迷宮病』と診断され、黒羽誠がその治療に当たることになった。
黒羽誠が『迷宮』に入って驚いたことは、その心の中にもう一つの世界が広がっていたこと。
まるで現実世界のように人々が生き、自我を持った人間が日々を過ごしていた。
彼女は混乱しながらも、迷宮の主、鍵宮真奈――この世界では鍵宮マナを確保し、治療に当たる。
その先の顛末は、語るまでもないだろう。
だが、一つ補足をするとことがある。
「私はきっとここまでだけど……きっとマオカちゃんは大丈夫」
仮に、鍵宮マナの生が終わってしまった魔王の先に存在したものだとしたら。
そこから生まれ出た『鏡峰マオカ』は、何者であろうか。
「だって、あなたは勇者の妹だから」
それは、勇者の妹を名乗る不審者。
そして、魔王の親友。
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