8.5. 終わりを駆ける
二人は下履きのまま校門から飛び出した。目の前に広がる校庭には誰も居ない。
一瞬だけ、マナは振り返った。視線の先には、少し前まで体育館があったが、今は空に溶けて消えている。マナの帰りを待っていたサッカー部の先輩も、彼が待っていた体育館も残っていない。
「……っ、あっはあ……」
突然、マナが胸を押さえて蹲る。
「マナ、どうしたの? 走れないなら背負ってく?」
「ううん、違うの」
精一杯の作り笑いをして立ち上がる。明らかに無事ではないのは見て取れたが、実のところマオカにもそれほど余裕はない。
(限界かなあ……元々ユーシアさんとの戦いで死にかけていたのに、無理に力を使ったから……)
勇者との戦闘で負った傷と、呪いによって消耗した精神と魔力。失った力を全て取り戻すには、百年単位での休眠が必要であった。
せいぜい十五年の間ためた魔力は、リアクタンスの暴走によって一瞬で枯渇をした。今の彼女は、呼吸をするだけでも苦痛であった。
(でも……まだ終われない)
せいぜい命が尽きるのを数分伸ばすだけの行為。意味がないと言ってしまえば、その通りだ。
(マオちゃんが鍵宮マナとして生きていけるように戦ってくれたのなら、私は最後まで戦わないといけない)
疲れなんてものはとっくに消えていた。ただ意思の力だけで大地を駆ける。
マオカは時々後ろを確認するだけで、速度を緩めない。友達ならついてきてくれると信じて、自分の全速力でかけていく。
◆◆◆
校門を抜けて毎朝通っていた通学路を逆走する。
道路と並行して流れていた川はもう消えている。それでも道は続いていて、遥か先には商店街が見える。
リアクタンスが迫ってくる気配はなかった。ズィーラが残した使い魔が優秀であるのか、はたまたリアクタンスの消耗は想像以上であったのか――
『マナちゃん、頑張って』
ふと、マナの耳に誰かの声が届いた。
「マナちゃん、何か言ったの?」
「ううん。それに、アタシの言葉じゃない」
二人、後ろを振り返る。声が聞こえて来たのは学校から。
学校はまだ残っている。遠目に、窓ガラスが割れる様子が見えた。粘液と黒い塊がぶつかり合い、外に飛び散っている。
『まだ賢者様が頑張ってるよ』
『うん、だから逃げちゃった方がいいよ』
また、声が聞こえてくる。
「ねえ、これって」
立ち止まって、落ち着いて聞いたことでようやくその声の主が理解出来た。
「斎藤さんたちだよね」
彼女たちのクラスメイト達の声が聞こえた。役目を終えて消えていったはずの影たちが、マオカたちに先に行けと告げている。
『これも、悪いことしちゃった埋め合わせだからさ』
「そんなの気にしてない……気にしてないよ!」
『いいんだよ、俺たちがやりたいからやっているんだ』
校舎を陽光が照らす。照らされた空気の中に、光る粒があった。
その正体がなんであるかは分からない。ただ、彼女たちを見守っているようだった。
『ほら。僕にラブレターを出した時みたいに、勇気を出して』
「……うんっ!」
二人は再び前を向いて走り出した。
◆◆◆
商店街を駆け抜ける。開いているけれど無人の店には二人で歩いた思い出が残っている。
匂いがあった。存在があった。かつて世界があった残滓がまだ残っている。
その全てが、まだ終わっていないと告げていた。
やがて、二人は商店街の入り口にあたるゲートへとたどり着く。
『ようこそ藍世町商店街へ』
虹色のアーチを通り過ぎると、そこは駅。駅舎に飛び込むと、そこにはホームだけが残されていた。
本来線路が在るべき場所は、既に消えている。
「はあ……はあ……ここまでかな」
「文字通り、世界の果てまで来ちゃったね」
これ以上逃げることは出来ない。二人はホームの縁に座って、空を仰ぎ見る。
黄昏の空はいよいよ夜に向かって藍色に染まっていく。遺った時間は少ない。
「どうする、飛び込んでみる?」
マオカは冗談めかして聞いてみる。もちろん、親友が首を縦に振らないと分かっている。
「マオちゃん」
返事は静かで、でも確かな意思が籠っている。
「うん……待ってたよ」
歯を見せながら笑い、親友の顔を見る。決意に満ちた瞳に、子供みたいなマオカの顔が見えた。
「逃げっぱなしって、イヤじゃない?」
「そうだね!」
先に手を差し出したのはマナ。マオカは迷うことなくその手を取ると、二人一緒に立ち上がる。
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