8.3. まだ終われないモノ
世界の終わりに、終われなかった魔物がいた。
「――許せない、許せない許せない許せない!」
二人に影がかかる。それと同時に頭上から狂った声が降り注いでくる。
マオカはとっさにマナを庇うように前に出る。そのまま頭上を確認すると、壊れた鬼の仮面と、怒りに燃える瞳があった。
「鬼の仮面じゃないんだね」
「この身形を見れば分かるでしょう。命以外は勇者様に破壊されましたから」
リアクタンスだった。
着ていた服はボロボロで、四肢には深い傷跡が刻まれている。
傷口からは血ではなく霧のような魔力が漏れ出ている。黒い翼を出して飛んではいるものの、勇者を翻弄した時のような力強さはなく、ゆらゆらと揺れている。
「あなたは魔王なのだ! 異世界を蹂躙した魔王なのだ!
マオカの背中で、マナが震えている。
マナは既に記憶を取り戻している。マナカたちに語ったように、大切な物を奪われた痛みがから始まった戦い。
その中で、多くの命が消えていった。
人も、人ではない存在も、森も動物も消し去っていった。
「多くの魔物がその力に希望を見出した! 数を頼みに世界の支配者面した人間たちを倒せると信じた!
そのために世界を焼いた! ついて来れないと逃げ出そうとした仲間を殺した」
勝手な理想を抱いたとしたのだとしても、それを見せたのはマナだ。
「キレイに死ねると思ってるんですか。自分だけは安らかであろうとするのですか?
だとしたら許せない! ワタクシは絶対に許せない!」
マナは何かを言おうとしていた。だけど口に出せず、震える手でマナの背中を掴むだけだった。
マオカの背中には小さな手がある。
それは、ただの少女の手で――
「――許せるよ」
――大切な人のものだ。
「小娘――いや、あなたは魔王の『迷宮』の中で生み出された存在。そりゃあ主さまを助けたいでしょうね」
「知ったことじゃない!」
強く強く、頭上の不埒物を見据える。
思わず、リアクタンスは唾を飲みこんだ。
(おかしい……ただの小娘だ、勇者はもう居ない以上、恐れる必要はない)
いくら手負いであっても、ただの少女である彼女に負ける理由はない。簡単な呪文一つで蹴散らすことはたやすいはずだ。
だと言うのに、金縛りにあったように動けない。
「知ったことじゃないのよ!
勇者――アタシのアニキは、マナを許すって言った! ここで許さないなんてなったら、アニキの言った言葉の意味がなくなる!」
――妹の友達を殺すことはできない。
そう言って、最期に時間をくれた勇者の優しさを無為にすることは許されない。
「だってアタシは勇者の妹で――マナの友達だ!」
堂々と、誇り高く、迷いなくそう言いきる。黄昏の空に響き渡る宣言は、消えていった世界の全てに聞こえただろう。
マオカの背中越しに伝わっていた震えが消えた。
「――ありがとう」
マナは一歩踏み出すと、上空を見据える。
「ああ、懐かしいですね、その瞳。けれどワタクシの知る魔王の物とは違う」
「だってそうだよ、私は鍵宮マナだから」
マナは振り返り、マオカの瞳を見る。
「そうだね、マオちゃん」
微笑んだ顔に怖れはない。ただ、友に笑いかける少女のもの。
「私は笑って消えるよ。だって、そうじゃないとマオちゃんが心配しちゃうもんね。
友達に最後まで心配させるなんて、私は嫌だもん」
瞳で合図をすると、二人は床を蹴る。
階段めがけて走り出した。
「勝手なことを!」
リアクタンスは黒い羽の一部を分離させる。その数は十個ほど。
分離した黒い塊は針のようになると、二人に向かって降り注ぐ。ユウキであれば一瞬で弾き飛ばし、反撃で致命傷を与える程度のみすぼらしい攻撃であるが、残った二人には十分な致命傷になる。
「アンタなんかに殺させはしない!」
マオカは制服の上着を脱ぐと、マントのように広げて振り回す。剣のように打ち払うことはできないが、軌道を変える事は出来る。
足元に針が刺さる。紙一重の距離になんとか逸らしていく。
「ホントに聞き分けも往生際も悪い!」
「アタシが聞き分けの良い子だったら、ここまで来てないでしょ!」
二人して階段まで滑り込むと、転がるように落ちていく。
「マオカちゃん!」
なんとか着地に成功したマナがマオカを支え、今度は廊下を走る。
すぐ後ろで風を切る音がした。傷だらけのリアクタンスが走ってくる。
「ハハハ――圧倒的力で蹂躙するのも悪くはありませんが!」
弾丸のような速度で迫ってくると、マオカの頭を鷲掴みにして廊下に叩きつける。
「――っ!?」
マオカの視界がひっくり返る。同時に激痛で一瞬目の前が真っ暗になった。
「このっ!」
立ち上がろうとするが、力任せに抑えられて動けない。
「ハハハハハァ、ハ、ァァ」
荒い息が顔にかかる。恍惚とした瞳でリアクタンスが覗いてくる。
「圧倒的な力で壊すだけでなく、ジワジワといたぶるのも悪くない」
リアクタンスの腕に爪が生える。爪は急激に伸びると、マオカの顔に突き刺さる。
押さえつけられた口は、悲鳴を発することも出来なかった。
「マオカちゃん!」
マナが引き返してくる。マオカを助けるために、走ってくる。
(マナ、逃げて!)
無謀であるのは火を見るよりも明らかであった。
「懐かしいですね。非力な人間が仲間を助けるために無茶を承知で迫ってくる。
魔王、あなたもその場にいたでしょう。もちろん、立場はまったくの逆でしたが」
その言葉はマナには届いていない。そのレだけの余裕はない。
マナは拳を握りしめ、ぎこちなく突っ込んでくる。
そんな攻撃は児戯にも等しく、リアクタンスは文字通り一蹴した。
腕を振るうとマナの小さな体は吹き飛び、廊下の壁に叩きつけられる。
「――ッ…あ、ハァ」
それでも、マナは荒い息を吐きながら立ち上がる。ふらつきながらも立ち上がると、リアクタンスをきつく睨みつける。
「無駄ですよ、無駄。これから二人苦しんで死ぬだけなんですから」
完全に勝利を確信した強者の余裕。事実、二人ではどうにもならない。
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