8.2. 空は終わりの黄昏へ
マナの話に皆が耳を傾けていた。
誠はいつものように真剣な顔で口も挟まず、聞き届けた。
ズィーアは胸に手を当て、何かを考えているようだった。
アイリンは涙ぐんでいる。ユウキはそんな彼女にハンカチを手渡す。
マオカはそんな親友の肩を優しく抱いた。
話を終えると、マナは涙を拭う。
そして、ユウキに向かい合う。
「改めごめんなさいユーシアさん」
「ユーシア?」
「んぐ、ぐ、ユーくんの……ユーくんの本当の名前だよ」
ユウキ、とはあくまで『迷宮』の中で勇者に与えられた名である。
本来は、異世界の勇者としての名を持っている。
「……ユーシアさん、異世界にまで巻き込んでしまいすみません。ですが、もう、大丈夫です……あなたの聖剣で私を殺してください」
マオカは思わず声を出しそうになった。だが、ユウキの顔を見て止まる。
ユウキの顔は穏やかだった。これから人を殺す者の顔ではない。
「それは出来ないよ」
そして、妹の友達に向かって微笑む。
「俺が背負った使命は世界を魔王の脅威から解放すること。
今の君はもう魔王じゃない。別の世界で生をうけた一人の生命だ」
目の前に居るのは、ただの少女ある、と。
「俺たちの世界には、前世の罪まで問う法はなかった。
法もない、理由もない、正義もない。それで剣を振るうのは勇者として間違っている」
ユウキはマオカの顔を見る。
「少なくとも、ここに居る間は、俺は鏡峰ユウキだから」
その瞳は魔王を見る勇者のものではなくて。
「妹の友達を殺すことはできない」
ただの、妹の友人を見守る兄のものだった。
「ん~っ! でしょ、アニキ!」
マオカは頷くと、二人の間に走ってくる。ユウキの力いっぱい叩いて笑っている。
「それにさ、マナはまだやることあるでしょ」
マオカはマナの手を取ると、校舎を指さした。
「さ、クラスのみんなに会いに行こう。
心配したのはアタシだけじゃない。アタシたちの友達に無事な顔を見せようよ!」
一足先に駆け出すと、大きく手を振って呼びかける。
マナは皆の顔を見た。誰もが彼女に優しい視線を返した。
「うん」
ゆっくり、一歩踏み出す。いつものように、勢い任せの友人の背中を追う。
マオカは友達を待っている。いつだって突っ走りがちな自分に、飽きれながらもついて来た――一緒に歩いて来た友人を待っている。
隣に立つと、どちらからともなく手を握る。後者に向かってバラバラに足を出す。
その二人を、ユウキたちは見守っている。
◆◆◆
校舎の中に人の気配はまばらだった。
放課後の校舎だと言うのに、部活動にいそしむ生徒も職員室で業務をする教師もいない。
廊下にマオカたちの足音が木霊する。それに反響するかのように、微かな笑い声が聞こえた。
声は、マオカたちのクラスから漏れ出ていた。
二人は教室の扉の前に立つ。
マオカが扉を開けようと手を伸ばす。それを、マナが止めた。
「マナ?」
「大丈夫、自分でやるよ」
マナは頷くと、教室の扉を開く。
それを待っていたかのように、クラスメイト達の声が上がった。
「おかえり!」
皆が出迎えてくれた。
「あの時はごめんね!」
「げえ、あの姉ちゃん!?」
皆が、友の帰還を祝福した。
それが終わると終えると、役目を終えたように消えていった。
マオカは、黙って見送る。
「ああ……」
いつから気が付いていたのだろうか。
この世界が『迷宮』であると気が付いた時だろうか。
壊れた空を見た時だろうか。
それとも、マナが泣いていた時だろうか。
気が付けば、クラスメイト達は消えていた。
世界が黄金の光に包まれていく。
街は消えていく。空は黄昏――終わりの色に染まっていく。
残っているのは、学校の周辺の僅かな地形だけ。遠くにそびえる山は消えて、空と大地の境界線が溶けて混ざり合っている。
それは黄昏の海。全てが終わり、太陽を飲み込んでいく赤と紫の混ざり合った水面。
窓の外に広がっている終わりの兆し。
もう、帰る時間だ。
「それじゃあ、先に戻っているよ」
ズィーアは短くそう告げると魔法陣を展開する。
光が立ち上り、気が付けば彼女の姿は世界から消えていた。
地面に描かれた魔法陣はまだ残っている。
「……そうか」
何かを悟ったように頷くと、誠は静かに世界から溶けていった。
「……ユーくん、いいの?」
「ああ。大丈夫だ。だって、アニキが泣くわけにはいかないだろ。
それよりも、アイリンの顔の方が心配だよ」
ユウキはハンカチを取り出すと、大切なパートナーの涙を拭った。
「あはは、そんな色男みたいな言葉も言えるようになったんだね。うん、この世界で経験のたまものかな」
「ほっとけ」
大丈夫、と告げてアイリンはは自分の手で涙を拭う。そして、マオカの顔を見ると、笑顔を作る。
涙の痕が残る笑顔は、少しだけぎこちなかった。
「妹ちゃん、楽しかったよ。
――だから、ユーくんのことは任せてね」
そして、ユウキの背中を叩く。
「ほら、ちゃんと挨拶しないとね」
「ああ……」
ユウキはマオカの前に立つと、気恥ずかしそうに視線を逸らした。
だが、それも一瞬。頬を両手で叩くと、改めてマオカと向かい合う。
「な、なによ……アニキまで畏まっちゃってさ」
いつにない兄の空気に、思わず言葉に詰まった。
ユウキは思わず相好を崩す、今度はリラックスした声で語り掛ける。
「ありがとう、マオカがいなかったら、たぶんもっと不本意な形でこの世界は終わっていた」
「気にすることないでしょ。友達を助けたいって最初に決めたのはアタシ!
そうと決めたら簡単に譲らないって、アニキもマナも知ってたじゃない」
助けを求めるように振り向くと、友人は変わらず微笑んでいる。
「うん、マオちゃんはそうだよね。いつだって勝手に突っ走って迷惑をかけて後始末にお兄さんをつかってる妹さん」
「そうそう! アニキなんだから、兄弟なんだから、そこは遠慮しないでよね」
照れ隠しで調子に乗る。
(少し偉そうかな。呆れられたり、怒られるかな)
けれど、マオカの予想は外れる。
兄は、優しく微笑んでいた。
「そうだな、本当にお前にはかなわないよ。
異世界に帰ったら、自慢話にするよ」
心の底から、目の前の少女を誇りに感じていた。
「俺には、勇者よりもカッコイイ妹が居るんだってさ」
そして、マオカたちに背中を向ける。
アイリンが魔法陣を地面に描くと、ズィーアが消えた時のように光が立ち上る。
兄は、顔を見せずに手を振った。
妹は、兄が見えていないと分かって手を振った。
光が消えると、そこにはもう二人の姿はない。
異世界の仲間も、地球の仲間も『迷宮』の外へと消えていった。もう、この『迷宮』に留まる理由はない。彼らの世界へと戻るのだ。
残されたのは、この世界の主であるマナと、この世界で生まれたマオカだけ。
「この先、どうなっているのかな」
窓の外に広がる黄昏の景色。その先に何が在るのかは、霞んで見えない。
「私にも分からないかな。『迷宮』は私の異世界での経験と、地球に生まれ変わった時の記憶から生まれてる。
たぶん、引き取ってくれたお母さんから聞かされた故郷の風景と、異世界であの人と過ごした村の景色が混ざっているんだと思う」
「そっか。それならもっとちゃんと見とけばよかったかな」
マオカは、数日前に兄が高台からこの街を見下ろしていたことを思い出した。
(あれって、自分たちの街を忘れないようにしてたのかな)
親しさと寂しさの混ざった視線をしていた兄は、何を考えていたのだろうか。最後に聞いておけばよかったと後悔する。
「マナ、屋上まで行かない。少しでも遠くを見てみたいんだ」
もしかしたら、何か分かるかもしれない。そう考えると、足が動いていた。
◆◆◆
校舎の中には、今度こそ二人だけしか残っていなかった。
階段を登る足音はどこまでも響いていく。黄昏の光が窓から差し込んで廊下を照らしている。そこに刻まれた小さな傷痕は、学生たちが走り回って出来たもの、生命の営みが確かに存在した証であった。
階段を登り、重い扉を開くと黄昏の空と温かな風が二人を迎えてくれた。
コンクリートの床と、校舎の縁には人が立ち入らないように建てられたフェンス。屋上の入り口の上には給水塔。
「……さ、行こう」
マオカはマナの手を取ると、フェンスの際にまで歩いていく。
屋上から見下ろす街は、既に消えかかっていた。
商店街は中央通りだけを残して沈んでいる。その先には駅だけが残っており、黄昏色の地平にぽかんと浮かんでいる。
「なんか小島みたいだね」
「なら、商店街はそこに続く橋かな」
残っている景色は僅か。黄昏の空の先には何も見えなくて、世界は終わりに向かっている。
それでも、二人は穏やかだった。
「あの消えた山のあたりで、迷子になったんだっけ」
「お兄さんが来てくれなかったら危なかったね」
「でも、内緒にしてって言ったのにしっかり大人には報告したから、大目玉だったもんね」
街に残った思い出を語り合う。
もしかしたら、それは『迷宮』と言う世界が生み出した仮初の記憶かもしれない。
それでもよかった。真贋は関係なかった。
ただ、友達と共有できることが嬉しかった。
世界は終わることは間違いない。だけど、最後まで笑っていようと。
静かに、けれど豊かに終わろうとした――
「――許せませんね」
だが、それを許せない存在が残っていた。
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