7.2. いつかを越えて


 マオカの世界が消えていく。『迷宮』に踏み込む時に感じる歪み。世界そのものが曖昧になる感触。

 

 『迷宮』に足を踏み入れる時、いつも言い知れない不快感が全身を襲っていた。時の止まった空を見上げて、吐きそうになったのは何度もあった。


 けれど、今回は怖くない。

 誰かが見守ってくれているような気がした。


(最初に入った時から、何かが耳に届いてた)


 最初は不愉快に感じた誰かの囁きも、それが『迷宮』の主の言葉にならなかった声であると。


 導きのままに目を開く。気が付くと、マオカは一般的な日本家屋の古びた畳の上に居た。

 ふすまと障子で区切られた、小さな部屋。障子越しに光が入ってくる。


「外は、こっちかな」


 障子を開けて外に出ると、既に見慣れた薄明と黄昏の混ざった空が見えた。


「大丈夫、今度は怖くない」


 空に一条の光がはしっている。それは銀色の光の糸。銀色の閃きは、誘導しているようだった。


「……まったく、本当に人が善いんだから」


 古びた町を走り抜ける。そこにあるのは、誠が幼少期に過ごした町の景色であることをマオカは知らないが、不思議と落ち着いていた。

 やがて、学校へとたどり着く。どこにでもあるような小学校。その二階の教室に光が集まっていた。

 昇降口を登り、階段を登る。


「……これ、なんだろう」


 破かれたエプロンと、切り刻まれたスーツが転がっていた。

 異物に対して違和感を覚えるものの、切り替えてマオカは教室の扉を開ける。


 二人の少女が居た。

 まだ小学生くらいの、小さな女の子。

 一人は、手首の傷から血を流している。

一人は、事切れた少女を抱いている。彼女の瞳には涙が溢れていた。


「誠さん……」


 泣いている少女が誰だか、マオカには分かった。


『あの日、私は誰も救えなかった――』


 大人の女性の声が聞こえてくる。

 それが誰のものか、マオカには分かっていた。


『『迷宮』の――心に中に踏み入って初めて友達の痛みを知ったんだ。

 だけど私に出来たのは、ただ逃げ惑うこと。そして、自分が助かるために親友の心を壊してしまったこと』


 何があったかは正確には分からない。今、ここに存在する光景ですら心の中に残る後悔が『迷宮』になっただけのもの。

 いつか痛みすら曖昧になってしまう記憶だけど、迷い込んでしまうこともある。

 その度に、思い出す。


『だからこそ――今度は戦いたい!』


 泣いていた少女が変わっていく。

 少しずつ成長していく。

 子供の体から大人の体になるけれど、瞳に宿す悲しみと決意は変わらない。


「うん、戦おう」

『出来る、かな』

「出来るに決まってる……だって――」


 マオカは迷いなく手を差し出した。


「アタシも一緒に戦うから! 異世界の勇者の妹が一緒に戦うんだからっ!」


 誠の口の端が僅かに持ち上がる。

 サングラスを外すと、床に投げ捨てる。


「ああ、そうだな!」


 強く強く、手が握り返される。

 瞬間、ステンドグラスの空が割れた。

 その先に広がっているのは、現実世界の星空だった。


◆◆◆


 渋谷の空の下、戦いは続いていた。


 高所に陣取り駆け降りることで一気に制圧する。

 例外は幾つも存在するが、だいたいの状況において高さと言うものは戦闘に置いて大きなアドバンテージとなる。

 特に、鳥のように自在に空を飛び回る存在を前にした時、地を這う戦士は苦戦を強いられる。


「まったく、封印されている間に腕が鈍ったかな」


 ユウキは芳しくない戦況に思わず愚痴っていた。

 闇夜に紛れて空から襲い掛かるリアクタンスの攻撃。

 ある時は魔力の塊が、ある時は手に持った魔剣が襲い掛かる。

 自分が使える手段と言えば、崩れたビルを足場にバッタのように飛び回る事。


 地をはねる虫と、自在に空を飛ぶ翼、どちらが有利なのかは、火を見るより明らかだ。


 不利は覆せない。一度跳躍すればどうしても動きは制限される。羽をもって自在に空を飛び回る相手と比べて動きは単調になってしまう。


「勇者様と言えど、その程度かな」


 幼い少女の顔に鋭い犬歯が剥き出しになる。

 勇者は跳躍と攻撃で応える。だが、手ごたえはまったくない。

 何度めかの斬撃と回避。勇者の攻撃は、幾度となく回避されていた。


『アイツ、わざと紙一重のタイミングで回避してる』


 余裕ぶった顔であざ笑うように停止すると、わざわざ跳躍するのを待っている。

 そうして僅かに身を動かして回避すると、必要もない接近をする。


「ズィーアは……」

「すまない、これ以上の分割は無理だ」


 眼下ではズィーアが全開で魔法を使っている。彼女の周囲には生み出されたスケルトンたち。

 足元は粘液で覆われ、上半身だけを必死に動かしている。

 いざ術式を解いてしまえば、たちまちに渋谷の町中に魔物が広がってしまうだろう。

 せめて魔物を倒そう、そう言って突撃した誠は敵の妨害で負傷してしまった。


 ――その筈であった!


『待たせたね! アニキ!!』


 突如響き渡る声。


「マオカ?」

『え、自称妹!?』


 それは、ユウキが置いてきた妹のものだった。


「ふはひっ……なるほど……さすがは『勇者の妹』だね」


 ユウキが、ズィーアまでも思わず目を見開いた。

 瞬間、大地に稲妻の如き魔力の波が奔った。

 粘液ごと骨の怪物を吹き飛ばす。駆け抜けた到達点には、黒羽誠が立っていた。


「これが私の内に宿る力!」


 大地を蹴って突進する。その突進は稲妻を纏い、雷光のように触れた物を焼き尽くす。

 誠――その名の通り誠実に真っすぐに生き続けた女性の心の内に宿った力は、その進む道を貫くための力。

 ズィーアのような複雑なことは出来ない。ユウキのように全てを切り裂く刃をもたない。


 単純にして明解。


 ただ、進むだけの力だ。魔力を稲妻に変換し、身に纏い突撃する。


「はぁぁぁぁぁっ!」


 稲妻が大地を駆ける。骨が飛び散り魔物が消し飛んでいく。


「ふひっ、なるほど、新しい制覇者と管理者の誕生だね」


 ズィーアは即座に術式を組み替える。

 今必要なことを即座に判断すると、詠唱を開始する。

 大地に敷かれた粘液の膜が尖り、針のようになる。


「術式! 念針ニルド


 大地から針が放たれた。

 千を超える粘針が向かうのは上空にいるリアクタンス。離脱しようにも面のように広がった空間攻撃から逃げられない。


「ちいっ!」


 翼から蝙蝠たちが噴き出してくる。

 彼らは盾になり、主を守ろうとした。


「アイリン、光爆ブラスト!」

『もちろん準備は出来てるよ!』


 だが、横手から勇者が飛び込んでくる。


 状況が変わった瞬間、二人は即座に動いていた。

 ユウキは一瞬の隙を見逃さないため、攻撃を避けながらも敵を注視する。

 アイリンは逆転のための攻撃の準備をする。


 心の内に管理者を宿る。その利点は単純に力を使えるだけではない。

 本来であれば複雑な思考を必要とする魔法の構築を管理者に委託し、制覇者は目の前の状況に集中することが出来る。

 術式の構築は既に終わっている。


 ただ、勇者はタイミングを見計らって剣を振るう。

 剣に宿った光が爆裂すると、悪しき魔物たちは一瞬にして吹き飛んだ。


「馬鹿な、巻き込まれる気ですか」

「まさか!」


 爆発の余波で身をよじる。

 既に設置されていた粘石の足場に飛び移る。

 同時に、針が飛来した。


「が……あぁっ!?」


 リアクタンスの肉体に針が突き刺さる。それは、近くにいたユウキも同じ――


『この程度の連携なんて朝飯前よ』


 ――とはならなかった。

 針は粘石に吸い込まれて静止し、ユウキには一切突き刺さっていない。


「アイリン、夢魔の力を借りるよ」

『もちろん。拘束チェインでしょ!』


 聖剣とは異なる、桃色の鎖がユウキの手から飛び出すと、リアクタンスを拘束する。


「さあ、最期の仕上げは任せたぞ!」

「ああ!」

『任せてアニキ!』


 大地から流星が飛び出した。

 誠の一撃。それがリアクタンスへと迫る。

 かわす暇はない。誠の手がマナの肉体に触れる。


 このまま流星の如き一撃で貫くことが出来るだろう。

 だが、本命はそれではない。


「捕まえた」


 拳を解くと両腕で体を包む。

 マナの顔の目の前に、誠の力強い瞳がある。


「絞め殺すつもりか!?」

「違う! 今だ、飛び込め!」

『分かった!』


 光が誠の体から飛び出した。

 光の形は一人の少女――マオカが『迷宮』から飛び出した。

 その手には、黄金の宝石が握られている。

 飛び込む先は――マナの『迷宮』だった。

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