第七章 渋谷決戦
7.1. 燃える夜空
藍世町は、都会とは程遠い地方の町であった。
正確には、マナの記憶から組み上げられた『絵に描いたような田舎町』である。
テレビの中でしか都会を知らない住民にとって、東京、渋谷と言った言葉を見聞きした時に真っ先に思い浮かぶシンボルが、スクランブル交差点と洒落たデザインのビルであった。
それが今、マオカの目の前にある。
仮に平時であれば、感動に身を震わせていただろう。
だが、マオカよりも先に世界が震えた。
雷鳴のような衝撃音。続いて肌に叩きつけられる爆風。そして、爆発音と光。
「なんだなんだ!? 駅前で爆発があったのか?」
「嘘だろ、日本のド真ん中、渋谷でいきなりテロなんて……!」
夜空を爆炎が照らす。黒煙が炎に照らされて世界を赤く包む。
周囲には混乱する人々。ビルの谷間、信号を無視して道路を人が押し寄せてくる。
その一人。タンクトップの若者がマオカの目の前に迫る。彼女の存在を無視するように迫ってくる。
(ぶつかる?)
迫理屈筋肉に、思わず目を閉じた。けれど、ぶつかることも吹き飛ばされることもなかった。男はマオカの体をすりぬけて走っていく。彼に突き飛ばされた女が何やら恨み言を言っている様だが、雑踏に紛れて踏み潰されていく。
(あれ、怪我はないのかな……)
埃をはらい、手のひらを見る。
手のひら越しに、逃げ惑う人々が見えた。
「あ……腕が……」
。
そこで、マオカは自分の手が半透明であることに気が付いた。
「そっか……やっぱり私は」
――この世界に本来は存在しない、『迷宮』の中で生まれたモノ――
再び突き付けられた事実に挫けそうになる。
周囲の騒音の中、半透明の存在が消えかけている。
だけど、静かに消滅することを状況は許さない。
再びの爆発音。遠くのビルが燃えている。
瓦礫が飛んでくる。逃げ惑う人々に降り注ぐ――
――
遠くから誰かの呪文が聞こえて来たような気がした。
慌てて見渡したが姿は見えない。
だが、エメラルド色の防壁が空を覆っているのが見えた。その先で、眩い光が夜空に弾ける。その正体を、マオカは知っている。
(皆は、まだ戦っている)
それなら、まだ自分にはやるべきことがある。
手の中に残った宝石は未だに輝いている。
消えかけている足に鞭をうち、戦火へと向かって走り出した。
◆◆◆
平時であれば若者たちが集まるカフェもアパレルショップも、人は誰も残っていない。
ひび割れたガラス。消えた電灯。崩れた町をマオカは走る。
目印は時々聞こえてくる爆発音。そして、悲鳴とともに逃げてくる人々。彼らが逃げてくる方向へ走る。
マオカの半透明の肉体で、ぶつかることはない。自身がどうなってしまうのかは分からないが、今はその状態に感謝した。
ハチ公を横手に山手線を突っ走る。ちょうど宮益坂にさしかかる頃には人の波も消えた。
まるで出迎えるように爆発音がした。吹きあがる爆風が肌に吹き付けた。
とっさに目を覆い隠す。舞い上がった瓦礫が視界を覆う。
ようやく視界が晴れた時、目に見えた存在にマオカは目を疑った。
「これって……」
大地に家が突き刺さっていた。
古めかしい造りの一軒家。その表札の文字に見覚えがあった。
「まさか、お隣さん?」
次に降って来たのは大地そのものだった。
マオカはとっさに身を伏せる。土砂に混じって石が背中に当たる。
見れば、渋谷駅に隣接するビルの屋上に巨大な岩が刺さっている。零れ落ちた土砂が走行中であったバスを埋めている。
「まさか、『迷宮』の中の景色をそのまま落としてる」
単純な質量攻撃。であるが、相手は街一つを心の中に持っている。山をそのまま街に落としたら、と考えるとマオカは身震いした。
再びの爆発音。まだ新しいビルの窓が割れる。飛び散ったガラス片をかき分けるように聖剣の光が奔る。
「アニキ!」
声は届かない。返答の代わりに光の刃が振るわれていた。
聖剣の切っ先が向かう先に居たのは、マナの姿をしたリアクタンス。
兄と友の姿をした何者かの戦い。別人のものだと分かっていても、耐えられずに目を閉じた。
だが、剣戟の音は要所なくマオカに『戦い』と言う現実を突きつける。
(逃げるな……アタシは逃げるためにここに来たんじゃない! アイツを止めるためにここに来たんだ!)
勇気を振り絞り、マオカは目を開ける、そして、目の前の光景に驚愕する。
高層ビルの割れた窓からは光が漏れている。その一つに少年の影がうつる。ユウキは割れた窓や崩れた外壁を足場に闇夜を飛び回っている。
超人的な脚力による跳躍。聖剣から溢れる光が帯となって夜を切り裂く様は、稲妻が大地から夜空に向かって駆けあがっているようだった。
ビルの谷間に金属音が響き、剣戦が弾ける。固い金属音と共に、光と黒い翼が交わる。
リアクタンスは仮面の男の時と同じように黒い翼を生やし、自由自在に空を飛び回る。
手に持っているのは黒い剣。聖剣とぶつかり合うたびに、激しい火花を散らしている。
「……何か、出来ないかな」
マオカは呟く。
いざ目の前に戦いの光景を見せられると、彼女は自身の無力さを痛感する。
思わず手を強く握り込む。手のひらの中の宝石が突き刺さるようだった。
「……れ……か」
瓦礫の中から微かな声が聞こえた来た。
マオカは反射的に駆け寄った。
「まさか! 誰か!?」
崩れ落ちたビルの破片の裏。
そこには、腕を抑える黒羽誠が蹲っていた。
右足の上には大きな破片が乗っている。割れた道路には血が流れている。
「その声は、マオカ君か?」
「見えるんですか?」
「ああ、うっすらと姿が見える……はっ、あっ……」
誠は足を動かすが、上に載っている瓦礫はビクとも動かない。
マオカも動かそうとするが、触れることすら出来ない。
「つっ……アタシは何も出来ないの」
「ははっ、お互いに非力みたいだ……」
上空では親友を奪った敵と兄が戦いを繰り広げている。
余波を防ぐために、粘液の壁が人々を守っている。
それを見上げるしか出来ない二人が居た。
「……『迷宮』を制覇した者。そして、管理者が居れば強大な力を振るえる、か。
まったく、異世界の英雄は私たちの想像もしない力を振るって戦い続ける」
明確に何かを越えた存在。それが勇者であり魔女。
それに比べれば、マオカも誠も小さいものだった。
「こんな状況じゃ、仮に武器を持ってきたとしても役に立ちはしない、か……」
遠くからサイレンの音が聞こえてくる。警官が民衆を誘導する声が戦場にも聞こえてくる。
「あれは」
「ああ、私の同僚たちに頼んでいる。一応『迷宮』から出た直後に連絡はしておいたからね。
少なくとも、私に出来ることはやる」
「出来ること、か」
マオカは考える。今の自分に出来ることを。
戦いの場に割って入ることは出来ない。声をかけることも出来ない。
人々の避難誘導をしようにも、ただの小娘の声を聞いてくれる人も居ない。
(アタシ一人じゃ何も出来ない……アニキ達みたいに力を使えればいいけど……)
ユウキたちは、何故戦えるのか。
異世界の勇者だから?
異世界の勇者はなぜ強いのか?
彼らは、何故超常の力を自らの物に出来たのか。
(自らの心の中に、管理者を受け入れた時に、『迷宮』の力を自在に引き出せるようになる)
ユウキはアイリンを自らの内に入れることにより、聖剣の力を十二分に引き出すことが出来た。
普通の人間に、それが出来るのだろうか。
(そう……でも、アタシは違う……)
半透明になっている自分自身の手を見る。
藍世町はマナの心に中に存在した世界だった。そして、そこで生まれたマナカ達もまか、『迷宮』から生まれた存在だ。
――そう、最初から『心の中』に入っていたのだ。
「誠さん、一つ考えたことがあるんだ」
決意を込めた瞳と言葉は、兄そっくりだった。
「アタシを誠さんの『迷宮』に……心に入れてほしい!」
それは、誰かの心に中に入れるかもしれない可能性。
「どういうことなんだ?」
「アイリンがやっているみたいに、『迷宮』の管理者になる。
そうすれば、誠さんなら絶対に戦える」
誠が手を叩く。瞳に光が戻ってくる。
「そうか……その手があったか!」
誠は思わず立ち上がりそうになるが、僅かに瓦礫が動くだけだった。
「あたた……」
逆に痛みを増やすだけだった。
「まったく……こんな情けない大人の心に入れるなんて、申し訳ないくらいだよ」
「……そんなことないですよ」
どうすればいいか、本能的に分かっていた。
半透明の手を、誠の胸に沈めていく。
水に潜る様に沈んでいく。風景が溶けていった。
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