6.2. 世界の秘密

 鏡峰家の居間。テーブルの上には5つのコップが置かれた。

 しかし、誰一人として手を付けようとはしない。

 皆が皆、真剣な面持ちで椅子に座っている。


「それじゃあ、はじめよう」


話を切り出したのはユウキだった。


「まず、俺を追いかけてアイリン、そしてズィーアがこの世界にやってきたことは前にも説明したよな」

「ああ。再度の確認になるが、私はその発言について疑う余地はない」


 アイリンとズィーアは異世界からやってきた来訪者。その目的は、ユウキの救出。


「確か、事情があって記憶を失ったアニキを追いかけて来たんだよね」

「ああ。まったく面目ないことだよ。正直話すのも恥なのだけど、そのことについて説明をしようと思う」


 一瞬、バツの悪そうな顔をしたものの、すぐに切り替えて話を続ける。


「俺たちは異世界で魔王討伐のために一緒に戦っていた。己惚れ抜きに俺たちは最強のパーティだった。

 なにせ、実際に魔王と交戦してあと一歩まで追い詰めたんだから」


 決戦の地は数千年前の戦争によって呪われた荒野だった。

 魔王が率いる魔の軍勢と、聖剣を旗印とする選ばれし勇者たち。

 先頭に立つのはユウキ。その後ろで守りを固めていたのはズィーア。彼らの後ろには、百を超える勇者が続いた。

 魔王の軍勢の数はゆうに万を超える。けれど勇者たちは文字通りの一騎当千。お互いの総力は拮抗していた。

 戦いは三日三晩続き、気が付けば立っていたのは勇者とズィーア、そして魔王だけ。


「だけど、あと一歩が足りなかった。

 魔王を完全に消滅させるには聖剣の力だけでは足りないし、ズィーアの魔法を合わせても封印も討伐も出来なかった」


 聖剣は確かに魔王に届いた。その肉体を切り裂き、魔力を消耗させる。

 だが、無限の回復力を持つ魔王は物理的に倒すことは難しい。それこそ塵も残さず消滅させる必要があった。


「だから、ボクたちの戦いを見守っていた賢者たちは、不意打ちで一つの魔法を使った」


 それは、禁呪にも等しい呪文。放てば世に災いをもたらす力。


「自身の内なる世界を膨張させ、飲み込ませる魔法。

 魂を『迷宮』に見立ててその中に在る迷いを増幅させ、囚われしまう力」


 魔法は見事に成功した。魔王と言えど心を持つ存在であり、迷いからは逃れられない。

 呪いの強さは、存在の強さに比例して大きくなる。『魔王』と言う存在は、その身に宿す莫大な魔力を全て食らいつくすほど強大であった。


「呪いは成功した。魔王は自分自身の存在を辛うじて維持するだけが背一杯だったんだ。結果、戦う力を失い、戦場から逃げ出した」


 ただ、一つ誤算があった。


「その時、勇者君はその魔法に巻き込まれてしまったんだ」


 申し訳なさそうに勇者は視線を泳がせた。


「……逃げる隙がなかった」

「そうだね。勇者君が最後まで拮抗した戦いを繰り広げていたからこそ、魔王にも禁呪を当てることができた」


 かくして、勇者の犠牲によって魔王は封印された、筈であった。


「魔王は転生の術を利用して別の世界へと逃げ込んだ。そこで呪いが解けるまで待つつもりだったんだろう。

 当然、一緒に勇者君も異世界にとんだわけだ。発動時の内的世界に巻き込まれたんだからね」

「ちょっと待ってくれ。君たちの事情は改めて分かった」


 唾を飲みこむ音が聞こえた。深く息を吸い込むと、異世界からの来訪者たちを見据えた。


「だが、一つ、聞きたい」


 酷く平坦で、感情を抑え込んでいた。


「自身の内なる世界を膨張させる。発動した際に周囲を巻きこんで内的世界に閉じ込める。その症状は、まるで『迷宮病』じゃないか」


 マオカは思わずユウキの顔を見た。俯き、静かに話を聞いている。

 アイリンとユウキは静かに言葉をうけとめている。

 誠の言葉に応えたのは、ズィーアだった。


「その通りだ……おそらく、この世界で『迷宮病』と呼ばれる病気は、賢者たちの魔法……いや、呪いが持ち込まれたことにより発生したんだ」

「……なん――」


 座布団が吹き飛んだ。拳こそ振り上げていないが、誠は歯を食いしばっている。

 だが、言葉を出す前に目を閉じた。そして、重苦しい息を吐く。


「……続けてくれ」

「いや。君には改めて謝罪したい。すまない。ボクたちの世界の事情で巻き込んでしまった」

「いや、いい。怒りを覚えていないと言えば嘘になるが、君たちが止められる問題でもなかったのだろう」


 再び、皆が押し黙る。

 時計の針の音だけが重なっていく。


「でも、いい」


 一向に進まない話に、しびれを切らしたのはマオカだった。


「魔王とか勇者とか、正直ピンと来ない。

 アタシは、マナがどうしてこうなったのか、知りたい」

「それは……」


 重苦しい空気の中、ユウキが口を開いた。


「マナちゃんは、魔王の転生体だったんだよ」


 魔王。その言葉は、不思議と腑に落ちた。

 マオカも誠も、薄々理解していたのだろう。


「そうか……魔王か。途方の無い話だ。

 だが、納得は出来る。彼女の『迷宮』に潜り込んだ時は驚いたよ。空の色は青くて、魔物である人々が当たり前のように暮らしている。

 それは、彼女が膨大な魔力で心の中の世界を管理していたからだってね」

「……それが、今はこの空」


 マオカたちが現実だと思っていた場所は、『迷宮』の中であった。

 魔王と言う存在と、マナと言う少女の存在が重なった結果、心の中ともいうべき『迷宮』も二重になっていた。

 人形たちは魔王を打ち倒すために集まった勇士たち。小鬼たちは魔王の軍勢。

 そんな彼女にとって、一番の敵は『聖剣を持った勇者』だ。

 その姿を見た時に、全ての記憶が恐怖とともに蘇ったのだ。


「だが、それは関係ない。私はただ、彼女を治療したいだけだ」

「だが、こうなれば……」


 マナと言う少女は、仮面の男に奪われた。

 不愉快な笑い声をあげ、現実の世界へと消えていった。


「仮面の男、リアクタンスはおそらく魔王の軍勢に居た悪魔だ。

 あいつは魔王の力そのものを狙っていた。そして、呪いの力を利用することで心すら奪ってしまったんだ。

 それは、許されることではない」

「……つまり、今の鍵宮マナは自分の意思で動いてはいないのだな」


 誠は改めてユウキたちを見る。


「すまない、私はすぐに『迷宮』から目覚めて彼女を止める。

 だが、一人ではおそらく力が足りない。手伝ってもらえないか」

「それはこちらから言う事です。俺たちの世界の世界の不始末なんだ」

「その通りだ」


 ユウキが、ズィーアが、アイリンが立ち上がる。

 彼らの瞳には未だに闘志が宿っている。


 だが、マオカだけは俯いたままだった。


「……アタシは、どうしたらいいの?」


 ズィーアがゆっくりと口を開く。そこから伝えれる言葉を、彼女は半ば予測できてきた。


「……残念ながら妹君。君はこの『迷宮』の中に生きている存在だ。外の世界に出ることすら出来ないだろう」


 マオカはこの世界で生まれた存在であり、いわば『迷宮の一部』である。

 普通の人間ではなく、内的世界に生まれた不完全な存在。

 それが、外の世界へと出ることすら許されないのだと。


「それじゃあ! ここで待って居ろって言うの?」


 アイリンは押し黙る。

 誠は目を閉じている。

 ズィーアは、ユウキを見た。


「ああ」


 静かに、ユウキは告げる。

 それが絶対の拒絶であることを、マオカも理解出来た。


「アニキのバカ!!」


 今を飛び出すと部屋に逃げ込む。

 鍵をかけるとベッドに飛び込んだ。

 ずっと握っていた宝石が転げ落ちる。音もなく床に落ちた。

 マオカは気が付かない。

 疲れもあり、マオカの意識は一瞬で闇に沈んでいった。

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