第六章 最奥≪しんじつ≫への到達

6.1. 崩壊

 鍵宮マナが友の言葉で我を取り戻した時、最初に目に入ったのは眩い輝きを放つ聖なる剣であった。

 その光が恐ろしかった。見るものに希望を与え、未来を切り開く光の剣が恐ろしかった。

 理由は自分でも分からない。

 だけど、『自分がその光を見てはならない』と、脅迫めいた考えが自分の中から噴き出した。


 何もできず、気が付けば黒い翼に包まれる。

 その漆黒の翼が纏う暗い魔力の残り香に、覚えがあった。光から守られたとすら感じた。


 それは、黒い卵。誕生を待つ揺り篭。


 黒い卵の中で、鍵宮マナは震えていた。

 『迷宮』に迷い込んだことが原因ではない。


「おや、どうしましたか?」


 目の前にいる仮面の男――それも原因ではない。


 自身の中から噴きあがってくる記憶に震えていた。


「『迷宮』に入って驚きましたよ。この世界のように偽装をしていますが、街の構造はあなたが生まれ育った土地とそっくりだ」


 マナの中に在る景色が浮かび上がる。

 周囲を山と畑に囲まれた辺境の町。

 コンクリートの道路は無くて、石畳の道を馬車が走っていた。

 長閑な田舎町。ただし、まるでファンタジー小説に出てくるような異世界の光景。


 人々の営みがあった場所。

 そして、火に包まれてしまった場所。


「あ、あ……」


 マナはその景色を覚えている。

 焼け焦げた生活の跡の匂いを。世界を燃やしつくす熱を。


「そう。責任をとってください」


 仮面の男が近づいてくる。逃げることは出来ない。

 逃げてはいけない、それは許されないと誰かが言っていた。


「『迷宮』は覚えていましたよ。あなたを追い詰めるために集まった勇者たちの姿。あなたを守るために散っていった魔物たちの姿」


 ゴブリンやスケルトンは魅力されていた。圧倒的な力で世界を蹂躙する存在に。

 破壊の本能を植え付けられた魔物たちは強きモノに従い、弱きモノを蹂躙する。

 ただ強いモノのために戦い、消えていく。


 その姿は、マナの中に宿っていた。

 魔物だけではない、『迷宮』の景色が教えてくれた。

 お前は、この世界の存在ではないと。

 『迷宮』の中に存在する化け物たちこそ、マナの本性であると。


「ワタクシたちに、『魔王』と言う幻想を見せた責任を――世界を焼いた責任を――世界を変えられると、僕たちに見せてくれたことを!」


 マナの意識が溶けていく。

 罪と後悔の海に沈んでいく。

 仮面の男は素顔を晒す。酷く不愉快で、自分の顔みたいだ、と、マナは消えゆく意識の中で感じた。


◆◆◆


 マオカたちが転送された先は、見慣れた景色だった。


「ここは……うちの庭?」


 光が収まると、一行は鏡峰家の庭に倒れていた。

 地面には魔法陣の跡がある。突入する時に使った場所だ。


「立てるか?」

「う、うん」


 既に立ち上がっていた誠に起こされて、マカオも立ち上がる。

 ズィーアとユウキも既に立ち上がっていた。


「戻って来たのか?」


 間違いなく自分の家の庭。そして、周囲からは人々のざわめきや鳥の鳴き声が聞こえてくる。

 けれど、一点だけ明確に違う点があった。

 

「空の色が、『迷宮』と同じだ」


 青い空ではない。薄明と黄昏の混ざったステンドグラスの空が頭上に広がっている。

 言い知れない不安が空から降ってくるようだった。

 取り乱したような声がマオカの口から出てくる。


「そうだ、マナは? マナはどこに居るの?」

「それは……」


 ユウキは言葉を濁す。その様子が、尋常でないとマオカに理解させるのに十分であった。


「ズィーアさん、もう一度行こう! 今度こそマナを助け出さないと!」


 必死な形相のマオカ。ユウキたちは顔を伏せて目を見ない。

 思わずつかみかかりそうになる。それを遮ったのは、嘲笑うかのような男の声――仮面の男の声だった。 


「いいや、その必要は無いよ」


 黒い影が空を覆った。

 もはや見慣れた黒い蝙蝠の翼を生やした姿が上空に浮かんでいる。

 ただ、今度は仮面をつけていない。

 それどころか、男の姿ですらない。


「その姿は……マナ?」

 鍵宮マナの姿をした、『何か』が居た。


「ええ、その通り。ただ、中身はあなた達が変態仮面と呼んだワタクシのものですがね」


 少女の口から発せられたのは、気取った男の声。

 散々聞きなれた仮面の男の声であった。


「ひひっ、『迷宮』の中から支配し返した、ってことか」

「ええ、その通り。『迷宮』とは心の内。その内に入り込めるのなら、そこから操ることも可能でしょう。

 魔女ズィーア、そのような術式を研究していましたね」

「けど、それは非道の術だよ」

「関係ありませんよ。魔王様の肉体と魔力はいただきました」


 余裕ぶった男の声。完全に勝利を確信しきった自信の現れ。

 上空に浮かぶ『マナの肉体を持った何か』は勇者たちを見下ろしている。


「ま、ここに来たのは自己紹介と勝利宣言のためです。

 覚えておきなさい、魔王を打ち倒せし勇者と呪いを生み出した賢者。

 我が名は『リアクタンス』再び世界を闇に包むものです」


 それだけ告げると、黒い影は空高く飛翔した。

 そうして、モザイク色の空だけを残して消えた。


「どういうことなの、アニキ!! 魔王とか……どういうことなのよ!」


 取り残された少女は叫び。

 友を奪われ、世界を壊された少女は兄に助けを求めた。


「わかった、今から説明しよう。誠さんもそれでいいね」


 マオカは不安を押し殺す。拳を強く握り込み、しっかりと頷いた。

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