5.3. 足手纏いの戦い①

 歩き始めて数分で景色は変わった。

 ビルの谷間から、再び寂れた商店街の景色が二人の前に広がったのだ。


「あー、確かここって飲み屋とかが連なってる裏路地の方かな」


 魔法陣を踏むまでマオカたちが歩いていたのは、駅へと続く商店街の中央通り。

 ちょうど商店街の中央当たりから、横道が伸びている。そこは赤ちょうちんの小料理屋や小さな屋台が出ている飲み屋街になっているのだった。


「とりあえず、真っすぐに進めばさっきまで居た商店街の中央に戻れます」

「わかった、この街については君の方が遥かに詳しい、従おう」

「うん、まっかせて!」


 意気揚々と一歩を踏み出す。このまま三人無事に合流する――

 ――それを許さないと言うように、周囲に異音が響いた。


「!」


 思わずマオカは身震いをする。腹の奥が急激に冷めていくような感触が襲い掛かる。

 見知った商店街。日常を元にした風景。その中に、異常が浮かび上がってくる。


 空間に黒い穴が開く。穴の中から赤い瞳が浮かび上がる。

 緑色の瘦せこけた顔が姿を見せる。牙を剥き出しにした、小鬼が姿を見せた。


「ゴブリンだ!」


 アイリンの言葉にマオカは固まる。

 マオカの脳裏に学校で襲撃された記憶が蘇ってきた。あの時は、ユウキは自分を取り戻す前と言うこともあって逃げ続けることしか出来なかった。

 その爪と牙で、あと一歩遅ければ身体を引き裂かれていただろう。あの時の恐怖を思い出すと、身がすくんでしまう。


「自称妹、しっかりして!」

「あ、うん」


 声になんとか現実に戻って来たものの、震える足は上手く動かない。

 逃げないといけない、けれど、体が言うことを聞かない。


「失礼」


 誠はマオカを抱き上げると、お姫様のように抱えて走り出した。

 アイリンもそれに続き、迫りくる緑の波から逃げ出す。


「大丈夫か? 王子様はガラではないが、我慢してくれよ」

「いえ、そんなことないです! とってもカッコイイです!」

「ははっ!」


 抱えられた腕を通して、じんわりと汗が伝わってくる。

 見上げると、誠の真剣な顔がある。


「二人とも、もう少し早く走れない?」


 アイリンが後ろを振り返る。ゴブリンの数は数えきれない程で、狭い路地を完全に埋め尽くしている。

 距離はだんだんと近づいてきており、追いつかれるのもそう遠くない。


「危ない!」


 地面に何かがぶつかって弾ける。ゴブリンたちが走りながら投石を開始したのだ。


「っ……」


 その一つが誠の顔をかすめる。思わず顔が歪む。


「マオカ君、大丈夫か?」

「大丈夫です、それより降ろしてください!」


 このままでは危ない。そんな状況で、いつまでも足手纏いではいられない。


(大丈夫、やるんだ……この街を一番知ってるのは私で……)


 恐怖を勇気で覆い隠して、精一杯の自信を顔に張り付ける。


「だが!」

「やります! 私についてきてください、この街のことに一番詳しいのは私ですから」

「……わかった!」


 誠は強引に立ち止まるとマオカを腕から降ろす。


「いくよっ!」


 マオカは大地を蹴ると、二人の前に立って走り出した。


(やるんだ……だって私は、ただの女の子じゃない。

 勇者の妹なんだからっ!)


 ユウキの手に握られた聖剣の輝きを思い出す。

 聖剣を手に、悠然と立つ兄の姿を思い出す。

 少しでも、彼と同じように堂々と立つ。自分を奮い立たせる。


「次の角を右に曲がります!」

「だが、行き止まりだぞ」

「大丈夫です!」


 強引に曲がると、人一人がやっと通れるような細い道に入り込む。


「なるほど……アイリン君、しゃがんでくれ!」

「うぇ?」


 言われるままにアイリンがしゃがむと、誠はその小さな背中をジャンプで飛び越える。その先には先行していた小鬼が居た。


「よくもやってくれたな」


 勢いのままに顔を踏みつける。


「――ァアァ」


 悲鳴をあげる化物の角を掴むと、入り口に殺到していたゴブリンの群れに投げ入れる。まるでボーリングのピンのように倒れていった。

 入口に殺到したゴブリンたちは混乱してもみ合っている。狭い道ではゴブリンはその数を活かすどころか、本能のままに行動するせいで足を引っ張りあうだけであった。


「誠さん、こっちに!」


 路地の先でマオカが出招きをしている。化け物どもに背を向けて誠は走り出す。

 狭い路地を抜けると、古い家の庭だった。雑草は伸びっぱなしで、グニャグニャに伸びた木は隣の家の屋根の上にまで伸びている。


「ここ、登りますよ!」


 マオカはそう言うと、木をすすると昇って屋根の上にまで上がる。


「アイリン君、大丈夫かい?」

「これでも勇者一行の仲間だよ!」


 そう言いながらも、僅かに足を踏み外した。


「危ない!」


 マオカが手を伸ばすと、それを手に取る。


「私が下から押す、マオカ君は引き上げてくれ」

「了解!」


 アイリンも無事に屋根の上に昇った。誠は流石と言うべきか、苦も無く屋根の上まで登りきる。

 暫く待つと、下の方からゴブリンたちの鳴き声が聞こえてくる。必死にマオカたちの姿を探しているが、見つけることは出来ない。

 庭からはちゅうど視覚になる屋根の反対側に隠れながら、マオカたちは息を殺して音を聞いていた。

 やがて、ゴブリンの鳴き声が消えた。眼下を確認すると、化け物たちの姿は残っていない。


「ふう……ゾンビ程手強くないとはいえ、あの数は面倒だったからな」


 三人は屋根の上に座り込み、ようやく一息つく。空は相変わらず不快な迷宮の色をしているし、屋根の下からは化け物の気配は残っている。だが、一緒に危機を乗り越えた仲間の体温が、彼女たちの心に僅かであるが安心を与えた。


「今度は自称妹のおかげで助かったね

「この、商店街は小さいころから遊び場だったんだからね、どんな裏道だって分かるよ」


 兄やマナを連れて走り回った路地裏。子供が来る場所じゃないと追い払われたいかがわしい看板の店。

 夕焼けの時間帯、店の中からかおる焼き物の匂いを嗅いで、お腹の虫が鳴って笑われた日々を思い返す。


「さて、これからどうする? ユウキ君たちと合流するために歩いてきたが、今の状況では下手に動かない方がいいと思うが」


 直近の危機は脱したものの、この三人で魔物の群れを突破するのは危険が伴う。


「誠さんは、アタシたちと合流する前はどうしてたんですか?」

「逃げの一手だよ。幸いにして簡単な訓練は受けているから身を隠すのは慣れている。

 君たちにはまだ言っていなかったな、私たちのような調査員は『迷宮』に入って患者の状態を探ることも職務の一つになっている」


 マオカたちが実際に体験したことであるが、『迷宮』内部に遭難者が紛れ込んでしまうことは往々として存在する。


「そういった遭難者の救助も行うことはあるが、ユウキ君のように戦うことは難しい。携帯していた銃器も君たちと合流する前に使い切ってしまったしね」

「銃器……あー、とりあえず聞かなかったことにします」


 さりげなく飛び出した誠の言葉にマオカは顔を引きつらせる。


「話がずれたな。とりあえず、我々はユウキ君たちお合流しなければ、探索の続行は難しい」


 何をするにしても、この三人ではどうしても力が足りない。


「せめてアニキがどこに居るのか分かればいいんだけど」


 悩む二人の後ろで、アイリンがピンと尻尾を立てた。


「うん……見つかった! よかった~、ユー君近くにいるよ」


 唐突なアイリンの言葉に思わず「えっ」と二人は声を漏らした。


「んー、この場所に来てから尻尾にビンビンズィーちゃんの魔力を感じてる」


 ピンと立てた尻尾の先が、ゆらゆらと揺れている。


「どういうことなんだい?」

「えっとね、魔法使いがよくやる手段なんだけど、自分の居場所が分かるように弱ーい魔法の波を空気に乗せるの。

 少しでも魔法に素養のある人なら、誰かが何かを言おうとしてるのが分かるんだ」

「ふむ……救難信号を出しているようなものかな」


 ダンジョン内でパーティが分断されるのは十分に想定される。ズィーラははぐれた際に、空間内に微弱な魔力の波を発生させ、それを『迷宮』内に満たしていく。魔力の波はある程度魔力の素養がある存在なら感知することが出来るので、簡単な位置を割り出すことが出来る。


「一応応答も送っておいたから、見つけてくれると思うけど」

 

 もし仮に、アイリンとズィーラ、そしてユウキが離れ離れになった際、一定の魔力の波をお互いに発することを決めていた。

 もしはぐれても、それを道標にして合流できるようにと彼らの間で決めた対策だ。


 ――物理的な破壊では聖剣以上の力を出すことは難しいからね。僕たちの仕事は、勇者の助けとなることだ。


 ズィーラの言葉であるが、魔法の本質とは破壊ではなく物理的には解決できない概念的な事象に対する対処である。


「もー、なら早く言ってよ」

「ごめんね、飛ばされた直後は何も感じなくてガッカリさせたくなかったから」


 ふと、マオカは分断された直後のことを思い出す。


「あー、だから泣いてたんだ」


 アイリンは最初に魔力の波を確認していたのだ、それが全く感知出来なかったから、大泣きしていたのである。


「ユー君に言ったらダメだからね!」


 ぽいっと顔を逸らしてしまい、マオカからは表情は見えなかった。けれど、耳が真っ赤なことを確認して、少しだけ意地悪な顔になる。


「はいはい、分かりました」


 む~、と小さな唸り声が聞こえた。


「さて、そうなるとここで待機をしていればユウキ君たちとは合流できそうだな」

「うん、少しづつ近づいてきてるから大丈夫――」


 そう、大丈夫なはずであった。

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