4.2. 迷宮溢れる

 会計を終了後、大き目のレジ袋に分けた食材が乗ったカートを押しながら駐車場へ戻る。

 ボロボロのトランクに荷物を詰め込め終わると、出発――の前に、誠は忘れ物が無いかと暫し考える。


「すまない、ホームセンターの方に寄ってもいいかな」

「大丈夫ですけど、何か? 家にあるものだったら貸しますよ。お金大丈夫ですか?」

「君たちがそれを言うのか……だがまあ、借りられるものを改めて買うのもどうでもいい、か」

「そりゃもう、何度も言ってますが遠慮はなしですから」

「そうだったな、この財布の被害が確かに物語っている」


 車に乗せられた大量の荷物をちらりと見ると、流石に兄は苦笑いをしていた。妹はいつもと変わらない。

 

「裁縫用の道具だが、あるか?」

「あー、ダメかも。アタシもアニキもそこら辺はてんでダメだから」


 鏡峰家がユウキとマオカの二人暮らしになってから数年。自然と自立した二人は家事も万能……とはいかず、最低限の料理や洗濯、掃除が出来るだけである。そう言った細かい作業はどうしても苦手で――


「どうしてもダメだったら、マナに頼ってたしね」


 妹は親友に頼っていた。

 学校の放課後の教室、破れてしまった制服を補修する二人。

 窓の外に見えるのはサッカー部の練習風景。マナは作業の合間にも様子を見ていた。マオカはニヤニヤしながら見つめるも、からかうことはしなかった。


「裁縫道具はないか。なら仕方ない、実はスーツの一部が裂けてしまってね。応急処置くらいはしておきたいんだ」

「了解しました、行きましょう」


 カートを所定の位置に戻すと、再びフロアへと降りていく。


◆◆◆


 二階のフロアへ降りると、そのままフロアの反対側へ。

 衣料品売り場を抜けると、併設されたショッピングセンターへの入口へ。夕食にするには少し遅い時間である、既に客足も大分落ちている。

 柱にかけられた案内パネルを確認して、さっさと歩き出そうとした。


 そこで、最初に異常を感じ取ったのはユウキだった。


「……」


 黙って二人から離れると、スポーツ用品売り場へ。


「アニキ、そっちは違うよ」

「ああ、分かってる」


 そう言いながらも、金属バットを手に取ると握り具合を確認し、何度か素振りをする。野球のフォームではなく、迷宮の中で剣を振るような明確に『相手』を殴るために腰が入っている。


「アニキ、どうしたの?」


 ユウキは周囲を警戒しながら、低い声で警告をする。


「二人とも、イヤな気配を感じない?」


 誠は黙って頷いた。ユウキと同じように、表情が硬くなっていた。


「え、誠さんもアニキもどうしたの? 急に剣呑な空気になっちゃってさ」


 明らかに様子の変わった二人に、マオカは困惑すると同時に不安を覚えた。


「気配がダメなら、匂いを嗅いでみて。意識して空気を吸い込むんだ」

「う、うん、わかった」


 深く息を吐いて、深呼吸。

 ホームセンターの雑多な空気に混ざってマオカの口に入って来たのは、僅かな腐臭。


「っ……はっ」


 思わずえづいてしまう。


(なんだろ、これ。冷蔵庫に入れっぱなしで腐った鶏肉や牛乳と違う……腐敗した肉だけじゃなくて、もっと鉄っぽい……)


 肉と混ざった鉄。腐敗と同時に侵攻した酸化。それが指し示すモノ。


「え、まさか血の匂い?」

「ああ、その通りだ」


 ユウキは金属バットを構え走りだした。


「キャァァァァァァァッ!!」


 同時に、店内に若い女性の悲鳴が響き渡る。

 すぐさま誠が反応し、走り出す。それに少し遅れてマオカが従った。

 商品棚の合間を縫って走る。園芸用売場に差し掛かったころ、特に意識しなくても腐臭が鼻に突き刺さるようになった。


「マオカ君、止まれ!」

「誠さん?」


 誠は黙って商品棚の奥を指さす。そこには、床に倒れた女性。そして、それに襲い掛かろうとする化け物――


「ゾンビ!?」


 赤黒い腐肉の塊が、辛うじて人の形をしていた。抑えきれない腐臭は吐き気をもよおすほどで、近づくまでもなく嫌悪感を抱かせる。緩慢な動きで女性に迫る存在は、ゾンビそのものだった。


「い、いや……来ないで!!」


 地面に倒れた女性は上手く立ち上がれない。腰が抜けてしまったのか、恐怖で混乱しているのか、立ち上がることも出来ずに手足を無駄に動かしている。緊急事態を前にして体が思い通りに動かなくなっていた。


「マオカ君、私があのゾンビの相手をするから、君は女性を助け起こして逃げるんだ」

「う、うん」


 誠は拳を握ると簡潔に支持を出す。マオカは緊張した面持ちで頷く。


「よし、3っつ数えたら飛び出すぞ……1、2」

「「3!」」


 3カウント目は二人同時に叫んだ。

 床を蹴って飛び出すと、誠は矢のようにゾンビに向かって飛び出していく。


「はあぁっ!」


 飛び上がると勢いに任せて飛び蹴りを見舞う。体重の乗った一撃で食らい、ゾンビは大きく吹き飛ばされた。


「大丈夫ですか!」


 その隙にマオカは倒れた女性に駆け寄ると、腕を引っ張って持ち上げる。涙を流しながら見上げる女性を引き上げると、肩を支えた。


「よし、行けっ!」

「走れ……ないよね、少しでもいいからゆっくり!」


 まだ足取りのおぼつかない女性を抱え、マオカは足を進める。

 寄りかかってる来る体重に思わずよろけるが、倒れまいと踏ん張る。


「はぁっ!」


 誠は二人を守るようにゾンビに向かって立ち向かう。

 握った拳を全力で振り抜いた。


(手応えはある……だが)


 腐肉の塊はまったく動じることなく受け止めると、誠の腕をつかむ。

 ぐにゃりとした感触。それと同時におそいかかる激痛。腕がもげる程の力で握りつぶされる。


(くそ……ゾンビには痛覚なんてないから殴られても構わず襲い掛かってくる)


 歯を食いしばり、必死に痛みを堪える。


(耐えろ、せめてマオカくんの安全が確保出来るまでの距離になるまで……)


 なんとか腕を振りほどこうとするが、ゾンビの腕力は人間のものを超越していた。

 潰れた瞳が光ったような気がした。ボロボロになった歯が口から覗いている。


(噛まれる――)


 瞬間、誠の脳裏には以前みたゾンビ映画のワンシーンが過った。

 ゾンビ映画において、ゾンビ個々の戦闘能力はさほど脅威ではない。動きは緩慢で鎧も武器も持っていないので一般人でも武器さえあれば容易に対処が可能である。

 本当に怖いのは個々の能力ではない、ゾンビは大量に発生し、かつ、接触した人間に対し、病気をうつすかのようにゾンビ化して増えていくことである。

 ゾンビに感染する方法は様々だが、メジャーの方法が『噛まれる』ことだ。


(まさか、噛まれたら――)


 自分も目の前の死肉のようになるのだろうか。理性を失い、後ろに控える少女に襲い掛かるのだろうか。

 ゾンビの口から漏れる唸り声は嘲笑っているかのようだった。

 誠は目を襲い来る痛みを想像し、閉じる――


 ――痛みが襲い来るよりも前に、風が駆け抜けていった。


「アニキ!!」


 その風の正体を妹が叫ぶ。待ちかねた存在の背中を押す!


光爆ブラスト!」


 鈍い音が目の前で炸裂する。光の波がゾンビの腕を切り裂いた。

 誠の背中が乱暴に掴まれると、強引に後ろに引き寄せられる。入れ替わるように誰かがゾンビと彼女の間に割って入った・


「まったく……助け方が乱暴すぎないかい?」

「よく言われます」


 誠が目を開けると、小さな背中が力強く立っていた。


(勇者、か)


 構えているのは聖剣ではなく金属バット。背丈は小さく、大人の誠よりも小さい。

 それでも、威風堂々と脅威に臆せず立つ姿は勇者と称されるものであると。


「あとは任せて!」

 

 金属バットを長剣で突きをするかのように構えると、全力で床を蹴る。

 光の矢となった勇者の一撃は、ゾンビを壁まで吹き飛ばすと、肉と骨を砕ける音がした。先程の一撃で胸部が陥没している。人間であれば致命傷にも近いが、それでもゾンビは呻き声も出さずに動き出す。だが、勇者はひるむことなく飛び込むと、今度は頭を狙って金属バットを振り下ろした。


「頭を潰せばっ!」


 鈍い音とともに頭が消し飛ぶ。脳漿であった肉の欠片が飛び散ると、今度こそゾンビは動きを止めた。

 

「アニキ、遅いよ」

「ああ、ごめん」


 買い物をしていた時の穏やかな少年の顔とは違う、戦士の険しい瞳。持っている武器こそ金属バットであるが、ゾンビを前にしても眉一つ動かさないその姿は歴戦の勇士そのものだった。


「マオカ、誠さん、気を付けて! ゾンビは別の場所にも居る」

「なんだって」


 同時に拳に光をためると、空の手を振り襲る。

 光が刃となって奔ると、通路の奥へと飛んでいった。ややあって、肉が床に落ちる音がした。


「ああ。相手してたから遅くなった」


 二人より先に飛び出したユウキは、既に店の中で何度かゾンビと交戦していた。


「ゾンビは多くて五匹くらいのグループ、いくら倒してもわいてくる。歩いてたらゲームみたいに急にエンカウントするみたいな感じだから気を付けて」


 走っていると突如空間上にゾンビが生み出される。文字通り、無から異変は発生していた。


「映画みたいに人間が感染して増えていくタイプじゃない。ゾンビってモンスターが『迷宮』から溢れ出てるようなもんだと思う」

「め、『迷宮』……」


 マオカに支えられた女性が呟く。『迷宮病』の存在は一般人にも広く知られている、彼女にも現在の異常の原因が理解出来た。


「そんな……はやく病人を追い出してよ! このままじゃ私たちまで『迷宮』に飲み込まれちゃうじゃない!」

「落ち着いて、お姉さん!」

「落ち着いてって! あんな化け物に襲われて落ち着くなんて無理よ!」


 ついに女性は暴れ出し、マオカを引き離してしまう。


「こんなところに居られないわ! 私は帰る!」

「それゾンビ映画だと死亡フラグだから!」


 叫びに呼応するかのように空間が歪む。

 鼻がもげるようような死臭とともに人型の肉塊が床を歩く。


「ひっ……」


 女性の顔が恐怖にひきつる。ふたたびへたり込みそうになるのを、マオカがとっさに支える。


「はあっ!!」


 ユウキが一瞬で前に出る。拳には魔力で生み出された光が集まっている。


光爆ブラスト!」


 手を振りかざすと、光の波動が解き放たれる。

 光の波がゾンビを包み込むと、黒い塵となって消えていく。


「アニキ、アイリンが居なくても魔法を使えるんだね……」

「あくまで全力で戦えないってだけだから! これでも勇者なんだって!」


 同時に駆け出す。その先には新しい空間の歪み。即座にバットを振り抜き、肉塊を弾き飛ばす。


「マオカくん、この人を安全な場所まで」

「あ、はい。大丈夫ですか、歩けますか?」

「う、うん」


 今度は、女性はマオカの手を借りずに立ち上がることは出来た。


「誠さんは?」

「私は私の仕事をする。君はこの区画の外に出たら、ドアの前で他に人間が入ってこないように見張っていてくれ」

「分かりました!」


 やるべきことを確認すると、三人は走り出した。

 誠は先行して道を確保する。幸いなことに、ゾンビ映画のように建物そのものを埋め尽くすほどのゾンビは出現しない。


(まだ、大きな騒ぎにはなっていない)


 誠は不幸中の祝いに感謝をする。

時間帯も幸いした。食料品売り場ならまだしも、ホームセンターには客は殆ど残っていない。数人のスタッフも、ユウキが走り回って敵を倒し、注意喚起をしてくれていた。

 脱出自体は驚くほどスムーズに終わった。

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