3.3. 見知らぬ兄
翌朝――
薄明と黄昏の混ざった空を見上げると、マオカは顔をしかめた。
最初は小さな欠片が重なり合った万華鏡のような空を珍しくも感じたが、『迷宮』の恐ろしさを知った今では嫌でも警戒をしてしまう。
「そういう顔をするのも分かるよ。この空は『迷宮』の中では『時間』が死んでいることの証明であり、本来は絶対に存在しない光景なんだ」
ズィーアは言葉を聞いて、マオカは少しだけ腹の底からこみ上げてくる嫌悪感を少しだけ飲み込めたような気がした。
「一日のはじまりと終わりが同時に存在する、何時でも何処でもない場所、か」
生理的な嫌悪感は拭いきれないが、ある程度仕組みを理解すると納得は出来る。休んで冷静になった頭で、ようやく少しだけ落ち着けた。
十分に休息を取った後、マオカたちは再び『迷宮』へと突入した。
四人が立っているのは学校の校門。数日前に死闘が行われた場所に戻ってきていた。
「こんなアッサリ戻って来れるなんて思わなかった」
「どんなのを想定していたんだよ」
『迷宮』への再突入は一瞬で終わった。正確には一瞬で終わる様にズィーアが用意していた。
あらかじめ、庭にひかれていた魔法陣を起動すると、一瞬のうちに転移したのだ。
「いやあ、家の地下に勝手に秘密基地が作られてて、そこから転送されるとか」
「ああ。工房を作ろうかとも考えたけど資材を用意するだけのお金が無くて諦めたよ」
「しれっと白状するなよ……」
一般的な住宅地の地下が違法改造される危機はあった。幸いにしてその危機は金銭的な問題で回避されていたようだ。
「そう言えば、車はどうやって持って帰ったの? 確か駐車場にちゃんと置かれているのは見たけど」
「ああ、持って帰ったよ。ここに放置しておくわけにはいかないし」
「凄いんだよー、あんな重そうな鉄の塊なのに、軽々と盛り上げてたんだー」
両手で車を持ち上げて、駐車場に丁寧に奥ユウキの姿を想像すると、思わず吹き出していた。
「手で、もって、いったん、だ」
「この身体だと足が届かないし。仮に運転できても、免許見せても同じ人だって信じて貰えないし」
中学生くらいの背格好になったユウキを見て、大学生の同一人物だと分かる人間はそうそう居ないだろう。
思わずマオカが忍び笑いをする。ユウキが不機嫌そうに口を尖らせる。
いささか緊張感に欠けるものの、落ち着いた空気。
良好な状態であることを確認すると、話を切り出したのはズィーアだった。
「さて、改めて確認だ。
ボクたちの目的は『迷宮』の主であるマナ君との接触だ」
アイリンとユウキが顔を引き締める。
「妹君、君が昇降口で見つけた宝石をもう一度掲げてくれないか」
「うん、分かった」
ポーチにしまった宝石を取り出すと、空に向かってかざす。
淡い金色の光が漏れだすと、レーザーのように川を越えて街の中心の方へ伸びていく。
「この先に、マオが居るのかな」
「ああ、間違いない。妹君が見つけたのは彼女の『心の残り』が結晶化したもの。本体から分離したその感情は、マナ君の元に戻りたがっている。
だから、その光の先に居るのは間違いない」
ズィーアは帽子を取る。エメラルド色の髪の先が伸びて、目の前に輪っかをつくると薄い粘液の幕が張られる。
「ちょっと待っててね、視覚強化をして確認するから」
「はえー、メガネみたい」
「そうだね。屈折率を調整して見やすいようにするんだから、メガネに近いかもしれない。ま、ボクの場合は双眼鏡に近いかな」
ズィーアは伸びる光の先を確認する。
一直線に伸びているように見えて、一か所で歪んでいた。
「光の屈折から見て、空間の歪みがあと一か所ある。そこは現実と『迷宮』の隙間が曖昧になっている場所だ」
「『迷宮』の隙間?」
首を傾げていると、ユウキが話に加わって来た。
「マオカも、ここに来るまで連続していない空間に迷い込んだことがあるだろ」
「うん。ビルの谷間で人形たちに襲われた時のことだね」
絶体絶命の危機を思い出して身震いをした。
幸いにして命を拾ったものの、あの時ユウキが僅かにでも遅れていたら『迷宮』の床に倒れ伏していただろう。
「空間の歪みは『迷宮』の主が持つ記憶の中でも曖昧であったり『思い出しくない』経験が詰まっている場所だ。
誰でも忘れたいと思ったことを無意識にしまいこんでしまうことがあるだろ。それが詰まっている場所」
些細な失敗をした。あまりにも辛くて逃げ出してくなった。
そんな経験を時間の経験で薄めていく。
「そんな場所には負の現象が集まっている。中に突入すれば抗体……敵対者に襲われる可能性は高いだろう」
「抗体って?」
覚えのない言葉が何度も出てきて、質問を繰り返してしまう。
「記憶の中に入ってくる侵入者……この場合は俺たちか。それから『迷宮』の主を守るための存在だよ。
たいていは、敵を倒すために『怖いと思うもの』の姿をとってる」
「あ、あの人形とかが……」
マオカは追いかけられた恐怖を思い出す。
人形の群れだけでなく。小鬼に囲まれた時も命の危機はあった。
つねに紙一重の状況に、不安がわいてくる。
「大丈夫だよ、自称妹ちゃん。最強の勇者のユー君が居るんだから今度は大丈夫」
硬くなっているマオカの肩を、アイリンが優しくたたいた。
ユウキは頬を緩めると、拳を握りしめる。聖剣の光が溢れていた。
「大丈夫、アニキたちを信じてるからさ」
わかった。ズィーアはそれだけを告げると、宝石の光が指し示した先を指さす。
「とりあえず、そこを目標にすすもう。そこまで進んだらボクが魔法で『迷宮』の中継地点を作る。そうしたらもう一度帰って休憩をしよう」
「休憩、するんですか? マナを急いで取り戻さないと」
「急がば回れ、だよ。自分を見失った人間の手を取ると言うのは簡単な事じゃない。まず自分たちが万全な状態でないといけない」
「……うん。わかった」
マオカは首を左右に振って頬を叩く。
迷いを振りくるように力強く目を見開くと、余計なことは頭から追い出した。
最初に脚を前に進めたのは、彼女だった。
見守る三人は守る様に囲み、彼女の歩みに合わせた。
◆◆◆
車は使えないので、道程は歩くことになった。
川沿いの道を越える。石造りの橋を渡り、バスが通る大通りに従って進む。普段は通りすがる人や車が走っている道路には人の気配はない。
幸いにして小鬼たちが現れた時のような異音はなく、薄明と黄昏の混ざった空は静寂そのものであった。
「なんかさ、まったく知らない空間に放り込まれるより、知っている景色の中に異常がある方が怖いよね」
「うん。自称妹ちゃんの言うこと分かるな。魔王の手で住民がゾンビにされちゃった街を探索する時とか、怖かったよね」
「ああ。つい数日前まで生活していた痕跡があるだけ性質が悪い。自分たちが斬り倒す相手が人間だったって嫌でも思い出すからさ」
ズィーアは首肯した。
マオカは思わず言葉に詰まる。さも当然のように、人の形をした化け物を倒した話を聞くと、どうしてもその光景を想像してしまう。
「そう言えば、あの時はゾンビの浄化に時間がかかって大変だったな」
「そうだね。浄化の魔法は基本的に専門外だからね。勇者君の聖剣の光が無ければ危なかった」
そうして、三人の昔話がはじまってしまう。
この場で話に入れないのはただ一人、マオカ。
さも当然のように異世界での経験を語る兄の姿を、マオカはじっと見ていた。
(本当に、アタシの知っているアニキなのかな?)
突如姿が変わった兄の姿。
接してくる態度は変わらないけれど、聖剣を持って異世界の記憶を語る兄の背中は、いつもより遠くに見えた。
「マオカ、どうしたのか?」
「え、アニキ?」
「変な顔してるぞ。気になることがあったらすぐに言ってくれ。
俺はもちろん、アイリンもズィーアも出来ることならすぐに助けてくれる」
顔立ちは幼いけれど、妹を心配する兄の顔は普段と同じだった。
「私は妹を名乗る不審者を疑ってるんだけど。義理の姉として認められないんですけど! 式に呼ばないよ!」
「なんで完全に結婚するつもりなの!?」
義理の姉を自称する不審者に比べれば、兄が縮んだことなど些細な問題であった。
「そこまでだ、一度止まって」
ズィーアが一同を静止する。手のひらから杖を召喚すると、目の前に突き出す。
空間に波紋が浮かんだ。見えない水の壁は目の前にあるようだった。
「改めて説明をしたが、この内部に突入したら戦闘になる可能性が高い。
勇者君がすぐにアイリンを心に中に入れて」
「分かった。頼む、アイリン」
「うん!」
先ほどうって変わり、真剣な顔になったアイリン。
ユウキと顔を見合わせると、頷く。
アイリンがユウキの胸に手を当てる。二人が光に包まれると、アイリンの姿は消えた。
『おっけー、ユー君いつでもいいよ!』
頭に直接響くような声が空間に浮かび上がる。
アイリンの姿は見えなくても、声はマオカにも届いていた。
「アイリン、聖剣抜刀の準備を」
『了解!』
ユウキが空に手を翳すと、手のひらから黄金の光が浮かび上がる。
「
呪文を唱えると掲げた手のひらから眩い光が立ち上る。吹き出た光が剣の形へと収束すると、勇者の手には両刃の聖剣が握られていた。
「妹君はボクの傍を離れないでね。絶対に守り抜いて見せるから」
「ああ、敵は俺が全部倒しつくす」
マオカは深く頷く。
そして、三人揃って歪む空間に向かって飛び込んだ。
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