3.2. 夕暮れの街

 同行することを決めたマオカであるが、すぐに『迷宮』の探索に戻るわけではない。


『明後日にまた『迷宮』に突入するよ』

 ズィーアの提案に、ユウキもアイリンも異を唱えなかった。

 マオカ今すぐに入りたいとと駄々をこねたが、やんわりとズィーアたちに止められてしまった。

 

『そうは言っても、妹君だって身体をゆっくり休める必要があるだろう』


 その言葉の通り、食事から帰ると一気に疲れが襲ってきた。

 ベッドに倒れ込むと、次に目が覚めたのは翌日の朝。


「あ、学校に行かないと」


 急いで支度して今に降りると、出迎えてくれたのは小さくなった兄と、二人の女性。


「やあ、体は大丈夫かい?」

「一日寝たらすっかり元気になりました」

「うんうん、若いっていいね。素晴らしい」


 ユウキが用意してくれたトーストを急いで食べる。姿は変わっても、味はしっかりと変わっていない。

 変わったと言えば、二人だけの食卓がにぎやかになったこと。もっとしっかり味わえとアイリンが文句を言ってきたくらいである。


「それじゃ、行ってらっしゃい」

「うん、行ってくるよ、アニキ!」

「なるべく遅く帰って来てね! 私はイチャイチャしてるから」


 ふざけんな、と毒を吐いて外へと出る。


 空は快晴、深い青。

 自宅前の坂道は『迷宮』の中と同じだけれど、空の色は全く違う。青い空に安堵しながら坂道を駆けおりて、川沿いに走っていく。

 空には早起きの鳥。道路にはトラックや乗用車が走っている。

 変わらない景色に感謝をしながら、マオカは学校へと走っていった。


◆◆◆


 マオカが教室に入ると、クラスメイトたちの視線が一斉に集まる。


「おはよ~、どうしたの、みんなして」


 なんでもない、と言う様子のマオカに対して、クラスの皆はどこか暗い顔をしている。


「マオカ、マナのことは――」

「あ、そっか。みんな情報の提供ありがとう! おかげでマナの事は見つかりそうだよ!」


 明るく言い放つマオカの声に、クラスの皆が言葉を失う。

 そして、すぐに溜息が一斉に聞こえた。


 ――マオカはそんなことを気にするような奴ではない、と。


「あの、改めてごめんね!」

「それはまだ早いよ。絶対にマナを連れて帰るから、その時に言ってよね!」

「うん!」


 始業の鐘が鳴った。始まりを告げる希望の音色が鳴り響く。

 また、当たり前のように一日がはじまる。そこにマナと言う欠けたピースはあるけれど、それは一時的なこと。

 必ず埋めて見せる。取り戻してみせると決意を新たにした。


◆◆◆


 ――まったく、最近の君は授業を集中して受けていないな。


 さて、それは何時間目の授業で言われたことだろう。それとも、複数の教師からの言葉だったであろうか。

 何れにしても、マオカは授業に集中しきれていなかった。

 理由は簡単だ、まだ親友を助け出せていないからだ。


 帰りのホームルームが終わると、すぐに教室を飛び出す。

 さっさと靴を履いて家へと走り出す。川沿いの道を走り、息を切らしながら坂道を登り、買い物帰りのご近所さんに挨拶をして家に入る。


「ただいまーっ!」


 家の中からは返事はなかった。玄関には靴が一人分だけ残されている。


「どこに居るのかな」


 キッチンにも居間にも人の気配はない。二階に上がると、ユウキの部屋の扉が開いていた。


「アニキ?」


 ドアを開けて顔を見せると、部屋の中にはズィーアが居た。

 本棚の前で、漫画本を開いている。


「あ、妹君か、帰って来ていたんだね」

「はい! ズィーアさんは本を読んでいたんですか?」


 ズィーアは読んでいた本を置く。


「ああ、退屈なら読んでいてくれと勇者君に言われてね。

 いや、絵物語と言うのも中々面白いね」


 本棚には少年漫画のシリーズもの。外伝も全て合わせれば五十冊はある。


「面白いですか?」

「ふへ、そうだね。文字の物語はボクたちの世界にもあるけれど、ここまで絵を用いているものはそうそうにない。

 画材はもちろんだけど、これだけの技術の蓄積があるなんてね」


 とある頁を開く。2ページにわたって描かれているアクションシーンは、話の流れが分からなくても迫力が伝わってくる。


「しかし、勇者君は似たような本ばかりを集めるね」

「スローライフ物が好きだって」

「それに、ファンタジーもの。それも、人間以外が主役のものばかりだね」

「うん。なんだか人間ばかりじゃなくて、生きている物がちゃんと正義を持っている方が共感できるんだって」

「はは、彼らしいね。うん、安心したよ」


 うん、うん、と頷くズィーア。そこに込められた意味を、マオカは分からない。


「そう言えば、ズィーアさんたちの世界の本って、どんなものですか?」

「そうだね。殆どは記録や実用書ばかり。君からしたら退屈なものかもしれない。とは言っても、それも無理もない。娯楽を作るだけの余裕が私たちの世界にはなかったからね」


 ズィーアはどこか遠くを見ていた。

 その先にある景色は、なんだろう。異世界の景色をマオカは知らない。


「あの、良かったらアニキと一緒に、どんな冒険をしてきたか教えてくれませんか?」

「そうだね……君には知る資格はある」


 本を置くと、ズィーアはゆっくりと語り始めた。


◆◆◆


 広大な草原と山々が広がる世界。

 こことは少し違う。石造りの建物と魔法による文明が広がる世界。

 自然と一緒に発展することを選んだ世界は、物質に埋め尽くされた現代とは違う、ファンタジー世界のような風景が広がっていた。

 穏やかな文明が広がるその世界では様々な種族が共存共栄している。


 だが、数十年前、突如世界に出現した魔王とその軍勢。

 強大な力によって世界を支配しようとする勢力と、既存の形の世界を維持しようとする人々の争いが巻き起こった。


『魔物だから、人間だから、亜人だからと言う理由じゃない。ただ、今の世界を守りたい人とそうでない人がぶつかり合った戦いだよ』


 そう言うと、ズィーアは自分の腕をマリカに見せる。

 一見すると人間の腕のようである。


『さて、驚かないでね』


 ズィーアが偽装を解くと、肌色の手は青白い粘液のような塊になってしまう。

 驚かないで、と注意をされていたが、思わず声が出ていた。


『ボクは粘霊族≪ウーズ≫の魔女なのさ。人間に見えるけどそう擬態しているだけ。人間の形のスライムに、人間のガワを魔力で縫い付けている』


 ズィーアもアイリンも、純粋な人ではない。魔物や亜人に近い存在である。


『それだけ多くの種族が手を取り合ったんだ。夢魔族であるアイリンや、人間である勇者君。それ以外にも沢山の仲間がいた』


 そして、その中でも特に強い力を持っていたのが『迷宮』の『制覇者』と呼ばれる存在。

 自分の内なる力を完全に制御し、扱うことが出来る存在。


『その中でも特に強い力を持っていたのが、君の兄である勇者君だ。

 彼は心の内に聖剣を持つ勇者であり、それを支えていたのがアイリン』


 少年は聖剣を手に戦い、ついに魔王を討ち果たす。

 だが、その際に事故によってマオカの兄として異世界に流れ着いた。


『それを助けるのが、まずボクの目的……もう一つは、今は止めておこう。もしかしたら、果たす必要が無くなるかもしれないしね』


◆◆◆


 ズィーアの話が終わる頃、窓の外には夕暮れの茜色の空が広がっていた。


「さて、そろそろ食事にしようか」

「はい!」


 二人で居間に降りると、食卓の上にはアイリンが突っ伏していた。

 いくつものお皿が並んでいて、肉や野菜の料理が沢山詰め込まれている。


「アイリン、起きてくれないか」

「あ、ズィーア……それに自称妹もか」


 瞼をこすって起き上がると、大きな欠伸。


「これ、アイリンさんが作ったんですか?」

「もっちろん! そして全部ユー君の好物です!」

「うん、確かにアニキが好きそう」


 並んでいる品々は確かにユウキが美味しいと言って食べていたものばかり。


「あ、でも白いご飯がない」

「ん……やろうと思ったんだけど、なんか乾いてて食べられそうにないのよぉ」

「あ、そっか、炊飯器の使い方が分からないのか」


 炊飯器、と異世界からの住人二人は頭をひねる。


「と言うか、火とかどうしたんですか」

「火? 庭でおこしたけど?」


 マオカは思わず顔を引きつらせる。ご近所さんに見られていたらと不安になる。

 とりあえず、食事のことを考えて現実逃避をすることにした。


「それじゃあお米も炊けてないか……炊飯器はっと……ちょっと待っててね」


 エプロンをしめると、米櫃から必要な量を取り出す。

 釜に水をはって丁寧に米を洗う。タイマーをセットして準備は完了した。


「ふえ、それでいいんだ~」

「便利なものだね。元の世界に帰ったら似たようなものを作りたいよ」


 しきりに感心する二人を見て、マオカは得意気に胸を張る。自分のことではないが、この世界のことを褒められると嬉しいのだ。


「後は待つだけだけど、アニキはまだ帰ってきてないね」

「うん、どこに行ったのかな。ズィーアは分かる?」

「うーん、ボクにも心当たりはないが……妹君はどうだい?」


 話を振られて、マオカは考え込む。

 兄が行きそうな場所。今は車もないし遠くには行けない。

 そうなると、思い当たる場所が一つあった。


「きっと丘の上の公園だ。一緒にいきましょう」


◆◆◆


 学校に行く時とは逆に、坂道を登っていく。

 家々には既に灯りが灯って、夕飯の団欒が聞こえてくる。


「むー」


 マオカの一方後ろを不機嫌そうな顔のアイリンが歩いている。

 マオカはどう声をかけていいか分からず、そのまま放置をしているが背中に刺さる視線がとてつもなく居心地が悪い。


「まったく。どうしてそんな顔をしているんだい」


 見かねたズィーアが声をかけた。


「だって、自称妹がさぁ! 私が知らないユー君を理解しているような顔してるんだもん」

「ひひっ、この世界なら妹だからね、それは無理ないよ」


 ズィーアが言うように、本当にどうしようないこと。事故のようなものなのだから。


「アイリンは、自分が知らない間に妹と言う立場を手に入れた妹君に嫉妬しているんだよ。

 まあ、それはどうしようもない事だよ。諦めてくれ」

「やだ! やだやだやだーっ! ユー君の一番は私なんだもん!」

「でも、アイリンだってアタシの知らない勇者のアニキのことを知ってるでしょ。

 そこはおあいこ様だよ」

「違うのーっ!! 大好きな人の知らない姿を知っているのが気に食わないのっ!」


 子供のように言い争っている間に、丘の上についた。

 マオカが予想したように、そこにはユウキが立っていた。


 丘の上の公園は、街を一望できる。ユウキが好きで、よく夕暮れの景色を眺めていた。


「アニキ、そろそろご飯だよ!」


 呼びかけられたユウキはすぐに振り返る。

 すでに世界は昏くなっていた。だから、その顔に寂しさが混ざっていたことに、マオカは気が付かなかった。

 

「勇者君、もういいのかい?」


 広がる街の景色。振り切るように顔を上げると少年は仲間たちに明るく応じる。


「ああ、もう大丈夫だ。ちゃんと覚えておいたから」


 その言葉の意図を、マオカにだけは分からなかった。

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