第三章 幻路を往く
3.1. 異世界の仲間たち
少女が自分自身を『鏡峰マオカ』として認識してからの世界には、常に兄の姿があった。
マオカの思い出と呼べる光景の大部分には、兄であるユウキの姿があった。
田舎の街に住む気の合う兄と妹。それと友人であるマナ。
――お兄ちゃんなら、ちゃんと妹たちを守りなさい。
そう母親から言われて、野原で遊ぶ妹と友達を見守っている兄がいる。
とは言っても、遊び盛りの男の子だ。すぐに活発な妹と一緒に遊んでしまうのだが。
「本当に、そっくりな兄妹だよね」
マナも、野原で泥だらけになった二人を見て、よくそんな風に評していた。
(そう言えば……いつからだったかな)
何か大切なものがあるような予感がした。
(アニキって呼び始めたのは)
思い出さなければいけない、そう思っていたが、霞がかかって見えなくなってしまう。
そうしているうち、夢なのか現実なのか分からない幻の世界からマオカは覚醒した。
◆◆◆
思い出が混ざった夢からマオカが目覚めると、そこは自室のベッドの上だった。
近くで寝息が聞こえた。部屋の隅を見ると、少年――ユウキと、それに引っ付くようにアイリンが眠っていた。
アイリンは手をユウキの体にまわして密着をさせているが、寝ている少年は静かなものであった。
「えっと……アニキ?」
「ん?」
呼びかけると、ユウキが顔を上げた。
どこか見覚えのある幼い顔。夢の中で久方ぶりに見た兄の少年時代の顔がそこにあった。
「はあ……ホントどうしたんのアニキ、そんな姿になって」
「あー、まあ……説明するのも面倒なんだけど。とりあえず俺が兄であることはちゃんと分かってるんだよな」
マオカが頷くと、ユウキはホッと息をはいた。
「だって、アニキの小さい頃の姿そっくりだよ。
だいたい、兄弟なんだから本物かどうかなんて、すぐに分かるよ」
「そっか、ありがとう」
少し幼いけれど、頼りになる兄の笑顔。それを見て、改めて自分の兄がここに居ること。
そして、姿が変わっても関係ないことを、マオカは胸に刻み込む。
「ん……なんか別の女の声がするぅ……」
むにゃむにゃと擬音が混ざってそうな甘い囁きが聞こえて来た。
目をこすり、アイリンも目を覚ます。
「えっと、アイリンさん、だよね」
「そうだ、俺の――」
「はーい! ユーくんのパートナーで嫁で『迷宮』の管理者で人生を一緒に歩むアイリンでぇーす!」
ユウキを遮ってアイリンが明るい声で答える。
ユウキは相変わらず苦笑いで、マオカは目を丸くして呆れている。
「あ……アニキ、これって」
「ごめんな、いつものことなんだ」
「うん、その塩対応も懐かしいよぉ!」
アイリンはユウキに抱き着くと、キスしかねない程顔を近づける。
だと言うのに、慣れたような冷めた瞳でユウキは溜息を吐いていた。
「アニキ、慣れてる?」
「うん、そりゃもう四六時中こんなかんじだよ。だから、あんまり気にしないでくれ」
「うんうん。私とユーくんがイチャイチャするのなんて森羅万象自明の理なんだから気にしちゃダメだよ!」
当然、と言い放つアイリンの様子に、兄に対して恋愛感情の欠片も持ち合わせていない妹であるが、流石にムッと来る。
「うっわ、そこまで言い切られるとなんかムカムカしてくるわ。妹の目の前でデカパイの女とイチャイチャするなんて母さんが見たらなんて言うかな」
「え、パッと出の自称妹なのに所有権を主張するの? それすっごいムカつくよ!」
言い争う二人を見ながら、兄は深く溜息を吐いた。
そんあ二人が喧々囂々と言い争う中、ドアがノックされる。
「騒がしいね、入るよ」
返事も待たずに入って来たのはズィーア。改めて見ても物語の魔法使いがそのまま飛び出してきたような姿だった。
「妹君もそろそろ事情を知りたいところだろう。食事がてら説明しよう」
◆◆◆
煙と油、そして肉の匂い。
焼き肉屋とは、入るだけで人の脳と胃袋に『食え』と訴えかけるのだ。
「あ、ハラミ焼いといて」
「ユーくんそれよりも私を優先するよね!」
箸を片手に網の上で格闘するマオカとアイリン。
「……その、食べながらでいいから話を聞いてくれないかな」
少しあきれた様子のズィーア。
「ふごっ、ふがごっ」
肉を頬張りながらマオカは頷く。ユウキはひたすら白米を掻き込んでいた。
「いや、勇者君、君に言ってるんだよ」
「ごめん。この肉体に戻ってからでも米は美味いんで」
そう断ると、ひたすら米を食べている。肉も間に挟まずに。
「あー……まあ、元の世界には白米なんてなかったしな」
「栄養価も高いし収穫量も多い。そして何より美味い! こりゃあ素晴らしい作物だ」
「うんうん。それは後でね」
強引に話を遮ると、ズィーアは話を変える。
「まず。妹君……いや、マオカ君」
「うん。鏡峰マオカだよ」
「いい返事だ。改めて自己紹介をしよう。
ボクは異世界の魔女、ズィーア」
帽子をとると、深々と頭を下げる。
淡いエメラルドのような緑色の髪がふわっと広がる。現実離れしたその容姿に、思わずマオカは息をのむ。
「なんだか、本当に漫画やアニメの中の魔女みたい」
「ふひっ、そりゃあそうさ。だって実際に君たちから見たら異世界の存在なんだから」
「そーそー、私も君たちの世界ではサキュバスって呼ばれる種族なんだってね。ただ夢に干渉出来る力があるだけなのにねー」
「あー、いかにもだしね」
明るい色の髪に、豊満な肉体。男の望むような幼さを残した色っぽい顔。なによりも、ピンと立った尻尾。それを見たら納得してしまう。
「エロ――ピンクな本に居そうだし」
「マオカ、そんな喩え使うとかアニキは悲しいよ……」
再びズィーアが咳払いする。視線にいささか呆れが混ざっていた。
「……まず、ボクたちはとある事情があって異世界からやってきた魔法使いだ。
その理由の一つが、君の兄である勇者君を助け出すことだった」
「えっと、勇者って。あ、アニキそれ焼けてるよ」
了解、と小さく返事がした。
「文字通りの勇者だよ。ボクたちの世界では少し前まで最悪の魔王が暴れ回っていた。それを討伐するだけの資格を持った戦士が、ユー……あー、君の兄だった人間だ」
マオカはちらちと隣に座るユウキを見る。
中学生くらいに縮んだ兄は、肉を取り終わると箸を置く。真剣な面持ちに変わっていた。
「……今の姿は?」
「本来の姿だよ。とある事情によって本来の肉体と記憶を失っていたんだけど、ボクたちが呼び戻したんだ」
「うん、それが『管理者』の役割だから!」
ポン、と胸を叩くとドヤっとした顔でアイリンは立ち上がる。
「管理者って言うのは?」
「『迷宮』の管理者だよ。マオカちゃんは『迷宮』に迷い込んだから分かっているけど、生き物はみんな心の中に『迷宮』を持っている。
本来はその中に手を出すことは出来ないんだけど、ボクみたいな高位の魔法使いや夢魔族は入り込むことが出来るんだ。もちろん、君の兄である勇者君もその素質を持っている」
ユウキは手のひらを開く。僅かに光が浮かびあがる。
それは、『迷宮』の中で見た聖剣と同じ色をしていた。
「そして、心の中から力を引き出す。それが管理者の役割」
「『迷宮病』が己の内に食い潰されると言う事なら、逆に内なる力を自分の物に出来る。制覇者≪オーナー≫もいるってことだよ」
結局、『迷宮病』と言うの心の形が不本意な形で暴走することである。
それを完全に制御した時、人は超常の力を手にすることが出来る。
『迷宮』が経験から生み出される過去であるなら、ユウキが生み出したような聖剣は、未来へ向かうの力である。
「心の内である『迷宮』を制す。それは心の力を手にすること。自分が信じる力を振るうことが出来るようになるんだ」
「なるほど……」
全てを飲み込めた訳ではないが、実際に剣を振るっていること。『迷宮』の中に迷い込んだことを考えると、マオカは納得が出来た。
「でも、なんで二人がマナの『迷宮』の中に居たの? アタシたちみたいに巻き込まれた訳じゃないんでしょ」
「それはね――」
「アイリン!」
何かを伝えようとしたアイリンを遮ると、ズィーアはユウキの顔を見る。
ユウキは首を振ると、ズィーアは小さく首を縦に振った。
「それは言うことは出来ない。ただ、ま――マナ君には、ボクたちも用事があるんだ」
「その内容は、言えないんですか」
「ああ」
マオカはユウキを見る。ユウキも同じように真剣な顔で頷いていた。
「一つ、言っておく。
ボクたちは君の敵ではない。だから、マナ君のことは任せてくれないだろうか。
もちろん、勇者君もついてくる。君の兄がしっかりとボクたちを守ってくれるし、君の意思だってくんでくれるはずだ」
「それは、マナの事は家で待って居ろってことですか?」
「そうなるけど」
さて、それで納得するマオカではない。
机から身を乗り出して、強く主張する。
「それは絶対に嫌! アタシも行く!
だってマナを助けないといけない。最初に兄ちゃんを巻き込んだのはアタシなんだから、責任を持たないとダメだから!」
さて、その言葉を聞いた時にズィーアは笑った。
「ひひ、そっくりだね。偽りの兄弟なんて信じられないさ」
ひきつったような笑い声であるが、納得がいったと顔はスッキリしている。
「偽りとか関係ないでしょ。アニキはアニキなんだから」
「……そうだな、なら妹を守るのもアニキの仕事って奴だ」
ユウキは握った拳を突き出す。
当然のように、マオカはそれに合わせて突き返す。
「ぬうぅぅ……いきなり現れた女の方が距離感近いとかショックなんだけど!」
そして、アイリンはすさまじい勢いで肉を焼いていた。
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