2.3. 覚醒

 無人の校舎を兄弟は行く。

 幸いにして、校舎の中から急に外に転移するようなことはなかった。

 わたり廊下を進み、隣の校舎へ。曲がり角へと到達する度に周囲を確認して慎重に進んでいく。


「待った」


 一階への階段の前で、ユウキがマオカを静止した。

 ユウキが黙って指さすと、その先に二つの人影があった。


「俺が先に行く。マオカは合図をしてから来てくれ」

「うん。でも気を付けてね」

「わかってる」


 ユウキはスコップを握りしめる。慎重に階下へと進んでいく。

 踊り場を降り、手すりを越えたらもう姿は見えない。

 僅かな足音だけを頼りに、兄の無事を祈る。

 張り詰めた空気が流れる。ただ待っているだけだと言うのに、マオカの額から汗が落ちる。


 ――変化は、すぐに訪れた。


「うぁぁぁぁぁぁぁぁユーくんだぁぁぁぁぁぁっつ!!」


 緊張しきった空気を吹き飛ばすように、女の甘い声が響き渡った。

 思わずマオカは飛び出すと、急いで兄の様子を見る。


 兄は、見知らぬ女性に抱きしめられていた。それはもう、ナイスバディの美女に抱きしめられていた。


「すみません。離してください!」

「やだやだー! ようやく再会出来たんだから今まで以上にユー君を堪能するの!」


 金色の長い髪の女性。顔は童顔であるが、肉体は豊満で色気を感じさせる。

 まるで、男の幻想が集まったような存在だった。


「こ、こんなバレーボールみたいな乳をしてる女が居るわけない! アニキ、油断しないで!」


 ここは迷宮である。迷宮には何があるか分からない。

そう、まるで作り物のような存在はあからさまに怪しい。マオカは警戒心を剥き出しにする。


「絶対に偽乳だよ! 抱き着いて油断した瞬間に財布をする取って乳の間に隠すに決まってる」

「落ち着けマオカ! いだ! いだだ! 無理やり引っ張るな!!」


 妹は兄を文字通り力づくで引き離すと、目の前の女に向かって警戒心が全開を越えて限界突破した瞳で睨みつける。


「んー、何この女? ユーくんの何なの?」


 マオカの腕に何かが巻き付いた。

 黒いひも状の物体。すべすべして縄とは違う。

 なにより――巨乳の女の尻から伸びている。


「え、ちょっとこれって……尻尾?」


 先っぽにハートのような形をした、黒い尻尾が伸びていた。


「そうよ、だって私は夢魔族だもん」


 あまりにも、当然と言ったように言い放つ。


「どういうこと? え、人間じゃないの?」


 マオカは混乱して、どう答えていいか分からなくなる。


「――そうだね、それは確かに正しいよ」


 追い打ちをかけるように、マオカの隣に気配が浮かんだ。


「さてさて、ボクたちについて、どう説明したものかな」


 振り返ると、また別の女性が立っている。

 今度はつばの広い三角帽子に、水色のローブを着た女性。小さな黒めに広めの白目が、マオカのマオをじろじろと見ている。

 出来過ぎた女の次は、出来過ぎた『魔女』が居た。


「んー、キミは勇者君と関係があるのかな」

「勇者って……アニキのことですか?」

「ああ、あの目の前でアイリン……現実離れした豊満な肉体の女性に抱かれてる男のことさ」


 気が付けば、ユウキは女性――アイリンに再び抱きしめられていた。


「え、え……そうです。アタシのアニキです」

「ははっ、なるほど。この世界だとそういう役割になってたのか」


 魔女は何かに納得したように頷くと、懐から手帳を取り出す。

 適当な頁を開くと、ペンも使わずに指でなぞる。その場所に文字が浮かんでくる。


「それって……」

「手品みたいなものだよ。あと、メモを取るのは許してくれ、何分ボクたちも情報は欲しいんだ」


 メモを取り終わると、ちょうどユウキがアイリンを引きはがすのに成功したところだった。


「もー、ユーくん変わっちゃったなあ。いっつもクールな顔してたのに」


 残念そうな声と顔に、ユウキの心に罪悪感がわく。

 自分でもその理由は分からなかった。目の前の女性が悲しい顔をするのが、どうしてか心の痛みになった。

 だが、目の前の女性にはまったく見覚えが無い。これほどの美人であれば嫌でも覚えている筈だ。

 だから、どう、声をかけていいのか迷ってしまう。


「ねえ、思い出せない? 思い出してよ! 思い出してよぉぉぉぉぉ! うぁぁぁぁぁん! うそだぁぁぁぁぁっ」


 そうしているうちに、今度は泣き出してしまう。


「ご、ごめん」


 そうなると、男は謝る事しか出来ないのだった。


「アニキ、この人って?」

「アニキ? もしかして妹ぉ? 妹って何? もしかして兄は妹の所有物だから余計なことをするなって言うの!?」


 コロコロとよく感情が移り変わる娘だった。それも、隠そうともしないでストレートに表に出てくる。


「うわぁぁぁぁぁん! ユーくんが妹を名乗る不審者に奪われたぁぁぁぁっ!」


 狼狽する兄弟と、溜息を吐く魔法使い。

 さて、どうしたものか――魔法使いがそう考えていると、周囲に異音が満ちた。

 明らかな異常、ユウキの顔色が変わる。


「マオカ! それと二人とも、俺の近くに!」


 スコップを構えたユウキは、三人を守ろうと前に出る。


「うわーうわーうわー!!」


 その声に感激したのか、泣いていたアイリンの顔が一気に明るくなる。


「やっぱりユーくん! ユーくんだぁぁぁぁぁぁっ!!

 何かあった時に真っ先にみんなの前に立つんだ!」

「ふへ、抱きつくのは無しだよ」


 魔法使いがぴしゃりと言う。


 廊下の奥から黒い影がわきあがる。昇降口と同じように、小鬼たちが姿を見せる。


「さて、勇者君の武器は……それじゃあいささか心元ないか、助けが必要だね」


 魔法使いはユウキの前に一歩踏み出る。

 右手をかざすと、水流が空間に浮かび上がる。


「え、何それ」

「メモを取った時と同じ、簡単な手品みたいなものだよ」


 青い髪の毛が翻ると、ローブの下が透ける。

 足であったものが、溶ける。粘液のような物体が広がっていく。


「なっ……まるでスライムみたいだ」

「ははっ、勇者君と最初に出会った時もそんなこと言ってたね。懐かしいよ。

 それじゃあ、次もあの時と同じ感想を期待しておこうか」


 粘液は迫ってくる小鬼たちに向かって伸びていく。

 触手のように広がると、太い縄のようになって壁を作り出した。


「魔法みたい……」


 マオカは直感的にそう感じた。

 まるで魔法。粘液を自在に操る魔法の力だ、と。


「妹君には名乗り遅れたね。ボクの名前はズィーア。

 先代の水の魔女より法と魔を受け継し粘霊の魔女だよ!」


 鈴のような音がなった。

 杖を振るうと、粘液の意図はまるで刃のように鋭くなり、鬼たちを切り裂いていく。


「……」

「アニキ、どうしたの?」


 その景色を、ユウキは黙ってみていた。

 驚くこともなく、真剣な瞳で眺めている。


「ま、さか……」


 次の言葉を繋ごうとした瞬間、頭上から叫び声が聞こえてくる。


「――ケケケ――」


 聞きなれた嘲笑うような声。小鬼が階段の踊り場から飛び掛かってくる。


「くそ!」


 ユウキはスコップを振るう。だが、遅かった。



「あがっ!? アニキ!」


 マカオの苦痛に歪む声が響いた。

 逃げ遅れたマオカを小鬼が押し倒す。

 一匹だけではない、二匹、三匹と重なっていく。


「くそ!」


 慌てて駆け寄ろうとするが、小鬼たちはどんどん増えてくる。


「邪魔だ!」


 スコップで薙ぎ払おうが、近づくことすら出来ない。


「――ケケケ――」

「――カカカ――」

「――ククク――」


 数が増えていく。階上から飛び降りてくる小鬼の数はとっくに十を超えていた。

 ユウキの顔に焦りが浮かぶ。だが、ひたすらスコップを振り続ける事しか出来ない。


「ズィーアさん!」

「すまない、私はこっちで手いっぱいだ」


 助けを求めるが、ズィーアも正面の敵への対処で手いっぱいであった。


「アニキ! 助けてアニキ!!」


 何とか逃げ出そうと足掻くが、少女の力は思った以上に小さい。

 そして、青年の力もけっして強くはない。小鬼は小学生よりも小さいが、それでも数が揃えば厄介である。一人の人間で対処できる量ではなかった。


「くそっ! くそっ! 俺じゃあ力が足りないのか……妹すら守れないのか!!」


 叫びながら、スコップを振るう。

 せいぜいに一匹二匹を吹き飛ばせるだけ。このままでは無事では済まない。


「ううん、そんなことないよ」


 焦る青年に、アイリンは優しく語り掛ける。

 よく言えば落ち着いていて、悪く言えば場違いな程穏やかな声色。


「ねえ、本当に忘れてるの?」


 だけど、ユウキの心に沁み込んでくる。

 まるで、ずっと知っていたような、忘れていただけのような。


「思い出して。キミは、世界で一番強くてカッコイイ勇者様なんだよ」

 

 そうして、アイリンはユウキの胸に手を振れた。

 その瞬間、光が吹きあがる。

 黄金の光。暖かな力を前にし、ズィーアは、微笑んだ。


「……そうか」


 少年の声が響いた。

 ユウキよりも少し若い、まだ声変わりする前の男の子の声が。


「思いだした!」


 光の中、少年が立っている。ユウキとアイリンの代わりに、ユウキと同じ服を着た少年が立ってた。

 ダボダボのシャツを翻す。履いているズボンは長すぎて、乱暴に脱ぎ捨てる。

 鋭い眼光は、どこかユウキの面影があった。


「もう大丈夫だ、マオカ」


 少年は天に手を翳す。


「……来い! 聖剣は内なる『迷宮』に!!」


 掲げた手に光が集まる。光が形を作る。

 光が弾けると、金色の刃が手の内に出現する。

 不思議な見字が刻まれた両刃の剣。シンプルで飾りのない鍔の刃が黄金の光を放つ。


聖剣抜刀ライト・エスブリンガル


 一瞬であった。

 刃が振り抜かれると、小鬼たちの肉体は真っ二つに切り裂かれて飛び散る。

 マオカに襲い掛かっていた小鬼たちは一瞬にして肉塊になった。


「大丈夫か、マオカ!」


 少年はマオカの元へと駆け寄ると、抱き起す。


「う、うん……まさか、アニキなの」

「ああ、安心しろ。すぐに終わらせる!」


 ユウキは小鬼たちを睨みつける。

 先ほどまでの不愉快な笑い声はない。小鬼たちは真剣な面持ちでユウキに対峙するか……逃げようと様子を窺っている。


「この剣がそんなに恐ろしいか?

 そりゃあそうだろう。俺の内に宿る最強の聖剣だからな!」

『そう、このアイリンが見つけた、最強の勇者様の剣なんだもん!』

「アニキ、その剣は……」

「心の中に宿る聖剣……『迷宮』の中にある、戦う力」


 仮に、だ。

 誰もが心の中に『迷宮』を持っているとする。

 『迷宮』とは内的世界であり、誰もが一つの世界を持っている。


 その『迷宮』の中に存在する力を、外に出すことが出来るとしたら。

 世界一つを操るだけの力を持てたとしてら、それはどれほどの影響力を世界に与えるだろうか、と。


「誰もが心の中に『迷宮』を持っている。それに飲み込まれてしまう人もいる。だけど、その心の内に『管理者』を持ち、心の力を引き出せる『制覇者≪オーナー≫』も居るってことだ!」

 

 ユウキは静かに走り出した。不要な力の入らない無駄のない足さばき。

 慣れた動きで剣を振るう。縮んだ身の丈ほどもあると言うのに、小枝を振り回すように斬撃が躍る。

 一撃の度に小鬼の首が複数消し飛んでいく。

 その姿力強くて、怖くない。

 特に、妹のマオカにとっては。


 ――大丈夫だ。


 そう、安堵した瞬間に、マオカは意識を手放していた。

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