第二章 『迷宮』と言う世界

2.1. ステンドグラス/モザイクの空

 マオカが意識を取り戻した時、眼前に広がっていたのは黄昏と薄明が混ざり合った空だった。

 薄明の大地から噴き出す黄金と、黄昏の星から降りる紫色。色の違う空がガラス片のように連なっている。ある人はステンドガラスと言った。別の人間はモザイクのようだと言った。人によってイメージは異なる。ただ、誰もが口をそろえて言った。


――ただ見ていると不安に襲われる空の色である、と。


「……すごい、少し顔の向きを変えるだけで朝と夜が入れ替わるんだ」


 普段ではありえない空。それだと言うのに、立っている場所はいつもの通学路。

 小高い丘の上にある自宅から下り坂。折りきれば川が流れている。


「……『迷宮』が、発症した人の記憶から作り出されているのって本当なんだ」


 いつも通った通学路。マオカの住む街であり、マナの住む街。

 だからこそ、ここが『迷宮』の中であることをマオカは理解した。


「……なんだろう、頭がボーっとしてくる。誰かが耳元でささやいているのかな、なんだかザワザワする」


 常に何者かに見られているような気配を感じる。落ち着かない、くすぐったい。マオカに限らずに『迷宮』に足を踏み入れたモノは似たような感覚を持つと言う。


「ううん、ボーっとしてる暇はないよ!」


 両手で頬を叩く。小気味いい音が周囲に響き渡った。


「だらしないぞ鏡峰マオカ! 女は度胸! と言うか人生は度胸! やると決めたのなら足を止めるんじゃないわよ!

 目的確認! 鍵宮マナとアニキと一緒に帰るんだから!」


 この場に居ない二人は大丈夫だろうかと不安もあった。だが、自分が大丈夫ならきっと大丈夫だろうと自分に言い聞かせると一歩足を踏み出す。

 疲労はとっくに全身に回っていたけれど、気力だけはまだ残っている。


 慎重に歩いて丘を下る。普段は車が走る音や家々からの談笑が聞こえてくると言うのに、自分の足音以外は何も聞こえなかった。

 見上げた空には鳥は飛んでいない。薄明の黄金と、黄昏の紫色が混ざり合った空が広がっている。


「……とりあえず、学校に行ってみようかな」


 マオカは頭に浮かんだ場所にとりあえず向かうことにした。


「坂道を折りきって、川沿いに……あーもう、なんで学校への道なんて確認してるんだろう」


 ようやく坂道を折りきって、川沿いに進もう――そうした時、マオカは突如浮遊感に襲われた。


「っ!? なにこれ」


 ぐじゃぐにゃと景色が歪む。軽い吐き気を覚えて地面にしゃがみ込んでしまう。

 足元の道路の色が変わる。古びた灰色から、真新しい黒い色の道路に変わる。

 空を見上げると、相変わらず薄明と黄昏が混ざった空。だけど、聳え立つビルがマオカを見下ろしていた。


「うそ、ナニコレ? 勝手に移動したの」


 真新しいビルの谷間。見覚えがあるようで、見覚えのない光景。


「あ、でもあの看板は駅前のビルだ……でも、こんな高いビルなんてこの田舎の街にはないし」


 見覚えのある景色と覚えたのない景色が入り混じる光景に、マオカは頭を抱える。

 

「そっか……記憶が元になっているっていっても、そっくりそのままな訳ないよね。

 夢の中の景色と同じなのかな。知っている筈の景色が異様に長かったり、学校が二十階建ての要塞になってたり」


 ここは『迷宮』である。それを改めて認識をすると、マオカの身体はずんと重くなる。

 見知らぬ景色だから油断をしていた。何も考えずに歩いていたら、見知らぬ場所に迷い込んでしまう。

 当てのない探索。その先を考えると嫌でも足取りは重くなる。


 ――そして、『迷宮』の恐ろしさはそれだけで終わらない。


「……誰か、居るの」


 硬い金属が擦れるような音が周囲に響いた。

 一つや二つではない。音は何重にも重なっている。


「アニキ?」


 音の方へと視線を向ける。

 ちょうどビルの合間、路地裏の方から音は漏れてくる。

 少しずつ、近づいてくる。

 金属と一緒に、硬い足音が近づいてくる。


「……っ、そんな訳無い。アニキだったらアタシの声を聞いたらすぐに飛び出してくる」


 本能的に危機を感じ取った。疲労した身体に鞭を打って大地を蹴る。

 路地裏から金属の塊が飛来する。分厚い金属の斧であることをマオカが理解したのは、自分がつい先ほどまで経っていた場所に武器が突き刺さっていることを見た時だった。

 紙一重の差。その紙一重は生と死の間に挟まっている。そう認識した瞬間、汗が溢れてくる。


(ここは危険だ……逃げないと!)


 走る。力の限り走る。

 後ろではガチャガチャと硬い物体が不協和音を奏でている。

 ビルの合間に、黄ばんだ金属の人形が姿を見せた。手には剣や斧、物々しい武器を持っている。

 顔には瞳はない。けれどマオカを見えていることは分かった。


「っ!?」


 逃げるマオカに剣が飛来する。身をひねるが回避しきれない。


「ったぁ! じゃあ本物!?」


 かすった傷口から僅かに血がにじむ。本物の危機に本能が逃げろと言っている。

 仮想世界のコンクリートを蹴る。後ろからは人形たちの足音と、武器が空を切る音。

 風を切る音。飛び散る土くれ。その全てが危険をはらんでいる。


 後ろから、金属が大地を抉る音がした。

 目の前に弧の軌道を描いて斧が突き刺さる。


「ぶつかる!?」


 思わず立ち止まる。なんとかぶつからずに済んだけれど、バランスを崩して倒れてしまう。

 マオカの瞳に、迫ってくる異形の兵士たちが映る。すぐに立ち上がろうとするが、疲労から上手く力が入らない。


「……誰か……誰か助けて!」


 助けを求める。けれど近づいてくるのは敵意を持った人形たちだけ。


「いつもみたいに助けてよ! アニキ!!」


 出来過ぎ、と言うタイミングだった。


 遠くからエンジンの音が聞こえた。

 アスファルトを斬りつけながら走る車のクラクションが聞こえて来た。

 人形たちの背中からライトの灯りが差し込む。次の瞬間、金属の塊たちは無様に吹き飛ばされる。

 軽自動車――鏡峰家で両親が残した車が猛牛のように迫ってきた。

 車はマオカの目の前で止まり、ドアが開く。

 もちろん、中に居たのは――


「マオカ、乗れ!!」


 鏡峰ユウキその人だった。

 必死の形相で手を差し出している。


「うん!」


 兄の逞しい手を掴む。一気に社内に引き寄せられると、助手席に収まる。


「ドアを閉めたらすぐにシートベルト! 飛ばすぞ!!」


 半ば反射的にマオカは動いた。すぐさま言われたとおりに行動をする。

 サイドミラーには立ち上がろうとする人形たち。まだ動こうとしている。


「アニキ、出来たよ!」

「了解!」


 すぐさまアクセルを全開にして飛び出した。

 すぐに、目の前の景色が歪んでいく。ビルの谷間はいつの間にか消えて、川沿いの景色が広がっていく。

 運転席から安堵の溜息が聞こえた。車の速度を落として徐行に切り替える。幸いにして、周囲に驚異の気配はない。


「……アニキ、ありがと」

「そりゃ、アニキだからな」

「うんうん! やっぱり持つべきは頼りになる肉親だよね! 最高愛してる!!」


 いきなり調子のいい事を言う妹に、兄は思わず苦笑い。


「調子いい事言うな! お前のアッシーとして使われた挙句巻き込まれたんだからな」

「へへっ、ごめんねアニキ」


 軽く恨み言は言うけれど、怒ったような様子はない。


「まったく……お前をちゃんと送り届けないと母さんになんて言われるか分からないからな」

「うん、頼りにしているアニキ」


 妹は拳を突き出す、兄は黙ってそれを小突いた。


「あ、片手運転危ないよ」

 

 うるさい、と、兄はまた苦笑いをしたのだった。

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