第一章 発症

1.1. 田舎街の田舎娘


 はじまりは、追放を告げる一言だった。


「鏡峰マオカ、お前をこのパーティから追放する!」


 夜、探索を終えた冒険者たちが集まるギルドでリーダーから告げられたのは訣別の言葉だった。

 周りの冒険者たちがせせら笑っている。仲間だった僧侶や魔法使いは興味すら無いのか、食事を続けている。


 ――と、『彼女』は早口で一気に話した。


「その言葉は俺……じゅなくてアタシにとって寝耳に水のことで、理解することが出来なかった。

 ただ一つ分かっていたのは、目の前の――」


 畳張りの古めかしい内装の部屋、テーブルの上には湯気を出している作りたての味噌汁と白米、ついでに昨夜の残り物の料理。

 開け放たれた窓から覗くのは、草むしりをしたばかりの庭と柔らかな朝の陽ざし。五月の涼し気な風は、玄関を通さない朝一番の来訪者。


 極々一般的な日本の家庭の朝の風景。


 食卓を囲むのは兄と妹。

 水色のセーラー服は学校指定の制服。肩のあたりで切り揃えた髪。一五歳にしては少し幼い顔の人懐っこい少女が語るのは、昨夜見た夢。

 異世界で仲間たちに見捨てられた、冒険者のお話。


 テーブルを挟んで話を聞いているのは彼女の兄。

 大学生になったばかりの青年。清潔感のある白いシャツに、雑誌の真似をしてセットしたツンツンの髪。少しの歳の離れた兄は妹の話に相槌を打ちながら適当に食事を続けている。


「で、この後実はアタシはさる名家の跡取りで世間を知るための修行中の悪役令嬢だったことが判明して」

「で、復讐するのか?」

「いや、パーティのボンクラは完全にフェードアウトして錬金術のアトリエ開いて最終的にロボット生み出して地球をバックに月面決戦してた。いやー、日本の形が地図の通りで感動したね!」

「異世界って設定どうなったんだよ!」


 ひときわ大きなツッコミに、ようやくマシンガントークを止めた少女――鏡峰マオカは、みそ汁を一口すする。


「ま、とりあえずそこで夢は終わり。甘美な幻想は終わり、マオカちゃんは朝と言う現実に戻されるのでした……テスト近いんだけどなあ」


 彼女が今まで語っていたのは、昨夜の夢の内容。あまりにも鮮明に覚えていて、『変な夢を見た』と朝一番に語り始めたのだった。


「いやーたぶん昨夜呼んだ追放系と二日前に読んだ田舎で錬金術師が店を経営する話とどっかのロボアニメが混ざったんだと思う」


 自室の枕元に置きっぱなしの漫画本。それは所謂異世界転生と呼ばれるジャンルの本だった。


「あー、やっぱり本棚から新刊抜き取ってのはお前か」

「うん。今回もありがとうございます」


 勝手に人の部屋に入った、なんて文句は妹の悪意のない甘えた笑顔で引っ込んでしまう。


「へいへい」


 兄――鏡峰ユウキはわざとらしく返事をすると、結局責めずに食事を続けるのだった。


「しっかし、アニキ本当にスローライフ物が好きだよね」


 昨夜拝借した本も、追放された青年が田舎で新しい人生を見つけていくことがメインストーリーになっている。

 その前に読んだ錬金術物も、結局は都会の騒がしい時間から逃げたくて、田舎に居を構えることから始まる。


「……なんか、そう言うのばっかり集めちゃうんだよな」


 ユウキは目を伏せる。少し考えこむと、手に持っていた食器をテーブルの上に置く。


「マオカはさ、こういうスローライフ物の主人公ってどう思う?」

「んー、なんかスローライフと言いつつ世間や冒険者時代の柵から逃げられなかったり、相応に不幸だよねって思う。

 どこか静かな場所に行こうとしたのに、結果としてどこにも行けなくなったった感じかな」


 スローライフ、と題しているものの、この手の作品において主人公が完全に平穏で終われることはめったにない。

 相応に実力を持った彼らを頼る人間は多いし、放置をしておけば大災害に繋がる事件を解決したりと、困難は幾つも待ち受けている。


「結局、みんなどこか人が善いんだと思う。スローライフって言っても世界が平和じゃないと成り立たないんだから、仮に魔王が現れたら一番先頭に立つんだと思うよ。だって、穏やかな暮らしがどれほど大切なのか知ってるから」


 平穏とは黙っていても訪れるものではない。結局は、スローライフを手に入れるのにも維持するのにも手はかかるのである。その過程において、他人から好意を寄せられたり頼りにされる人間は、困難に立ち向かうのだ。


「……」

「アニキはどう思うの?」

「分からない。羨ましいとも思うけど、なんか焦る」


 これは朝の一幕。食事の間の兄弟の他愛のない語り合い。

 だと言うのに、兄の声は真剣であった。


「こういう風に生きてみたい、と思うけど、まだ若い自分がそんな風に考えていいのか、悩む」

「もー、アニキは変な感情移入をし過ぎだよ。こういうのって娯楽でしょ、気楽に読むのが一番だよ」


 そんな兄に、妹は考えすぎだと明るく語り掛ける。


「ほら、早くご飯食べよう。冷めちゃったらどんなご飯もおいしくないんだから」


 遠慮のない気遣い。悩みに答を出さないけれど、そんなことお構いなしに、あっさりと、あっけらかんと、明るく少女は言い放つのだ。


「今日もいいことあるよ、アニキ」


 ちがいない、と兄は笑って答えるのだった。


◆◆◆


 マオカは食事を終えると、台所まで食器を運ぶ。そこで布巾を取ると、居間に戻ってテーブルの上をふく。

 鏡峰家に居るのは現在二人。両親は高校大学と自立した子供を残して仕事で海外に居る。

 今日の家事の分担は、兄は食器洗い、妹は簡単な掃除。テーブルの上を磨き終わり、箒で軽くはき終わると朝の仕事は終わり。


『昨日、遠井市で発生した『迷宮病』事件は――』


 つけっぱなしのテレビから流れるニュースを聞き流しながら、鞄を持って玄関へ。


「それじゃあ、行ってくるねアニキ!」

「おう、行ってらっしゃい!」


 扉が閉まる前に兄の言葉が背中に届いた。

 足元にはお気に入りのローファー、目の前には古びてヒビの入った道路。向かいの家からはお婆さんの声が聞こえる。

 坂道の真ん中にある鏡峰家を飛び出すと、道の先に見下ろせるのは広がるのは目覚めたばかりの町の景色。

 

 彼女が住む地方都市――『藍世町』の朝は、ゆったりとした時間が流れている。

 田舎と呼ぶには騒がしくて、都会と呼ぶには少し寂しい。

 駅を中心にした街の中央には退屈しない程度には色々な店はあるけれど、一歩街を出れば田圃と畑。少し歩けば山に囲まれてしまう。


「今日は何があったのかな」


 坂道を駆けおりながら、今日の予定を確認する。

 平日で、代わり替えのない学校の一日。


「そう言えば、新刊が入るんだっけ」


 友人と追いかけている漫画の新刊が確か発売だったことを思い返す。三か月ほど前に出た単行本は、主人公が危機を脱したところで終わっていた筈だ。次はどうなるのだろう、そう語り合っていたのを思い出す。

 あの時と同じように、また盛り上がるだろう。


「うーん、今日もいいことありそう」


 それはちょっとした魔法の言葉。呟けば気持ちは少しだけ前向きになる。

 風に混ざる新緑の香りが心地よい。朝早くの日差しは柔らかくて、元気になれる。

 この街は、思春期の子供にとっては少し狭いかもしれない。

 だけど、好奇心旺盛な子供たちにとっては、見逃せない程の変化に満ち溢れている。


◆◆◆


 川沿いの道路を走り抜けると高校の校門が見えてくる。

 朝練の生徒たちに挨拶をすると、昇降口へと入っていく。


 ちょうど、一人の生徒がいた。

 メガネをかけた長い髪のおさげの少女。すこし野暮ったい容姿は、マオカの友人のものだった。

 なにやら、下駄箱の前でもぞもぞと動いている――と言うのにマオカが気付いたのは、無遠慮に大声で挨拶をしてからだった


「おっはよー、マナ!」

「ひえっ!?」


 大声に驚いたのか、少女は硬直して手を止めてしまう。

 細い手から、一枚の手紙が落ちた。その便箋に書かれている名前を見て、マオカは意地悪に微笑む。


「ほほう、先輩の名前ですか。鍵宮マナさんがよく目で追いかけて、楽しそうに大会での成績を語る、あのサッカー部の――」

「やめてよマオちゃん! 大声で言わないで! 普段からサイレンみたいに煩くて仕方ないんだから!」

「あっはっは、ごめんねー!」

「ほらぁ……誰かに見られちゃうよ」


 手紙を大事そうに拾い上げると、無遠慮な友人の手には渡すないと、胸の前で大事そうに抱えてしまう。

 さすがにちょっと申し訳ないのか、ごめんねとマオカは謝った。


「まったく、しょうがないなあ」


 普段通りの友人の姿。

 多少強引で無遠慮だけど、親切で明るく、素直な友人に向かってマナは微笑んだ。


「で、下駄箱にラブレターは入れないでいいのかな? アタシはいいけど先輩のファンに見られたら大変だよ」

「う、うん。あ、入れるから誰も来ないように見ててね」

「任せなさい!」


 薄い胸を叩くと小気味のいい音がした。


「うんうん。いいねえ、青春だねぇ、『鍵宮マナ』ちゃん」

「でも、大丈夫かな……今時、ラブレターで放課後の体育館裏に呼び出すなんて……変に思われないかな」

「さあ、よく知らないけど男の子ってそう言うのに弱いんじゃない?

 アタシが男だったら、マナみたいな子にいじらしく奥ゆかしい告白されたら絶対にオチる自信あるよ。俺がこの子を守るんだってさ」


 不動明王の如く、昇降口を見張るマオカにはマナの顔は見えない。

 ただ、不安はない。マオカの胸には希望だけが満ちている。

 彼女の頭の中に、マナが告白に失敗すると言う未来は存在しない。

 だって、自分の大切な友達だ。彼女がいつも楽し気に語るサッカー部の先輩だって、マナの語り口から人となりはおおよそ分かっている。


 彼女は一切告白に失敗するとは考えていない。

 この小さくて大きな変化は、満ち足りた日常をさらに充実させると信じていた。

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