1.2. 宣告、迷宮病
マオカとマナ、二人そろって教室に入る。
窓の外ではサッカー部が朝練をしている。もちろん、マナが思いを寄せる先輩もいる。
遠くから穏やかに見つめるマナを、マオカは近くで生暖かい視線で見守っていた。
(今日はいいことだらけだ)
これから起こるであろう楽しいこと、明るい毎日を考えながら、マオカは不真面目に午前中を過ごした。アホ面で授業を受けている生徒が居る、なんて教師の皮肉にも気が付かず、気が付けば昼休み。
生徒たちが友達と机をくっつけて弁当を開け始める。
マオカもマナと一緒に食べよう、と声をかけた。
その時だった。
教室の扉が開いた。
入って来たのは大人の女性。学校に勤めるどの教師とは違う見知らぬ人だった。
スーツ姿にサングラスの女性が、足音を立てながら教室に入って来た。
予期せぬ来訪者にクラス中の視線が集まる。来訪者はそんなものを気にせずに周囲を見渡した。
そして、マオの姿を見つけるとわざとらしく咳払いをする。
足音だけが教室に響いた。ツカツカと、一定の間隔で硬い足音が響く。
足音が、マナとマオカがすわっている机の前で止まった。
「鍵宮マナさん、ですね」
落ち着いた、大人の女性の声。低くて冷たくて、どこか事務的だった。
マオカは箸をおくと、マナの顔を見る。少女は震えていた。
「私の名前は『黒羽誠』、あなたは、鍵宮マナさんで間違いありませんね」
静かではあるが威圧感を感じる声色。マナは言葉が出てこなかった。
「あの、確かにこの子は私の友達で美少女の鍵宮マナですが」
かわりにマオカが口を挟む。マナは小さく、ごめんね、と呟く。
「そう……ありがとう、あなたは」
「鏡峰マオカです。アタシの友達に何か御用ですか」
「そう身構えないで。あなたが友達想いのいい子だと言うのは分かったわ」
黒羽誠はサングラスを外すとマオカに向かって軽く会釈をした。
瞳は鋭いが敵意は感じない。
(あ、これアタシもやらないと失礼だ)
相手の態度に釣られ、マオカも頭を下げていた。
「単刀直入に言いましょう……鍵宮マナさん、君は『迷宮病』に罹病しています」
――『迷宮病』――
その言葉が飛び出した瞬間、クラス中がざわつき始めた。
「『迷宮病』って、あの病気の? 発症すると巻き込まれるっていう」
「まずっ……距離を置かないと」
潮がひくように、一斉に離れていくクラスメイト。
「ちょ、ちょっと! その態度は酷いでしょ!!」
マオカが思わず声を荒げたが、人の流れは変わらなかった。
気が付けば、教室に残っているのはマオカとマナ、そして誠だけであった。
マナは震えていた。マオカは思わず誠を見上げて睨んだ。
彼女は、ただ黙って受け止めた。
「……文句の一つでも言っていいんですよ」
「……それ言われたら八つ当たりだって出来ないでしょ」
手の代わりに脚で床を蹴った。マオカの脚が痛いだけで、何も変わらなかった。
「鍵宮マナさん、改めて言います。あなたは『迷宮病』です」
『迷宮病』。
その存在は、マオカもマナもよく知っていた。
人の心に巣食う『迷宮』が、人を飲み込んでしまう。発症した際に周囲に居た人間も巻き込まれ、複数の犠牲者を生み出す。
マナは、存在するだけで危険な状態であると宣言されたのである。
マナの顔が青ざめていく。マオカは何も言えなかった。
「これから、隔離施設で治療にあたります」
「す、すぐに、ですか?」
「ええ、すぐに。学校から離れて私と一緒に来てもらいたい」
誠の言葉には緊張感がある。有無を言わさない、妥協はないと。
だが、『すぐ』と言うには承服しかねる理由があった。
「待って、じゃあ告白はどうするの?」
思わず、マオカは机から身を乗り出していた。友を守る様に、マナと誠の間に立つ。
「告白?」
「この子、今日憧れの先輩に告白する予定だったんです!」
「そう……それは残念だ」
他人事のような返答に、歯噛みをする。せき止めていた怒りが口から飛び出した。
「いきなり出てきて何を言ってるんですか! マナにだって今日の予定はあって、それもとっても大切なものなんです!
せめて時間をください! なんなら今すぐ先輩を呼び出してきますから!」
「だめだ、それは許容できない」
感情の炎に水をかけるように、冷ややかな声が絶対的な拒絶をする。
「もし仮に、先輩を呼んできた瞬間に発症したらどうするんだ? 告白するほど好きな相手を巻き込んでしまう、なんて十字架をこの子に背負わせるつもりか?」
淡々と告げる言葉に、マオカは何も言い返せない。
『迷宮病』の危険性については彼女の理解をしている。
『〇〇市にて『迷宮病』を発症した患者が――』
テレビでこの病気に関連するニュースを聞くことは珍しくもなく、少なくない犠牲者が出ていることも教えられてきた。
正直なことを言えば、マオカも相手がマナでなければ他のクラスメイトたちと一緒に逃げ出していただろう。
「で、でも……でも、でも!」
何かを言わなきゃいけない。だけど、言葉なんて出てこない。
駄々をこねる子供を、誠は静かに見守っている。
(ずるい)
いっそのこと、大人の強権で連れて行ったのならいくらでも反抗しただろう。
けれど、目の前の女性は子供の意思を尊重しようとしていた。どんな稚拙な反論であろうと、受け止めようと立っている。
「マオちゃん、もういいよ」
マナが立ち上がる。それを、視線でしか追いかけられなかった。
手を伸ばせるほど、マオカは幼くなかったのだ。
「ありがとう。先輩には、マオちゃんから断っておいてね」
黙って頷く事しか出来なかった。
それしか出来ない情けない友人だと、情けなさを押し殺して返事をした。
そうだと言うのに、マナは満足したように微笑んだ。
それが作り笑いだと明らかに分かっていて。そんな顔をさせてしまったことが悲しくて――
誠とマナが教室から出ていく姿は、涙でよく見えていなかった。
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