WOWOWアクターズ•ショート•フィルム4『せん』
⭐︎まずはネタバレなしで
穏やかで、優しくて、最後にギュッと自分の内側を覗かさせられる作品だった。
約25分。
俳優森崎ウィン監督のショートミュージカル映画である。
少人数により淡々と歌い紡がれる平穏な物語。
鑑賞後、タイトルの意味を考えて、グッと余韻が胸の中で膨らんでいく。
再見すると丁寧に映像の中に伏線が張られている。
深い。
日本には珍しいミュージカルの映像化ということで軽い気持ちで見たのだけれど、もしかしたらスゴいものを見たのかもしれない。
ミュージカルというとド派手なものを想像する方も多いと思うが、オフ•ブロードウェイ作品にはピアノ一台、少人数の出演者の濃密な作品も多く、この『せん』は、まさしくその系譜の作品。
調べたらショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2024 のライブアクション部門ジャパンカテゴリー優秀賞/東京都知事賞、最高賞であるジョージ・ルーカス アワード(グランプリ)を受賞したらしい。
やはり見ていた良いと思ったものは、ちゃんと評価されるのねと思った。
ミュージカル好きの方に限らず、多くの人に見ていただきたい作品だ。
※以下、ネタバレ含みます※
25分の短編だというのに、書きたいことが次から次へと出てくる。
この後は、ガッツリネタバレも入るので、ご覧になってから読んで頂ければ幸いだ。
最後を知らずに見た方が間違いなく楽しめる(楽しめるというより胸にジワっと突き刺さるという表現の方が良いか)
とにかく、私にとって、見る価値は充分にある作品だった。
⭐︎物語として
まずは、作品全体、物語の感想から。
一編の“詩”を読んでるような感覚で作品は進む。
老女のありふれた1日を切り取った穏やかな光景。
何気ない日常。
大きな出来事は起こらない。
画面は淡々と進むだけ。
そこに、少しずつノイズが入る。
ラジオが流す助けられた犬の美談。
それは、緊張した2国間での美談のようだ。
何気ない日常の遠い彼方では戦争勃発の緊張がある。
そして、この作品の監督である森崎ウィンのルーツがミャンマーにあることを想起する。
老女と孫らしき好青年とのチャブ台を挟んだ食事の場面。
淡々としているが懐かしい光景が続く。
老女と好青年の間には目に見えない温かな絆があることが伝わってくる。
だが、孫のように思えた青年は孫ではないと知らされる。
老女の実の子供は訪ねても来ないらしい。
後半、電話で会話する娘は通り一遍の注意をするばかり。
『ゴジラ-1』でも感じたのだが、現代の日本では、家族を描く時に血縁がない方が、信頼し合う家族を描けるのだろうか。
軒先に吊るされた柿や、グツグツと煮物が作られている鍋を見、懐かしさを感じながらも暗澹とする。
そして、終盤。
ラジオからは緊張下にあった2国の間にミサイルが飛んだことを伝え、そして、老女の前では進入禁止の棒を挟んで人々が諍いをしている。
理由は判らない。
が、それを見つめる老女は、それを日常として受け止めている。
淡々と進み、淡々と終わる。
原風景とも言えるような懐かしい光景を見続け、最後に私の中に浮かぶのは、現在の自分の立ち位置に対する問いかけ。
タイトルの『せん』。
平仮名で書かれている。
漢字を頭の中で色々と巡らす。
黄色と黒の斑らになった棒は確かに“線”であり、その細い線を挟んで(おそらく)近所の村人が対立している。
海の向こうでも、国境という“線”を挟んで争いが起こっている。
老女はその線から離れたところで、それを見守り、淡々と日常を送っている。
考えれば考えるほど、平穏な画面からキツい問い掛けを投げられたなと感じる。
おそらく、この作品に対する解釈、余韻は、見る人毎に変わってくるだろう。
⭐︎ミュージカルとして
この作品は、一見地味な印象だが、ミュージカル作品として見事に成立している作品である。
•ナンバーを通しモノローグ(独白)という演劇的手法を映画に取込んだ手法
歌•音楽をどう物語•人物描写と結合させ作品を盛り上げるかがミュージカル作品の成否となるけれど、この作品は歌と物語、人物描写を結合させることに成功している。
モノローグ(独白)という演劇的な手法をミュージカルナンバーとすることにより、違和感なく映像に取り込み、かつ、セリフはセリフとして語らせリアリティを保ち、淡々とした何も起こらない日常を鑑賞に耐える作品に昇華させているのだ。
モノローグ(独白)は、登場人物の心象をセリフにして喋らせる技法だ。
有名なところでハムレットが「生きるべきか死ぬべきか(to be or not to be)」と一人で言う場面など。
この独白は、短ければ独り言として処理できるが、長いと映像作品では、キツい。
そこを歌という非日常のフィルターを通せば、映像でも独白は通じるのだと思った。
脚本上田一豪、監督森崎ウィンの腕を感じた。
•実力派の出演者
こういった地味な味わいで見せる作品には実力者が欠かせない。
何より、語るように歌い継いでいくのである。
これは、難しいことだ。
中尾ミエ、森崎ウィンの歌の実力は周知のところだが、鈴木伸之も歌手デビューの実績を持つ。
おそらく、歌い上げれば、その実力を簡単に示すことが可能だろう。
それを抑えた声でセリフのように歌い、かつ、その歌声に感情をのせるのである。
これは簡単なことではないと思う。
さらに歌いつつ、さほどの出来事も起こらない日常を見せる演技力も必要だ。
この3人は見事だった。
中尾ミエは、昭和を代表する歌い手の一人であるが、最近でも『ピピン』で見事な身体能力と、観客を巻き込みナンバーを盛り上げる華やかなカリスマ性を見せていた。
本作は『ピピン』とは真逆の役だったが、抑えた演技で、特に争う村人を見つめるラストが印象に強く残る。
それまでの年輪を感じさせる表情、そして、虚にも感じられる眼差し。
その眼差しが、諦観なのか、傍観なのか、、、おそらく答えは見る側に委ねられ、そして、見る人毎にその答えは違うのだろう。
鈴木伸之は、ヤンキー物の定番の若手俳優というイメージであったけれど、優しい雰囲気を醸し出す良い役者さんになったなと思った。
冒頭の食事の風景、座って食事をしているだけで、祖母想いの優しい孫と見る側に納得させなければ、その後の実は2人は血縁関係にないと驚かせる場面は成立せず、見る側を作中に引き込むことはできない。
大きな出来事の起こらないこの作品の中、この二人が他人であることに対する違和感が、その後の作品の流れへの興味を沸かせるキーポイントである。
その点を、違和感なく納得させた鈴木伸之の存在感は見事だった。
そして、本作の立役者が監督であり郵便配達を演じた森崎ウィンである。
ミャンマーで軍事紛争が起きた際に森崎ウィンが出したコメントが胸に刺さった。
感情を抑えているが、祖国、そこに暮らす家族、友人への気持ちが滲み出ている文章だった。
その後、『ピピン』、『ジェイミー』、『SPY×FAMILY』といったミュージカル、大河ドラマへの出演の折のインタビュー記事で、“平和な国”、“平和な場所”といった単語をよく使用され、それを目にする度に、この国の平和と他国での紛争を思い出した。
それもあり、紛争地域での犬の救済エピソードをラジオが語るとき、ミャンマーが想起され、淡々とした画面を見ながら胸が騒めき始めた。
そして、ラストの争う2組の村人の間の一本の線が強く胸に刺さる。
私は、以前、イベントで彼の撮ったショートムービーを見る機会があり、その際に聞いた映画監督にかける夢を思い出し軽く感慨に耽った。
若い人の夢が着実に叶うのを見ることは嬉しい。
監督としての才能を見せたと思う。
また、私は彼の声としっかりと言葉を伝える滑舌の良さが好きである。
舞台でも映像でも耳心地が良い。
インタビューによれば本格的なミュージカル映画を撮りたいとのことであり、その実現を祈りたい。
書きたいことが次々と湧いてくるが、長くなるのでここら辺で。
とにかく、見ることが出来て良かった一作である。
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