アルカンシェル

【加筆】

また、辛いニュースが出てしまった。


改めて、ご冥福をお祈りすると同時に、ご遺族には哀悼の意を表したい。


宝塚歌劇団だけではなく、すべての組織(会社、社団、財団、学校など)•集団(サークル•部活•など)においての人格否定•各種ハラスメント行為•暴力行為•誹謗中傷などはあってはならない。


私自身も肝に銘じると同時に、歌劇団においても今回発生していたと認めたハラスメント行為を、今後、発生しないよう最大限の体制を構築していただきたいと思う。


一方で、宝塚歌劇への攻撃のような論調が続くことにも心が痛まる。


下に書いた花組『アルカンシェル』を観た時、舞台から凄まじい迫力を感じ、出演するジェンヌさん達の気概を感じた。


おそらく、ファンである私などよりも、当事者たる宝塚歌劇団に所属する彼女達の方がよっぽど辛く苦しい時間を過ごしているのであろう。


おそらく宝塚歌劇をそんなに知らない人達の勝手な憶測やら、煽りやらも溢れている状態で、ジェンヌさん達の不安も大きいであろう。


宝塚歌劇団の今後の運営のあり方への提言と、ジェンヌさん達のパフォーマンスとは別に考えるべきと思う。


私は、組子さんたちが全霊で舞台を届けてくれるのであれば、それを素直に受け止めたいと思う。


【本文】

宝塚大劇場

花組公演

『アルカンシェル』


もの凄い作品を見てしまった、、、


そして、熱く一体感のある空間に3時間、身を置き、時間の経過を忘れていた、、、


それが観終わった時の感想だった。


私にとって、今年初の宝塚歌劇の鑑賞(映像除く)。


昨年来、宝塚好きの一人として、やるせなく、辛い状況が続いていた。


おそらく、他の宝塚ファンの方もそうだっただろう。


色々な雑念の中、シンプルに歌劇を楽しむことが出来るだろうか。


今回、花組公演を観るにあたって、そこら辺の想いを自分なりにまとめ、書きたいと思っていたのだが、そんな客席のファンの心の曇りを吹っ飛ばし、心に見事に虹をかけてくれた、そんな公演だった。


宝塚歌劇というカテゴリーを超え、作品として見事な仕上がりになっている。


もう柚香光を中心とした花組の気迫、そして、圧倒的な一体感が客席を圧倒する。


見事だ。


本作の構成もあるのだが、冒頭のパリのレビュー小屋でのリハーサルシーンから魅せる。


一本立て作品で、物語から始まるのかと思ったらいきなりのレビューシーンで、驚き、かつ、惹き込まれる。


本作は柚香光の退団公演であり、退団公演は他公演とは気合いが違うのは常であるが、本公演の気合いの入り方はそれとは違っていた。


これは客席にいた私の勝手な感想だが、柚香光を中心とする組子さんたちの宝塚歌劇への想いというものが一体となり、爆発したという感じだ。


柚香光だけでなく、皆、輝いているのだ。


そして、その一人一人の輝きが共鳴しあって劇場内を覆い包み、客席の舞台好きを至福の時に誘ってくれる、そんな素晴らしい空間を作り出していた。


今回の大劇場訪問で、なぜ私は宝塚歌劇が好きなのかという初心を思い出した。


まず、宝塚駅(東京なら日比谷か有楽町駅)を降り、普段私が過ごすのとは異なる街を歩く。


花の道を進み劇場が見えてくると胸が高鳴る。


そして、ロビーに足を踏み入れた時から、夢の世界が始まるのだ。


3時間、世俗を忘れて宝塚の世界を楽しみ、そして、また、日常へと帰る。


こんな当たり前のことを私は忘れていた。


その3時間を“お花畑”と揶揄する方もいる。


けれど、決して思い通りにいかない日常の中、3時間の夢に溢れた“お花畑”で思い切り羽を伸ばし楽しみ、リフレッシュして、また、日常に帰る。


それのどこがいけないのだろう。


昨年来の出来事、そして、今回の花組公演の観劇で、私はそんな当たり前のことを思い出した。


この作品のキーパーソンは、やはり柚香光である。


私が彼女を認識した時は、まだ下級生で頬もまだふっくらしていて、可愛い弟キャラというイメージだった。


上級生に可愛がられ、そして、そんな上級生を慕ってついていくようなホッコリした空間を作り出す男役。


そんな柚香光がトップになる時、とうとうカレータンもトップか、、、と感慨に浸った。


しかし、コロナがやって来た。


パンフレットで小池修一郎も書いてあったが、柚香光のトップ就任期間は、彼女の柔らかなオーラとは裏腹にかなり厳しい出来事の連続だったと思う。


そして、この退団公演の柚香光の見事な男役っぷり。


頬もシャープになり、存在感も増し、堂々たる貫禄を示す。


男役としても舞台人としても成長したね、、、と客席で勝手に嬉しく思った。


そして、かつて上級生を支えていたように、本作では下級生達も支えているというのがしっかりと伝わる。


そんなフレンドリーな優しさは失われていない。


私は、そんな柚香光の退団公演を客席で観ることが出来、幸運だった。


【ここから作品の内容に触れます。極力、ストーリーのネタバレは避けますが、どうしても感想を書く中で匂わせてしまうこともあるので、未観劇の方は観劇後にお読みいただければと思います】


本作は小池修一郎の一本立て作品である。


ドイツ軍によるパリ占領下でレビューの火を消さずに守ったエンターテイナー達の物語である。


これはレビュー劇団でもある宝塚によくマッチした題材だ。


そして、作品構成も上手い。


宝塚の公演の場合、芝居・ショーの二本立てで、芝居がオオコケ(私にとって)でも、レビューのハズレは少なく、休憩時は未消化でも劇場を出る時に満足するパターンが多い。


対して一本立ては、客席でハマらないと未消化の時間がずっと続いてしまうという残念な結果となる。


その点、本作は、レビューシーンが物語の中で重要な役割を示すため、要所要所で挟まり、物語と同時にショーも楽しみ、かつ、そのシーンが物語をテンポアップしており、観やすい一本立て作品となっていたのは、小池修一郎の手腕だと思う。


特に1幕の幕切れは見事。


そして、上級生から下級生まで適材適所で、脇の人までちゃんと物語上の意味を持たせているのも、座付作家ならではの手腕。


小池作品が外部のミュージカル作品で評価を得ているは、やはり宝塚で大勢の組子さんをそれぞれ活かし、うまく出し入れして来た経験と実力が基礎にあってのことなのだなと思う。


また、ナチスドイツ占領下という重い時代背景を、舞台上の若い活気を壊さぬよう要所要所に挟み、しっかりと描いていたのも上手い。


例えば、冒頭近くでドイツ軍の侵攻を知ったレビュー小屋の仲間2人がユダヤ人であるという理由で住み慣れたパリを離れる決断をする。


また、パリの破壊計画もクライマックスに絡められ、他国の音楽の弾圧、米国の参戦による均衡の変化などのキーポイントも入れ込んでいる。


ここで、歴史をしっかりと説明しないから歴史認識が甘いという意見が初日頃にはあったのだが、これに関しては、もう少し観客を信じて良いのではないですか?と私は言いたくなる。


エンターテインメント作品は、ドキュメンタリーではなく、ましてや、お勉強の時間ではないのである。


もちろん、歴史的事実を知らなくて良いとか、蔑ろにして良いと言っているわけではない。


若い観客達が歴史を知る一助となることが、エンターテインメント作品の大事な役目であると思っているのである。


私自身、大好きな演劇作品・映画作品で軸となった歴史的事件に興味を持ち、作品をより深く理解するためにそれらを調べ、それまでに知らなかった様々な歴史的出来事の背景、思想、流れを知り、より作品を好きになり、リピートすることをして来た。


おそらく本作でナチスドイツのパリ占領という事実を知り、作品をより深く理解するために、その背景を調べる若い観客の方々が多くいると思う。


そして、若い時代に忘れてはならない歴史的事実が伝わるのだ。


かつて、映画・演劇評論家の小藤田千恵子先生が、沖縄戦の悲劇であるひめゆり部隊をテーマにした「ひめゆり」というミュージカルに関し、ひめゆりの悲劇を後世に伝えるにはミュージカルという媒体こそ相応しいとおっしゃっていた。


これは、残念なことではあるが、教科書やドキュメンタリー、リアリティを全面にだした作品では、若者の心は捉えず、作品に飽きさせてしまっては伝えることは出来ない。


一方、ミュージカルというエンターテイメントの衣を被せることにより、若者達にも親しみやすくさせることによって、沖縄戦における“ひめゆり部隊”の悲劇という日本人として忘れてはいけない歴史的な事実を後世に伝えることができるということであると思う。


もちろん、それらの事実を知り、強く伝えなければと思う方々にとっては、作品はヌルいと映るだろう。


が、問題意識を持っている方々は、ドキュメンタリーや正面から描いた型太の作品をしっかりと受け止めるだろうが、興味のない、あるいは、はなからその事実を知らない人は、そこに触れにはこないのである。


その意味で、本作のような作品が歴史的事実への入門のような役割を果たすのは、意義のあることだと思うのである。


ちょっと横道にされてしまったが、“歴史的造詣の深い方々”は作品の内容にいちいちこれはこう描くべきと決めつけるのは創作への拘束となってしまうのではないかと思う。


特にこの作品のテーマは最後の虹が端的に表すように“希望”であると思う。


“希望”を込めた作品であるため、登場人物達には前を見て歩き始める結末が用意されている。


そこに対してエンタメ(娯楽)はちゃんと歴史を描かないというのはおかしいと思う。


コロナ禍でエンターテインメント・娯楽の重要性を認識したはずなのに、コロナが収束し、エンタメもまた復活すると、娯楽作は下というような方々がまた出て来たのは残念だ。


エンターテインメントである以上、自ずと描写への限界があり、“歴史的造詣の深い方々”は、それらを理由として作品を否定するのではなく、その作品で興味を持った人達をさらなる知識に誘導するように力を注がれた方が有意義ではないだろうか。


また、ドイツとフランスの橋渡しとして設定された軍人の造詣も面白かった。


考えてもみれば、ナチス下のドイツは全体主義だったが、全ての人がそれを是としていたわけでないだろうし、仕方なく加わった人たちもいただろう。

(だからと言ってナチス下のドイツで行われた非道を肯定するわけでないし、表面上でもナチを支持した人の責任が軽減されるとも思わない)


2番手の永久輝せあの演じた文化統制官は、そんな日和見主義のドイツ人で、自由なフランスにやって来て、思わず本音を漏らし、羽目を外し、軍議に反するという人間臭さ。


軽いコメディリリーフの役割も果たし、印象に残った。


永久輝の気合いの入った熱演も観ていて心地良かった。


語り部の聖乃あすかの爽やかさ、コメディアンの一樹千尋のベテランらしい演技も上手い。


ヒロインの星風まどかの凛とした立ち姿と歌声、サブヒロイン星空美咲の可憐さも良い。


そして、名を挙げた方々だけではなく、この作品は花組のメンバーが全員で作り上げたそれこそ、皆が主役と言って良い一体感のある舞台であったことが嬉しい。


ナンバーも主題歌は耳に残るし、名曲をジャズアレンジしたナンバーも耳に心地良い。


それにしても、昨年来、宝塚に関し、耳を覆いたくなるようなニュース、それに便乗した勝手な意見がマスコミやネット上に溢れ、辛い思いをした人は多いと思う。


事実であれば歌劇団に改めてもらいたいこと、一方的な意見や解釈でそれは違うんじゃないのと声なき声をあげたくなったこと、宝塚を全く知らないであろう識者(自称含む)の意見にイラついたこと、、、


色々な想いが溢れた。


宝塚歌劇が好きな者として、やはり正すべきことは正して欲しいと思う。


組子さん・スタッフさんの過重労働の解消や、イジメの防止などに関しては、これは宝塚歌劇団のみでなく、一般の組織、学校、会社などでも必須のことで、宝塚歌劇団の伝統ということで片付けていい問題ではない。


ファンとしての切なる願いだ。


マスコミで喧伝されている情報が全て事実ではないと思う。


しかし、その中に、直すべき点があるのなら、歌劇団の運営の方達には真摯に対応していただきたいというのが、切なる願いだ。


演者もスタッフも観客も気持ちよく作品を楽しみたい。


そして、そんな不安な私たちに、花組の組子さんたち、そして、公演に係ったスタッフたちが出した答え、メッセージが、この『アルカンシェル』であると思う。


楽しい舞台、幸福なひと時を観客に届けるという気概に満ちていた。


そして、埋まった客席だけでなく、立ち見を含めた観客達がその想いを受け止めた、“希望”というテーマに似合う作品であった。


衣装、音楽、装置、演技と書きたいと思う点が次々と出てきて、最後の幕が降りた時には、すごい作品だったというシンプルな感想が残った。


現時点で、まだ当たってはないのだが、もし運良く東京公演のチケットが手に入ったら、もう少し冷静に見ることが出来ると思うので書き足したい。

(それが無理なら、円盤で)









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