第2話 大丈夫ですか? ……なわけないか

「――私、感染しちゃったの」


 先輩の口から出た言葉は、僕が信じていた事とは全く真逆の言葉だった。


「そんな……それじゃあ先輩は……」


 『死んでしまうんですか?』 そんな言葉を飲み込んだ。口に出したら、現実になってしまいそうだから。


 死亡率は高いけど、100%なわけじゃない。それならまだ希望はある。小さな可能性だけど、先輩が生きる可能性は残っているんだ。そんな弱音は言ってられない。


 言霊などという非現実的なものは信じていなかったけど、『大丈夫』って言い続けた方が可能性が広がる感じがする。今ばかりは縋らせてもらおう。


「うん。死んじゃうかもね」


 服を着て起き上がり、へらっ、と笑いながら先輩は軽くその言葉を口に出す。何も気にしていないような笑顔を見て、一瞬呆気にとられた。


「美月お前なぁ……なんでそんな軽いんだ。自分の命に関わることだろ」


「そうですね。でも、感染してしまった事実は変わりませんし、私が死ぬ可能性が高いことも理解しています。それならいっそ、残りの人生を楽しもうって決めたんです」


 それに、と続けて先輩は言う。


「真っ先に私が諦めてどうするんですか。空元気でも何でもいいから、最後まで明るく、元気に生きますよ。私は」


 やっぱり、先輩はかっこいいな。ただ前を向いて、最後まで諦めない。こんな状況でもそれが変わらないのは凄いと思う。


「そうか。まぁ、お前らしいと言えばお前らしいな。でも、こんな時ぐらい弱音を吐いてもいいんだぞ。先生でも、親でも、こいつでもいい。溜め込みすぎても良いことはないからな」


 そう言いながら先生は僕の頭を撫でてくる。人前でそういうことをするのは辞めてほしいんだけど。


「辞めてください」


 そう言って手を振り払う。先生は不満そうな顔をしているけど、当たり前だ。痛いし恥ずかしい。


 そんな僕達を見て、先輩はクスクス笑っている。そうやって笑う先輩の顔は、年相応な笑顔で普段とは違い可愛く見えた。


「ふふっ、大丈夫ですよ。溜め込むようなことはしません。だから、吐き出したくなったらよろしくね? 外山君」


 どうして僕に? 家族とかの方がいいんじゃないか?


「ほら、ご指名だぞ外山。ふたりで話してな。俺も最後まで居たいんだが、報告とかもあるから学校に戻る。悪いが、歩いて帰ってくれ。それじゃ、お大事にな」


 先生はそう言って先に帰っていった。先生も大変なんだろうな。この学校で初めての感染者だから、学校側もあたふたしているんだろう。


「あれ、帰っちゃった。外山君はまだ帰らなくていいの?」


「そうですね。時間にはまだまだ余裕があるので、他の人が来るまではいようと思ってます。この後誰か来るんですか?」


「多分来ないよ? お母さん達には『今日中に帰れそうだから来なくてもいいよ。帰ったら結果だけ教えるね』って言ってあるし、他の人には連絡すらしてないから」


「どうしてそんなこと言っちゃうんですか。一人で歩いて帰るつもりですか?」


 元気ではあるけど、病人は病人だ。送迎とかしてもらった方がいいと思うんだけど。今からでも、誰かに連絡して迎えを頼んだ方がいいんじゃないかな?


「何を言ってるの? 一人じゃないよ。目の前にいるじゃん。私の他にもうひとり」


「目の前……って僕ですか!?」


「せいかーい! 家までエスコートお願いするね?」


 嫌ではない。むしろ嬉しいんだけど、僕に務まるのか?


「僕でいいんですか? 正直なんの役にも立たないですよ」


「大丈夫。何かしてもらおうとしてるわけじゃないよ。ただ話し相手がほしいだけ」


 それぐらいなら僕にもできるか。何も期待されてなかったのはそれはそれで悲しいけど、そんなことより先輩と一緒に帰れることが嬉しい。


「わかりました。それじゃあ、先輩が帰れるようになるまで待ってます」


「ありがと〜。素晴らしい後輩を持って私は幸せだよ……君は世界一良い後輩だ!」


「大袈裟ですよ。ただ一緒に帰るだけでしょ」


「私が普段から思ってることだから、素直に受け取ってほしいな。君みたいな後輩は初めてなんだから」


「先輩……」


「こんなに弄り倒せる後輩は初めてだからね」


「そんなことだろうと思いましたよ!」


 相変わらずだ。普段の姿からは想像できないが、先輩は僕と2人になると、隙を見つけては僕のことを弄ってくる。そのせいか、僕の中では部室が一番気の抜けない場所になってしまった。


 でも、僕はそんな時間も楽しいと思っているし、少しでも先輩の息抜きになればいいと思っている。


 先輩は、部室ではたまに疲れたような顔を見せる。普段から自分の事を完璧にこなし、それにプラスして色んな人に頼られているのだ。疲れるのも当然だろう。


 普段はそれを表に出さずに、普通に過ごしているから凄いんだけどね。


「あはは! でも、それを抜きにしても良い後輩だって思ってるのはホントだよ。だから今日も君に来てもらったんだし」


「そうですか。そう思ってくれるのは素直に嬉しいです。後は僕で遊ぶのを辞めてくれると嬉しいですね」


「うーん、それは無理な相談かな?よく言うでしょ?好きな人には意地悪したくなるって」 


「もう騙されないですよ。それも後輩として好きって話でしょ。僕の純粋な心を弄ばないでください」


 そういう意味じゃないってわかっててもドキドキしてしまうのは、僕が単純だからなのだろうか。それとも、僕が先輩の事を好きすぎるからなのだろうか。


 まぁ、先輩の事が好きなのは変わらないし、どっちでもいいか。


「自分で純粋って言っちゃう?」


「ええ、純粋ですよ。僕の純粋な心です」


「ふーん。可愛いね」


 可愛いって言われても別に嬉しくない。何回か言われたことがあるけど、恋愛対象として見られてない感じがするから、僕は嫌いだ。


「可愛くないです。前も言いましたけど、可愛いって言うの辞めてください」


「えー。ほんとに可愛いんだからいいじゃん」


「前の時も聞きましたよそれ。つまり辞めるつもりは無いと?」


「お、流石外山君! よくおわかりで。私の事ならなんでもわかっちゃうんだから〜」


「なんでもはわからないですよ。なんなら、わからないことの方が多いです」


 先輩について僕が知ってることなんてほとんど無い。部活で一緒にいるだけの関係だったんだし、当たり前といえば当たり前なんだけどね。


「そう? 意外とわかってると思うけどね。少なくとも、学校内では外山君が一番私のことを知ってるよ」


「そうなんですか?」


 意外だ。先輩は友達も多そうだし、関わった期間が一年少ないぶん、同学年の人の方が知ってそうだったんだけど。


「そうだよ。私が素で話せるのは、外山君だけだからね」


「それって……」


 質問しようとした時、先輩の名前が呼ばれた。タイミングが悪いなぁ。


「ごめん! ちょっと行ってくるね。またあとで聞くから、話まとめといて!」


「あ、行ってらっしゃい」


 先輩が呼ばれたってことは、そろそろ帰ることになるのかな? 安静にしてほしいけど、今日の様子を見ている感じ、無理なんだろうな。


 明日の放課後に部室で合うのが楽しみだ。今日は会えなかったからね。でも、日付がかわるということは、先輩の死へのカウントダウンが始まることを意味する。


 明日が楽しみだけど来てほしくない。そんな複雑な感情を感じながら、先輩の帰りを待つのだった。

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