第23話 新たな結魂、三人目のお嫁さん

 遠く離れた観客からも緊張した空気が漂ってくるのがわかる。何せ誰もが恐れて道をあける竜人同士が正に今衝突しようとしているからである、近くで巻き込まれれば命は無いであろうその場で祐介は「だっらぁ! しゃっこい!」と虚勢を張り続けていた。

 向かいには力を解放したハムルとその隣でレイゼに飛び掛からんとしているルーナ、そしてそれを撃退しようとレイゼが腰を深く落として構えており、更にその後ろにはメルとマオが祐介の隣で立っている。竜人二人が圧倒的な力の差を持って己の命を脅かすというその絶望的な状況の中に於いて祐介は一種の諦めに似た感情を持っていた。間違いなくこの異世界では圧倒的な強者であろう竜人をあれだけ虚仮にしたのだ、これは未だに自身の首が繋がっているのが不思議なぐらいの出来事であろう。

 

「……三人共、俺の話を聞いてくれ」

 

 祐介がハムルを睨んだまま口を開いた。

 

「いいか、三人はこのまま退いてくれ。ハムルがあれだけ怒っているのは俺の責任だ。そのせいで三人の身を危険に晒したくはない、だからあいつらが襲って来ない内に逃げてくれ!」

 

 その突拍子の無い提案に思わずレイゼが「あ、あほかーっ!」と叫んだ!

 

「そんな事をしたら祐介が殺されてしまうだろ! 馬鹿な事を言うな!」

「そそそ、そうですよぉ! 絶対に、絶対に僕達は祐介さんの側から離れませんけど、仮に僕達が引いた後の作戦でもあるんですか!?」

「……いや、無いよ。ま、あのハムルに言いたい事は言ったからな、殺されても後悔は無い。あー、でもメルとマオに頭を下げさせたかったってのはあるかな……だけどそれより俺のせいで三人が怪我をしたりする方が嫌なんだ。だから──」

「そんなお願いが聞けるわけないじゃないですかぁ! 殺されてもって……祐介さん、お願いですから馬鹿な事は言わないでください……」

「だけどな……」

「うるせーっ! ったく、祐介も下らないこと考えるんじゃねーよ! 大体俺のせい俺のせいって言うならなぁ……そんな事を言うんだったら……いいか、見てろよぉ……?」

 

 メルはズイッと一歩踏み出して大声で叫んだ!

 

「おーい! そこのくやぴすぎて頭が沸騰しそうなクソアホ竜人と隣のイカれポンチメイドよぉーい! てめーらはこの祐介ちゃんが愛して止まないラブリーなメルちゃんが直々にボッコボコのメッタメタのぐっちょんぐっちょんにしてやっからとっととかかってこいやぁぁぁーーーーーっっ!!! どすこい!!」

 メルは言いながら首をかっ切るジェスチャーも混ぜて挑発に余念が無かった。そして一頻り言い終わると、三人に向き直って「……な? これでメルちゃんのせいにもなるだろ?」と笑うが、三人は顔を見合わせて叫んだ。

 

「「「い、言い過ぎぃぃーーーーーーっっ!!!」」」

 

「いくらなんでも言い過ぎだろ! 見ろ、あの温厚なルーナが肩を震わせて怒ってるんだぞ!」

「ハムルに至っては頭に血が昇りすぎて顔が真っ赤じゃないか……あーあー、メル、どうすんだよ!」

「まぁ僕は実際の所どうでもいいんですけどぉ……でもぉ、祐介さんが愛して止まないって言葉いります? 嘘つきさんは嫌われますよ?」

「そこのフレーズは絶対にいるんだよ! いつだってメルちゃんは愛されキャラなの!!」

 

 四人がやいのやいのと言い合いを始めたが、その隙だらけといえる光景を目の当たりにしながらもハムルは突撃の命をルーナに出すのを控えていた。それは騒ぎながらも此方に目を光らせているレイゼを警戒しているわけではなく、竜人から見れば木端程度の実力と思われるメルとマオに危険を感じたのでもない。そして当然ながら一介のヒューマニーにすぎない祐介のファイティングポーズに恐れを抱いたわけでもないのだ、ハムルは向かいの四人とは別に強者の存在を離れた群衆の中に感じていたのである。

 敵か、味方か、それとも別の第三の立場からの者なのか。離れた群衆の中からでも自身に警戒心を抱かせるその不穏な存在にハムルはじっとその場で二の足を踏むしかなかった。

 

「……ハムル様、どうぞ御随意になさってください。どのような下知であれ、このルーナが必ずハムル様のご期待に応えて見せましょう」

 

 ルーナもまた同様に第三者の存在に気付いているのだろう、その危険性を熟知しながらもハムルの命とあればその身を賭してみせると言うのだ。ハムルは「うむ……」と頷き、自身の両足に力を込める。第三者が何者であろうとも、ルーナを先に突撃させて後ろから自身が飛び込む。それを防げる者などそうそう居るはずがないのだ。潰す、全てを踏み潰す。先ずは俺を猿扱いした人間を殺す、脆弱な人間なのだからこの強靭な腕を振るうだけでも相手は散り散りに弾け飛ぶであろう。返す刀の様に手を振るえば古田舎のエルフも穢らわしい婬魔も直ぐにこの世から消し飛ばせる。邪魔立てするのならレイゼにも多少の痛い目をみてもらわねばならぬ。

 ハムルは大きく息を吸った、酸素が血流と共に身体中を巡り指の先まで力が漲っていく。そしてピタッと息を止めるとぐぐぐ……と身体を縮めて力を込めた──さぁ、暴れようか。

 臨戦態勢を見せたハムル達にいち早く対応したレイゼが「……ちっ! 来るぞ!」と注意を呼び掛ける。メルが「お? やっとかよ……ふぁ……」と軽く伸びをした隣でマオが「…………ぃ……ぁ……」と何かをぼそぼそと呟いた。

 その言葉は少し離れた位置のレイゼには届かず、またハムルの殺意を一身に受けている祐介にも聞く余裕はなかった。マオがメルにだけ聞こえるように呟いたその言葉に、メルはピクリと眉をひそめてマオを視線だけで睨む。

 

『……竜人を喰うのも久しぶりだナ』

 

 メルには確かにそう聞こえたのである。舌舐りをして、余裕を見せるような笑みを浮かべて呟いたその言葉はまるで『聞こえたよナ? 邪魔は、するナよ』とでも言いたげである。

 

『けっ、そっちこそメルちゃんの邪魔はするんじゃねーぞ!』

 

 メルがペロッと舌を出して意思表示をするが、マオはそれに反応する事もなく真っ直ぐにメルを視線で射抜いた。マオの瞳はまるで沼の底にある澱の塊の様であり、メルにはぐにゃりと歪んで見えた。しかし、それはひどく挑戦的な目付きでもあった。

 

(成る程……ね、マオはそうするつもりなのね。ま、メルちゃんも祐介ちゃん達の事は勿論守る気まんまんなんだけど……)

 

 誰に向ける訳でもない、いや、その誰にも見せない角度でメルの顔からふっと笑みが消えた。

 

(マオの奴め、明らかにアタシを挑発してたな……)

 

 飄々とした態度の仮面が、苛立ちと焦燥感に燃やされ、爛れて剥がれていく。メルちゃんという偶像が自身から崩れ落ちていくのが分かる、代わりに足元からふつふつと怒りが沸き上がってくるがメルはなけなしの理性でこの場に留まっている。今この場でマオにどちらが上なのかを実力で叩き付けるのも悪くはない、だが先ずは祐介とレイゼを守らなければならない、だからあの竜人を何とかするべきだろう。本来ならば適当な頃合いを見計らって邪魔な竜人共を吹き飛ばすつもりだったが、それはもう止めた。

 

(それにしてもアタシを邪魔者扱いとは、大した大物振りじゃねぇか。あぁ……なんだか竜人どもに手加減をしてやる気も失せたな──)

 

 メルは深呼吸をして己の枷をほんの僅かだけ外した。それはメルにとっては蛇口を少しだけ開いたにすぎない些細な力の解放。だがしかし、それを見るものによっては途方もない大きさのダムの放水弁が解放されたかような錯覚すら覚えさせる、それ程に強大な力の奔流がメルの中で起こっていた。もうアタシを邪魔者扱いなどさせるものか──、そして、どちらが足手まといの邪魔者なのかを教えてやる、とメルはチラリとマオを見て挑発し、マオは歪んだ笑顔でそれを迎え入れた。

 一方で祐介はへっぴり腰のファイティングポーズで構えながら諦めに似た感情を抱えていた。誰もが恐れる竜人が、真っ直ぐに自身を殺しに向かってくるのである、それを考えれば祐介が諦めるのも無理は無かった。しかしただ殺されるのでは未練が残るだろう、もしかすると成仏出来ないかもしれない。祐介は未練がましくも頭の中で何度もシミュレートしていた。

 

(こう来たら、こう! なんとか避けたらこう! そしてどうにかなればこう!)

 

 シュッシュッと腰の入っていないよろよろの拳を何度か突き出してはみたものの、恐らくこれでは竜人にダメージを与える事は難しいだろう。祐介はあまりの実力差にがっくりと肩を落としそうになったが、ふと自身の右手に妙な変化が起きている事に気付いた。

 

(ん? メルとマオの結魂指輪の色が変わっている……?)

 

 平時ならばメルとの指輪は深緑でマオは漆黒なのだが今は全く色が変わっており、マオの指輪は黄金に、そしてメルの指輪は銀色に変わっていた。

 

(マオの指輪の色が変わるのは知ってたけど、メルの指輪の色も変わるのか? そう言えばマオが前に言っていたな、この指輪は魂そのものと繋がっているから、何かあれば色も変わるって……)

 

 祐介はマオの言葉を思い出しながらメルに何かあったのかな? とメルに視線を向けようとハムルから視線を切ったその瞬間に先ずはルーナが動いた!

 

「──失礼致しますっ!」

「させる……かよぉっ!」

 

 それは祐介からすればほんの一瞬の出来事である、祐介が視線をずらした僅かな間隙……その一瞬の間にルーナは地を這う影となってレイゼに襲いかかった! レイゼはそれを全力で迎え打つ! 鋼鉄同士がぶつかったような鈍く重い音の中心──二人の拳の先には見ず知らずの小柄な老人が立っていた。

 

「──双方、拳を退けぃ……っ!」

 

 小柄な老人は二人の拳をいとも容易く抑えながらそう言った。ルーナとレイゼの両名に衝撃が走る、祐介には見ず知らずの老人だが二人にとっては既知の人物だったからである。

 

「お、お祖父様!? 何故このような場所に!?」

「ふぇっふぇっ……! ちと野暮用でのぅ、ほれルーナもはよぅ拳を退けとくれ……主ら二人の拳はこの老体にはちと骨じゃでな……」

 

 ルーナは突然の出来事に困惑しながらも恭しく頭を下げて身を引く。祐介はそれを呆然と見ていた、祐介の感覚でいえばハムルから視線を切ろうとした瞬間にいきなり老人がレイゼの前に現れたのである。

 

「ほれほれ、ハムルや……そのように力をひけらかすものではないぞよ? 誇りある竜人たるもの、常に紳士の心をもたねばならん……! 分かるな?」

 

 言い聞かせるような物言いにハムルは大きく息を吐いた。徐々に化物染みた身体は縮まり、遂には元々の姿になって静かに頭を下げる。

 

「……よしよし、それでよい」

 

 うんうん、と頷く姿は正に好々爺といった姿であり、祐介はホッと息を撫で下ろした。

 

(レイゼの祖父なのか? あのハムルが素直に従うなんて恐らくかなり偉い人なんだろうけど、なんだか話の通じそうな人でよかったぁ)

 

「お祖父様、それで野暮用とは……?」

 

 レイゼが緊張した面持ちでそう訪ねると老人は「ん、まぁ少し……な」と言葉を濁した。その際にチラリとメルに視線を向けたのは偶然だろうか?

 

「……それよりも、じゃ! 儂も初めから見ておったがの……そこの、祐介君といったかの? いやー中々の男振りじゃったぞ!」

「え、あぁ……はぁ、ありがとうございます」

 

 バシバシと背中を叩かれながら祐介は頭を下げた。そこは流石は竜人と言うべきか、背中を叩く一打一打が力強い。

 

「は、初めから!? そんな、お祖父様の姿なんて全然見当たらなかったのに……」

「儂は姿を完全に制御出来るからのぅ、レイゼがそこの女の子に引き摺られて行ったのも当然見ておったよ」

「あっちょ……あの、み……見苦しい姿をお見せして本当に申し訳ありませんでしたっ!」

 

 レイゼが慌てて深く頭を下げる、その姿は彼女の普段の強気な態度からは想像も出来ない。

 

「よいよい、可愛い孫娘の事じゃからの。少し心配になっただけじゃ……さて」

 

 老人は祐介に向き直る。

 

「祐介君や、儂はレイゼの祖父で名をカラクと言っての。これでも竜人の里を治めておる」

「俺……いや、僕は永瀬祐介といいます。カラクさん、本来なら僕の方から名乗らなければならないのに先に名乗らせてしまうなんて、すみません……!」

「いやいや、よいよい。儂はちっとも気にしとらんよ。いやーそれにしても祐介君の策略は見事じゃった! 周りの全員が初めから諦めておったのに、唯一お主だけが勝利の論理を組み立てておった。端から見ていてもとても興味深い一戦じゃったよ、そこで一つだけ祐介君に聞きたいんじゃが……よいかのぅ?」

 

 カラクはあくまで表面上はニコニコとしながらも何処か祐介を値踏みするような視線を向けたので、祐介は戸惑いながらも「はぁ……なんでしょうか」と伺った。

 

「……祐介君が最後のボーナスを揃える時……1枚掛けで空回しをしていた時じゃな、その時に何故ハムルを挑発するような事を言ったのじゃ? もしあのまま何も言わずに黙って置けばハムルの妙な猜疑心を起こす事もなく、あのボーナスが揃った瞬間に決着となった筈じゃ。それに先程もハムルを相手に啖呵を切ったじゃろう? ただの人間である祐介君が竜人に喧嘩を売るなどとは……もしや自殺願望でもあるのかの……?」

 

 カラクのそれはまるで下等生物を見る眼差しであり、絶対的な力量差と底知れぬ恐ろしさが祐介の身体を硬直させる。祐介は目の前の小柄な老人に明確な恐怖を感じていたのである。

 祐介は固唾を飲み込んで覚悟を決めると「俺は……」と切り出した。

 

「確かにただの人間です、いや、ただの人間より劣っていると言ってもいいでしょう。何せ毎日椅子に座ってパチンコかスロットを打ってるだけですから身体も鈍ってばかりです」

 

 話を続ける祐介の隣にメルとマオが寄り添う、両隣のその存在が祐介にはとても心強く感じていた。

 

「だからハッキリ言って竜人のハムルに敵意を向けられた時、俺は滅茶苦茶怖かった。今だってそうです、俺みたいな只の人間にはこの世界は余りにも残酷だと感じています……」

 

 祐介がこれまで過ごしてきたこの異世界では表立った争いこそ無いものの、ヒューマニーが他の種族と立ち合えばどうなるかは火を見るより明らかである。

 

「ですが……このままじゃ駄目なんだと、俺の事を揶揄したハムルに対してマオが怒ってくれた時に思ったんです! 俺にとってメルもマオも大切な人だ、家族なんだ! 相手がいくら強くたってそれを馬鹿にされた時には俺も怒るべきだと、戦うべきなんだと!」

 

 祐介の脳裏にマオのファイティングポーズが思い浮かんだ、自身の為に怒りを顕にしたそのマオの姿に祐介は感銘を受けたともいえる。マオは祐介の言葉を聞いて思わず「祐介さん……素敵ですぅ……っ!」と感動にうち震えた。

 

「ほほぅ、雄弁じゃなぁ……であれば、それは儂が相手でも同じなのかの?」

 カラクがぐっと祐介に近付いて語気を強める。

 

「儂が貴様らを気に食わぬ、頭を下げよ、身を引け、無様に命乞いをせよ。さすれば貴様ら三人のちっぽけな命だけは助けてやる、と詰め寄っても同じ言葉を吐けるのかの……?」

 

 カラクの手が祐介の首元へと伸びる、そこには最早好々爺としての姿はなく、種族として最強の一角を担う竜人の長としての姿があった。祐介はその迫力にたじろぎそうになりながらも声を絞り出す!

 

「だ、誰が相手でも俺の気持ちは変わらない! カラクさんが二人を脅かすというのなら、俺は断固として戦う!」

「………………ふむ、それは残念じゃな……っ! どれ……」

 

 カラクの瞳からふっと光が消え、祐介の首元へと伸ばされた手の筋繊維がメリメリメリと音をたてながら凝縮されていき一塊の鋼鉄の様な竜人の手へと変化した。祐介は迫るその光景に思わず「ひっ……っ!」と小さく悲鳴をあげる。

 目の前の竜人の手が自身の生殺与奪を握っている、祐介はその事実に身震いが止まらなかった。

 

(た、例え話じゃないのかよぉ……!?)

 

 祐介はいきなりの展開に泣きそうであった。

 

「……脆弱な人間よ、今一度問おう。我等が竜人に全てを譲れ、道も、物も……無論、そこな小娘二人もな……」

 

 首元に触れるかどうかのギリギリの距離からでも感じる圧倒的な危機感が祐介を襲う。伝う脂汗を拭う事もせずに祐介は「小娘二人って……メルとマオを渡せと……?」と掠れそうな声で聞いたが、カラクは特に答える事も無い。射抜くような鋭い視線がそれを『そうだ』と傲慢に語っているのだ。

 祐介は拳をぐっと握ると恐怖を打ち破るかのように叫んだ!

 

「だ、誰が渡すかぁ! メルもマオも俺の大事な家族だ! あんたが誰であろうと絶対にここは譲らねぇぞ!」

「……よく考えるがよい、今そのようなちっぽけな意地を張れば死ぬぞ?」

 

 既にカラクの肉体は小柄な老人ではない。祐介へと伸ばされた腕から足の先まで全てが異形の化け物となっている。その手が触れるや否やという状況でありながら祐介は尚も叫んだ。

 

「ちっぽけと言われるような意地でも今それを張らなくていつ張るんだ! や、やんのかこらぁーっ!」

「意地を張って首を折られるか……それで本当によいのじゃな……?」

「首を折られようと俺の心は曲げさせねぇ! 首を折るなら折りやがれ畜生ぉーーっ!!」

 

 最早破れかぶれな返答の祐介の首をカラクは大きく変化した指で覆うように囲っていた、いつでも首をへし折れるように、逃げ出せないように。その様子を伺う周りの反応は様々で、ハムルは早くその首をへし折れと言わんばかりの態度を見せているが、レイゼはハラハラとした顔付きで見守っていた。そうして皆がカラクの一挙手一投足を注視している中で、ある二人だけは全く別の人物を伺っていた。メルとマオである。

 メルはカラクの態度に苦々しいものを感じながらも手を出さずに見ていた。だがしかし、それはあくまでカラクが祐介に危害を加えなかった場合である。もしカラクの指が祐介に触れようものならばメルは容赦なくカラクを殺す気でいた。メルが何も言わずにただその場に立っているのはカラクが触れた後からでもそうして祐介を助ける絶対の自信の現れでもあった。それは隣に立っているマオも同様である。

 二人はカラクを通じてお互いの力量を確かめ合うように様子を伺っていたのである、カラクのその手が祐介に伸びる度に『私ならばここからでも祐介を守りきれる、だがお前はどうだ?』とお互いを計っているのだ。その異様な雰囲気はカラクもその身に感じていた。

 

(……これでも手を出さぬというのか……儂を相手にこれ程の余裕があるとは……正に化け物、じゃな……底知れぬ、恐ろしい奴らよ)

 

 カラクは自身が試金石代わりにされているのを把握していた、だからこそ祐介には決して指を触れぬようにしていたのだ。もし殺意のままに祐介に触れようものなら二人の化け物が容赦なく自身に襲い掛かるのを悟っていたのである。

 

「……ふぇっふぇっふぇっ、祐介君よ……」

「な、何ですかぁ!?」

 

 祐介は首元に巻かれた指から逃れる様に精一杯首を伸ばして答えた。

 

「……君の覚悟は確かに見届けさせてもろうたぞ!」

 

 カラクはその姿をスッと老人へと戻した。

 

「君の言う通りじゃ! そうじゃ、君は意地を張らねばならん。よいか、自分を安く見せるなどあってはならん! 例えそれで死のうとも意地を貫き通し、男を張るのじゃ……そうする理由が君の右手に嵌められておる! そうじゃろう……?」

 

 祐介の右手に嵌められた指輪が街灯に照らされてキラリと光る。言わずもがな、メルとマオとの結魂の証である、それを見た祐介はカラクの言いたい事がなんとなくわかる気がした。

 

(俺が安い態度になればそれは俺の結魂した二人を安く見せるのと同様だ。だから俺は例え相手が誰であろうが張り合っていかなきゃならないんだ! それはわかるけど、なぜ俺にそんなことを言うんだろう。カラクさんなりの発破のつもりなのだろうか……)

 

「カラクさんの言いたい事は分かりますけど……」

 

 祐介は自身の首の安寧を確かめるように撫でて言った。ここまで追い込まなくともよくないか? と言わずとも恨みがましい眼差しがそう語っていた。

 

「ふぇっふぇっふぇっ、まぁよいではないか。ちとした冗談じゃて……うむうむ、これでもう儂から言う事はもう無いのぅ……祐介君よ、その覚悟と心意気を忘れぬようにな……」

 

 カラクが言いながらバシバシと背中を叩くので、祐介は肩を竦めて痛がった。その横からレイゼがおずおずと「あ、あの……という事は……?」と入り込んできた。

 

「うむ……いや、そもそも里でも言うた通りに儂は反対しとらんよ。レイゼの決めた事じゃ、好きにするとえぇ……」

 

 ニコニコと答えるカラクの姿は先程の化け物と似ても似つかぬ好好爺である。

 

「え? ですけどハムル達はお祖父様に祐介の姿を確認してこい、更に消せと言われたと……?」

「言うとらん言うとらん。儂はレイゼの選んだ男がそんなに気になるなら見に行けばよいと言うたんじゃ。そんな消せだの殺せだの物騒な事を儂が言うわけがなかろう」

「は……はぁっ!?」

 

 レイゼがバッとハムルを睨み付けると、当の本人はバツが悪そうにプイッとそっぽを向いた。隣のルーナは「だから私はハムル様におよしなさいと申したのですけどね」とあくまで自分は関係ないという態度である。その二人の態度に目くじらをたてたレイゼが怒りのままにズカズカと二人の元へと歩いて行く。

 

「おい、おい! お前ら嘘ばっかりじゃないか! 何が長の命だ、七聖姫の務めだ、ふざけるなよ!」

「お、俺は……長の言葉をそう解釈しただけだ! 嘘など言ってはいない! そうだろ? ほら、ルーナもレイゼになんとか言ってやれ!

「…………なーんーとーかっ!」

 

 ペロリと舌を出して惚けた顔でルーナは言った。

 

「ハハハハハッ! これはルーナに一本取られたな。流石はルーナ、機知に富んだ素晴らしい奴よっ! ハハハハハ……ハハ……駄目かな? ハハハ……」

 

 ハムルの乾いた笑いが鳴り響く中で、レイゼは最早我慢の限界と腕を振り上げた!

 

「………………ぶっ殺す!」

 

 そのまま三人がドタバタと乱闘騒ぎをするのを傍目に祐介は安堵を覚えていた。決闘の儀は終わり、ハムル達を容易く抑える温厚そうなカラクの登場によりとにかくどうやら危機は去ったのである。

 

「あーあ、喰いそびれたナぁ……」

 

 祐介の後ろでマオがボソリと呟いたので、くるりと振り返り「何を食いそびれたんだ?」と声を掛ける。

 

「えっ!? あ、何でも、何でもないですぅ! えへへ……」

「ぐしし……なぁ祐介、マオが何を喰おうとしてたのか教えてやろーか?」

 

 メルがマオの肩に手を置いてニヤニヤと笑う。

 

「ななな、何ですか! 止めてくださいよメルさんには関係ないでしょ!」

「あるある、関係あるっつーの! 祐介ちゃんよ、この貧乳がまーた豊乳でありお姉さまであるこのメルちゃんに挑戦しようとした訳よ、なぁ分かるか!?」

「だっかっら、貧乳じゃないですぅ! 無しよりの有りですから、触ればわかるんですぅ! ねぇ祐介さん、触って確かめてくださいよぉ!」

「はいメルちゃんの勝ちぃー! だってメルちゃんのおっぱいは有りよりの有りでもりもりなのだぁー! ほれほれ、祐介ちゃんも触って確かめてみ? この膨らみ……わかるじゃろ?」

「あーもー! またそうやって僕の邪魔をするぅ! いい加減にしないと僕も怒りますよ!?」

「ひ、ひぇー……祐介ぇ、ペタペタマオ……略してペオが怒ってくるよぉ! 助けてぇー! ペオが怒ってるよぉー!!」

「略すなぁ! いや、そもそもペタペタ言うなぁ! このっこのぉっ! 祐介さんから離れろアホぉーっ!」

「ペタペタのペオがぁー! ぺったんこのペオが襲ってくるよぉー! 祐介ちゃん助けてぇっ!」

「おま、ちょ、そのペオ呼び止めろぉ! マジでムカつくですぅ! このっえーと……ア、アバオクメルッ!」

「ア、アバオクメルゥ!? てめっアバ……アバオクってなんだよぅ……? 祐介、アバオクって何かわかるか?」

 

 祐介とメルは首を傾げて考え込んだ。

 

「つい最近に聞いたような語感なんだよな……アバオク、アバオク……?」

「おっ? おぉーっ!? ぐしし……メルちゃんわかっちゃったもんね!」

 

 メルが両手を上げ、軽く飛びながら子供の様に喜んだ。

 

「アバオク……これはさっき斎藤が言ってた悪口だな!? つまりアホメル、バカメル、オタンコメル、そしてクズメル! 全部合わせてアバオクメルッ! って誰がアバオクだこのクソガキィーーーーッッッ!! てめぇ、今日という今日はその憎たらしい顔をパンッパンッにしてやらぁーーっ!!」

「こっちこそその醜く腫れ上がった乳ごとベッコベコにやってやりますよぉ! 僕のドッ根性を見せてやりますぅ! おらーしゃっこぉいっ!!」

 

 そうして此方では祐介を挟んでの言い合いが始まってしまい、またもや収集が着かなくなってしまう……と思われたその時、カラクがパンッと手を一拍して視線を集めた。

 

「ふぇっふぇっ、まぁ皆も落ち着けぃ!」

 

 その一言でハムル達は元よりメル達も動きを止めてカラクを見た、但しメルとマオの二人だけは「お? おん?」と睨み合って小競り合いを続けてはいたのだが。

 

「一先ずこれで決着じゃろ? もう夜も更けてきておるし、これからの事もある。一度落ちつこうではないか……」

 

 これだよ、これ。こうやって場をおさめてくれる人が居てくれるだけでどれだけ心強いか、祐介はその安心感に思わずうんうんと頷いた。

 

「これからは無駄な争いなど止めて手を取り合わねばならぬ、ハムルも横恋慕などしとらずに己の見聞を広めよ」

「し、しかし……」

 

 ハムルの思わず出てしまったその言葉に、カラクは「しかし……?」と低い声を出した。怒りを孕んだ声である。

 

「……里の長である儂に『しかし』等と口答えするとは……小僧がぁっ!!」

 

 カラクが怒りのままに一歩を踏み出すとその姿は完全な竜へと変化した!

 

(しかしって口答えに入るの!!?)

 

 いきなりの激昂に祐介は困惑気味である。

 

「グゴァァァーーーッッ!!!」

「うおぉぉぉーーーーーっっ!!?」

 

 天に向けたカラクの咆哮は凄まじい衝撃波を帯びて辺り一帯を痺れさせた。

 

「え、か、身体が痺れて動けないんだけど!? どうなってんのこれ!?」

「お祖父様の拘束の息だ! ちょ、ちょっと待ってろ! 私も早くこの拘束を解いて祐介を助けてやるからな!!」

 

 身構えたまま痺れて動けない祐介を助けようとレイゼも足掻くが中々痺れが取れない。一方でカラクは素早くハムルの元へと飛び込むと身体にグッと力を込めた!

「地の果てで反省するがいい……ハァッ!!」

「グ……グァ──」

 

 ハムルが呻き声をあげた次の瞬間にはその姿は遥か地平の彼方まで蹴り飛ばされた。するとその隣で拘束を解き放ったルーナがカラクへと襲い掛かった!

 

「ハムル様!? くっ、如何に里の長とはいえハムル様を蹴り飛ばすとは許せません! お覚悟をっ!!」

「なんじゃ、この程度の拘束でヘロヘロになるとは……おぬしらもまだまだよの……っ!」

 

 拘束を解いたばかりだからか、精細を欠いたルーナの動きをカラクはいとも簡単に受け止めていく。そして腕を振るって容易くルーナを弾き飛ばし、老人の姿に戻るとゆっくりと近付いていく。

 

「ぐ……まだまだぁ!」

「止せ止せ……儂はおぬしらを助けてやったんじゃぞ? それがわからんかの?」

「世迷い言を抜かすなぁ! 何から助けたと言うつもりだ!!」

 

 自身を奮い立たせて激昂するルーナにカラクは「儂の後ろを見てみよ」と言った。ルーナが視線を向けるとそこには未だに拘束から解かれていないレイゼの姿があった。

 

「レイゼ様がどうしたというのだ!?」

「ふぇっふぇっふぇっ、そっちじゃないわい。よく見てみぃ」

 

 レイゼは怒りを隠そうともせずにもう一度祐介達に視線を向けた。

 

「ぐおぉぉぉ……うご、うごけねぇ!」

「ぐしし……おいマオ! 祐介が痺れて動けなくなってるぞ! よーし、待ってろよぉ、祐介ちゃんが動けるようにこのメルちゃんがボタンを連打してやるからなぁっと!!」

 

 メルは祐介の正面に立つと徐に指を祐介の乳首辺りに定めると「おらららららぁっ!」と連打し始めた。

 

「あだだだだ!? てめ、メルゥ! 俺の乳首を連打すんなアホ!」

「あ、メルさんずるーい! 僕もぉ、僕もそのボタンを押したいですぅ! お願いですぅ、片方譲ってくださぁーい!」

「ぐしし……ならマオは右乳首な? そしてメルちゃんは左の乳首に狙いを定めてぇ……っ!」

「えへへ……祐介さぁん、いきますよぉ……?」

「止めろぉ! くそ、動けねぇ!」

 

 祐介は痺れた身体で抵抗する事も出来ずにズドドドドドッ! と凄まじい早さで打たれる乳首に悶絶していた。

 

「あだだだ、あだだだだだ!!?」

「おぉー? そろそろ固くなってきたかなぁ……? おーい、マオ、そっちはどうだ?」

「まだまだですぅ! でも僕は最高のボタンに巡り会えましたぁ、一生こうしていたいですねぇ……」

 

 マオはうっとりとした表情を浮かべながらも指で祐介の乳首を連打するのを止めなかった。

 

「あ、ちょ……た、助けてくれレイゼ!」

「あぁ、分かってる! 私が直ぐに助けてやるからな……はぁぁぁ……せいっ!!」

 

 レイゼは気合いで拘束を解き放つと直ぐにメルとマオに向かっていく!

 

「このアホ共っ! さっさと祐介から離れろぉ!」

「うわぁ! メルさん、逃げましょ!!」

「やっべ、総員撤退、てったーい!!」

 

 プリプリと怒るレイゼが大袈裟に手を振って二人を追い払うと、祐介の肩を優しく抱いて「大丈夫か?」と声を掛けた。そしてそのまま包むように祐介を抱いてゆっくりと深呼吸をした。

 

「……まだ痺れてるんだろ? ちょっと待ってろよ、直ぐに動けるようにしてやるからな」

 

 レイゼがぴとりと祐介に身体を密着させると、じわりとレイゼの熱が祐介に移っていく。するとそれが次第に広がっていき、じわじわと祐介の身体の痺れを融かしていった。

 

「おっ、動ける、動けるぞ! レイゼありがとう、助かったよ」

 

 祐介がお礼を言うとレイゼは照れくさそうに「ま、これぐらいはな……」と微笑んだ。そして影からメル達が不満気な顔でやってくる。

 

「えー、メルちゃん達のボタン連打が効いたんだと思うんですけどー!?」

「そうだそうだー! 僕達にもお礼を要求するー!」

「あといつまでそうやって抱き着いてるんですかー!? 祐介ちゃんはメルちゃんの物なんですけどー!?」

「そう……じゃないです! どちらかというと僕の物ですぅー!」

「あ? こらクソガキ、まーたあれか。この祐介ちゃんのファーストレディであるメルちゃんと張り合うってのか!?」

「いつでもやってやりますよぉ!? ついでに姉妹間で下克上もしてやりますぅ!」

「あー、もう喧嘩するなよ! あと俺は誰の物でもない!」

 

 やいのやいのと始まる喧騒をルーナは見届けると、カラクに向かって聞いた。

 

「あの連中がどうかしたのですか? 私にはただの騒がしい連中としか思えませんが……」

 

 カラクは「はぁ……おぬしもまだまだ若いのぅ……」と大きく溜め息を吐くと続ける。

 

「じゃが儂も有望な竜人達を失いたくはないのでな、仕方なく此度は割って入ったという訳じゃ。単刀直入に言うぞ、おぬしらがあの時にそのまま突っ込んでおれば惨殺されておった。いや、あの時の二人の様子じゃともっと惨たらしく殺されていたかもしれん……」

「な、あのまま戦っていれば私達が負けていたの言うのですか!? 此方は戦闘に特化した血筋の竜人、しかも二人掛かりなんですよ!?」

「そうじゃな、少なくとも儂の拘束に一瞬でも足を止められるようではあの二人に一矢を報いる事すら叶わんじゃろう……」

 

 その含みを持たせた言葉にルーナは目を見開いた。確かに後ろの二人が拘束された様子もそれを断ち切った様子も見られなかった、カラクの拘束の息が全力では無かったとはいえ、全く影響を受けないとは……ルーナは今更ながらメルとマオに驚異を抱きはじめていた。

 

「ふむ、気付いたか……ではハムルの元へと行けぃ。二人で世界を周り見聞を広め、世の広さを知るがいい」

「…………畏まりました。カラク様、数々の無礼をお許しください……」

「よいよい、それでもしハムルが色々と反抗しそうなら暫く里への出入りは禁止すると伝えよ。あとは路銀も里から持ち出すことは禁ずる。出来る事をして生きてみるがよい、全ては経験を生む。そして経験が道を作るじゃろう……」

 

 ルーナは深く頭を下げるとハムルが吹き飛ばされた方向へと走っていった。それを見届けるとカラクはくるりと振り返る。

 

「ひぃ! カラクさんがこっち来たぞ!」

「うっ……祐介、お前もさっきのお祖父様を見たから分かっているだろうけど、温厚そうに見えてあの人程に竜人然とした人は居ないからな。絶対に怒らせるなよ……! メルとマオもだぞ!!? おい、聞いているのか二人とも!!」

 

 必死に言い聞かせるレイゼにメルとマオは「うーい」「へーい」とおざなりな返事をするので、祐介も「マジで頼むぞ!」と再三に言い聞かせた。そうこうしている内にカラクが四人の前まで辿り着いてしまう。

 

「ふぇっふぇっ、あの二人も決して悪い人物では無いのでな……余り悪く思わんでくれ……さて、儂の用事じゃが……そこなメルちゃんや、ちぃと儂に付き合ってくれんかの?」

「あ? あんだぁてめーこのメルちゃんに対して何を抜かしてんだコラ、調子に乗ってるとてめーもぶちころ──」

「わあああぁぁぁぁぁぁあぁぁーーーーーーーーーーっっっ!!!」

 

 祐介は慌ててメルの顔を身体で覆って口を止めた!

 

「どわぁっ! 何だよ、何するんだよぉ!」

「おま、俺達の話をちゃんと聞いてたのか!? そして口答えをしたハムルがどうなったのかちゃんと見てたか!? ハムルはしかしって言っただけで蹴飛ばされたんだぞ!? どれだけ言う気なんだよ、もうメルのバカ、バカバカッ!!」

「うるせー! メルちゃんは誰が相手でも態度を変えないのを美徳としてんだよ! んもー、暑苦しいから退けよぉー!」

「そんな美徳は捨てちまえ! あとお前はまだいらん事を言いそうだから絶対に退かねーぞ!」

「……メルちゃんや」

 

 今はカラクの妙に落ち着いた声が逆に恐ろしい、祐介は慌てて頭を下げた!

 

「ひぃぃっ! すみません! すみません! あの、こいつちょっとバカで、礼儀とかわからないっていうか、きっと悪気は無いんです! でも悪気っていう意味も恐らく分かってないぐらい頭がヤバいんです! だから勘弁してください、お願いします!」

 

 祐介自身も何を言っているのか分からない程に混乱してしまったが、とにかくカラクを刺激しないように何度も頭を下げた。最早いつ蹴飛ばされてもおかしくないように思えてしまい、その胸中は穏やかではない。

 

「頭がヤバいって何だよ!! 言い過ぎだろ! おい、祐介、もー……退けよ! 何も見えねーだろ!」

「メルはもう見るな、一言も喋るな! おい、暴れるなよ!」

「ふわぁ……僕もああやって祐介さんに抱かれてみたぁい!」

「私は逆に抱きたい……かな……」

「ふぇっふぇっ、そう謝らんでも儂は気にしとらんよ。そこのメルちゃんとは昔、ちぃと一悶着あった間柄でのぅ。そこで今日は昔のよしみでメルちゃんに忠告をしにきたという訳じゃ、じゃからとりあえず少しだけでも付き合うてくれんかの?」

 

 一悶着って、何があったのかを聞くのが怖いな……と祐介が固まっていると、突如脇腹がこちょこちょと擽られた!

 

「わははははは……っ! メ、メル……止せよ、擽ったいって!」

 

 祐介がその凄まじい擽りに堪らず身体を避けると、メルが不満そうな顔を覗かせた。

 

「あーもう、しゃーねーなぁ。おいマオ! ちゃんと時間を計っとけよ!」

「やっぱりそうなりますかねぇ、分かりましたぁ! 僕がきちんと計っておきますぅ!」

 

 メルはずんずん肩で風を切って路地裏に歩を進めていくとカラクもその後ろをついて行く。やがてその姿を完全に闇の中へと消えると、祐介はマオに声を掛ける。

 

「あの、メルが言っていた時間って何を計るの?」

 

 もしかするとこうしてメルが姿を消している時間だろうか、祐介はマオの返事を待つがマオは「直ぐに分かりますよぉ?」と言葉を濁すばかりであった。

 祐介はここで漸く一息つく事が出来た。敵対心剥き出しのハムル達は消えてカラクも離れていった。残されたのは祐介達三人と事の動向を見守っていた観客達だけである。少しの静寂を待って、スッとレイゼが祐介の前に立った。

 レイゼと祐介、お互いに言葉は無い。しかしレイゼは心なしか緊張している様子であった、紅蓮を思わせる綺麗な髪に負けじと紅く染まった頬が祐介の視線を捉えて離さない。祐介はレイゼの頬を軽く指の腹で触れてみる、キメ細やかな肌を指で滑らせてもレイゼに反応は無い。ただ口を紡ぐ彼女の仕草は、俺の言葉を待っているのか。祐介はレイゼに向き直った。

 

「……レイゼ、生憎とヒーローみたいに格好良くとはいかなかったが……約束通り、俺は勝ったよ」

 

 レイゼは目を見開いて祐介をゆっくりと見上げた。二人の背丈は大人と子供ぐらいの差があるのでどうしてもレイゼが見上げる形にはなるのだが、今はそれに加えて怯えているように顔を若干俯けているので、上目遣い越しにしかレイゼの表情は伺えない。しかし時折漏れるレイゼの息遣いから彼女が興奮しているというのはひしひしと感じていた。

 

「レイゼ? どうかした?」

「……なぁ、私は正直な所……祐介は勝てないと思ってた。だってそうだろ、私はハムルの事をよく知ってるからさ。ましてやスロットなんて運が物を言う勝負だ、だから只の人間である祐介が絶対に勝てる訳がない!」

 

 レイゼの言葉は尤もである。祐介自身も勝負のネタが割れてしまった今はもう勝つ道筋を思い付けない、二度目の奇跡は望めないだろう。

 

「でも、祐介は約束を守ってくれた。私が信じきれなかった約束を守って……くれたんだ……っ!」

 

 レイゼの興奮は次第に激しくなっていく、気付けば祐介の逃げ場を塞ぐようにレイゼの尻尾がぐるりと腰に巻き付いている。

 

(なんか逃げられなくなってるんだけど?)

 

「……あんな所を見せられたらもう、無理……だよ」

 

 はぁ……はぁ……と吐息も荒くなってきたレイゼとは対称的に祐介は冷や汗を流して冷静になっていく。圧倒的強者である竜人を相手に今の状況はいわば肉食獣の補食現場であろうか、言わずもがな祐介が餌である。

 

「な、何が無理なんだ……?」

 

 祐介は恐る恐る聞いてみる、出来れば痛くない方向に向かって欲しいのである。

 

「──もう我慢できないんだ……っ!」

 

 レイゼはゆっくりと顔を上げた。彼女の紅蓮の髪の奥に見え隠れする紅玉の瞳が爛々と輝いている。荒い吐息を収めるでもなく、レイゼは祐介の首元に手を回してぐいっと引き寄せた!

 

「なぁ、いいだろ? なぁ、私が全部お世話するからさぁ、なぁ、なぁ……っ!? 私にも出してくれよ、なぁ、お願いだよ……っ!」

 

 レイゼの手が祐介の顔を掴んで引き寄せてそのまま愛おしそうに撫で繰り回す。祐介の頬を、額を、瞼を、唇を、耳を、頭も髪も……全てをレイゼはその小さい手で存在を確かめるように撫でている。しかし祐介には何を出せばいいのか皆目検討もつかない、仕方がないので手探りで財布から金を出そうとした。祐介はカツアゲの可能性に賭けたのだ。

 

「あー、その、あれか……手持ちだと5万ぐらいしか持ってないけど、これでいいのなら……出すよ?」

「何でだよ! 違うだろ、指だよ、指を出してくれよ……なぁ、私の事は嫌いか? 祐介を最後まで信じることが出来なかったから嫌いになっちゃったのか……?」

「そんなことは断じてない! でも指を出せって……どうしてそんなことを?」

 

 祐介は言われるがままに両手をだらんと差し出すとレイゼは祐介の左小指に自身の小指を絡めさせた。そして空いた腕を祐介の首に巻き付けて引き寄せ、首をくいっと上げさせた。その力業により祐介は膝立ちになり普段とは逆にレイゼを見上げる形になった。

 

「……ここまでやれば今から私と祐介が何をするのか……分かるよな?」

 レイゼの顔が更に近付いた。お互いの吐息がぶつかり合う程の至近距離で鼻先同士がコツンとぶつかる。

 

「あの日、あの夜、あの瞬間から私は……祐介の世話をしたい、役に立ちたい、求められたい……そんな想いばかりが重なって、今にも溢れそうなんだ……祐介……私と結魂してくれ! 必ず祐介を幸せにするから、なぁ……いいだろ……なぁ!?」

 

 結魂!? レイゼは結魂するつもりなのか!? 祐介は突然の出来事に困惑するが身体はレイゼの尻尾に抑えられ、顔もガッチリと捕まっているので動けない。

 

「え、ちょ──」

 

 言葉を返そうとする祐介の口をレイゼは手で塞いだ。

 

「祐介は喋らなくていいんだ。お前の返事は指輪が教えてくれる……きっとな……だからっ!」

 

 レイゼはそこで素早く祐介の口を自身の口で塞いだ!

 

「んんんんんーーーーーっっ!!?」

 

(これってもしかしてまた借金増えるやつーーーーっ!!?)

 

 祐介は身を捩る事すら出来ずにレイゼのキスを受け入れた、いや、受け入れさせられた。メルやマオとも違う、真っ直ぐで情熱的なキス。繋がれた小指と繋がった唇が熱く脈動する。そして祐介は密着しているお互いの身体の境界線が曖昧に成る程に強く抱き締められている、いや、気付けば祐介自身も空いた手でレイゼを優しく抱いていた。

 その手がレイゼの背をそっと撫でた時、レイゼは少し驚いたように目を見開いたが、やがて優しい目付きに戻るとゆっくりと祐介の頭を撫でた。親が子をあやす様に、愛しさと、慈しみを含んだ優しい抱擁が祐介を包む。身体も、心も、レイゼは祐介を優しく深く包み込んでいくのだ。それは誇り高き赤竜が心を許した一人だけに与える寵愛の抱擁であった。

 

 ──そして二つの魂が、融け合いながら混ざりあっていく……その欠片をお互いの小指に残して。

 

「…………っ!」

 

 暫くして二人の顔は離れるが、お互いの唇の端をぬらりと光る糸が繋げていたのでレイゼはそれを指で優しく拭って言った。

 

「祐介、見えるか? これが私と祐介の結魂指輪だ。この世に一つしか無い、大事な指輪だぞ?」

「あ、あぁ……見えるよ。真っ赤な情熱的な赤色をしている。俺達を結ぶ大事な指輪だな」

「うんうん、その通りだ! 今日からは私が祐介を世話してやるからな、全部私に任せてくれればいいんだ。祐介は何も心配する必要は無いぞ、祐介の心配事は私が全部処理してやるからな!」

 

 そう言って胸を叩いてやる気を漲らせるレイゼに祐介はおずおずと申し出た。

 

「レイゼと結魂したのは素直に嬉しい、これからも宜しく。それで、だな……」

「どうした? 何でも言ってみろ、私に出来ることならなんでもしてやるぞ!」

「あーその、レイゼの借金はいくらあるんだ?」

「は? 借金?」

 

 レイゼがその唐突な言葉に動きが止まったのでマオが慌てて「ちょっと、祐介さん……!」と割ってはいろうとするが、レイゼがマオの動きを手で止めた。

 

「おい、マオはちょっと動くな! ……それで祐介、借金ってなんだ? どういう事なんだ!?」

「え、借金があるんじゃないのか? メルもマオも借金を抱えてて、二人と結魂してからはそれを返す為に一生懸命パチンコを打ってるんだけど……」

「わぁーっ! 祐介さん、それはぶっちゃけすぎですぅ!」

「はあぁぁぁっ!!? あのアホメル、つーかてめーもか、マオッ!! 私に借金なんてねーよ! これでも竜人の里長の孫だぞ? それで!? メル達はいくらの借金があるんだ!?」

「えーと、マオが200万円でメルが1000万円だな」

「あ、あのアバオクメルゥゥゥゥゥーーーーッッッ!!」

 

 レイゼの咆哮が夜空を駆ける、その声は路地裏に移動したメルの耳にも届いているだろう。祐介はレイゼの怒りを前にしながら改めて思った、やはり借金を被せるなどとは常套な手段ではないのである。

 

「……いや、当たり前か」

 

 祐介の言葉も闇夜に浮かんでは……紛れて消えた。

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