第20話 回せ! 賭けろフォーチュンリール!

 盤面枠内に納められた三つのリールに様々な図柄が描かれており、それが凄まじいスピードで回っている。リールの下にはそれぞれに対応したボタンが付けられており、押されるのを今か今かと待ち望んでいるように思える。

 祐介は回るリールを前にして自身の記憶とリール配列をじっくりと確認していた。そして確認が終わると祐介は人知れず小さく頷く、ハムルとの決闘に選んだこの機種クレイジーコンドルは日本で作られたクランキーコンドルの摸倣で間違いないだろう。先程まで打っていたトリプルクラウンの摸倣である三冠王とは違い、リール配列も全く同じである。祐介が隣を見てみるとハムルが回りっぱなしのリールを尻目に此方の動作をじっと待っているようであった。どうやらスロットが初めてというのは嘘では無いらしい、それならばと祐介は徐にクレイジーコンドルのストップボタンを押した。

 

「……祐介さんが中のリールから止めましたよ? 三冠王を打っている時にスロットはどんな機種でも左から押すのが定石だって仰っていたのに……」

「んむ……お、あの竜人も中から押し始めたな。祐介の真似でもしてんのか……?」

 

 メルの言う通りにハムルは祐介の真似をして中リールのボタンから押し始めた、ポチっとストップボタンを押せばそれに対応したリールがガクンと止まる。ハムルにとってそれは初めての経験であった、とはいえそれに特別深く感慨を覚える事は無いのではあるが。祐介はその後も極めて普通を装って他のボタンを押していく。端から見れば只ボタンを押すというこの行為がハムルにとっては毒だと気付かせぬように慎重に、しかし確実に事を進めているのである。

 

「さぁ、先ずはお互いに千円目のメダルが消えようとしています! いや、若干ハムルの方が先にメダルが尽きかけているのか!?」

 

 祐介はスロットを何度も打つ度に最初に止めるリールを中、または右と何度も変えていた。ハムルもそれに続いて中から止めてみたりしたものの、その差は顕著に現れており先に最初の50枚が尽きたのはハムルであった。

 

「あっ、アホ竜人のメダルが尽きましたぁ! えーと、50枚が無くなって、また50枚を借りてるから……」

「それに比べて祐介はまだメダルに余裕があるな、なんか仕掛けているのか? マオはどう思う?」

「そうですねぇ、祐介さんに比べてあの竜人は小役が余り揃っていない感じがしますね。あ、ほらまた祐介さんがスイカを揃えましたよ!」

 

 クレイジーコンドルはスイカが揃うと15枚、ベルが10枚と通常時の小役としては多い枚数が貰えるのであるが、この二人に明確な差が現れた理由は目押しの有無であった。

 祐介はハムルが自身の動きを真似をすると読んで端から見れば中から押したり右から押したり出鱈目な押し方に見える様に打っていた。しかし実際は自身だけ確りと小役を狙っていたのである。スロットは変則的な打ち方をした場合は小役を狙わないと外れてしまう機種が多い、それはこのクレイジーコンドルにも言える事であった。二人のメダルの差はここからきているのである。

 それから暫くすると観衆が見守るなかで、祐介の動きがピタッと止まる。

 

「……ハムル、お先に失礼するぜ!」

 

 祐介がサッと7図柄を一直線に揃えると台から軽快な音楽が流れてボーナス到来を祝福した。投資はハムルが3千円に達しているのに対して祐介は千円目である。

「……なぁマオ、祐介がビッグボーナスを揃えたんだけどさ、あの台って三冠王みたいにランプが光ってないよな?」

「というかあの台にはランプ自体ありませんよね? どうして当たったのかわかるんでしょうか?」

「当たったら……その時、電流が走る! こう、レバーから電気がビリビリビリーッて流れてきて電流で当たりを知らせてくれる……とか?」

「……メルさんはそんな危険な台を打ちたいですかぁ?」

「やっぱ駄目か……それならあれだ! 当たった時には何処からともなく脳内に直接当たりを知らせてくれる! レバーを叩くと……当たってますよぉーってな!」

「こわっ! 嫌ですよそんな台は! もう、馬鹿な事ばかり言ってないで祐介さんを応援しましょうよぉ!」

 

 メルが「へへ……分かってるって!」と悪戯な顔を浮かべたのでマオに嫌な予感が過った。

 

「はぁ、メルさんってば、まーた何か変な事を考えてません?」

「ぐしし……変な事じゃねーよ! 上手くいけば今日の負債もチャラに出来るっていう素敵な事だよぉ? あ、もしかしたらマオにも協力して貰うからよ、頼むぜ?」

「……僕は祐介さんに利があれば協力はしますけどぉ、それでもあまりに変な事なら嫌って言いますよ?」

 

 メルは「ぐしし……」と返事もせずにレイゼの元へと歩いていった。

 

「大丈夫かなぁ……?」

 

 マオは心配そうな声を上げつつもその視線はハムルの台を注視していた。現状、ハムルの台はメダルが減っていくだけなので特に問題はないのだが、これが一転して増え始めると少し視線を外すだけでたちまちメダルの総数が分からなくなってしまうだろう。マオは新たに気合いを入れ直してハムルの台へと集中することにした。

 一方でビッグボーナスが揃った祐介の台は台枠のランプがピカピカと光ったりして騒がしい。その中で祐介は一喜一憂しながらボーナスを消化していた、中でもJACゲームへの以降を担うリプレイ図柄が揃った時にはニヤリとほくそ笑み、ボーナスゲーム中にリプレイが中々揃わずにゲーム数が減ってくると露骨に焦りを見せていた。しかしマオは祐介のその様子に違和感を覚えた、それらは三冠王で祐介自身が説明してくれた事とは真逆な反応に見えたからである。

 

「……とりあえずJACは三回取れたか……ギリギリだったな……」

 

 祐介はボーナスを消化し終えて一息吐いた。しかし隣で投資が進んでいるハムルには慌てた様子も無い、ただ祐介のプレイする様子を伺いながら打っているだけであり、それは初めて触るスロットという遊戯を学習しているようであった。

 

「さぁビッグを引いた祐介が一歩リードかぁ!? あっ!? え、な、なんだよ!?」

 

 そこでいきなり周りの観客を煽るように意気揚々とマイクでパフォーマンスをしていた斎藤が誰かに弾き飛ばされてマイクを奪われる。新しくマイクを握ったのは──。

 

「ぐしし……ここで実況は代わりましてぇ、お店のアイドルゥゥ……メルちゃんでーすっ!」

「おい、マイクを返してくれよぉ! 久々に握れたのにこんなの酷いぜ!」

 

 メルのマイクを取り返そうと必死な斎藤をしっしっと手で追い払うと、今度はブーイングの嵐がメルを取り囲む。

 

「ふざけんなー! 誰がアイドルだー!」

「メルだと見た目はともかくアイドルって年じゃねーだろ!」

「黙れ有象無象どもっ! あ、あとそこの年が云々って言った奴、後で路地裏に来いよ。メルちゃんがまだピチピチの乙女って事をその身に拳で叩き込んでやるからなぁ!」

「ピチピチって言葉自体がもうピチピチじゃないですぅ……」

「こらぁ聞こえてるぞ! マオも後でお仕置きだからな!」

「ご、ごめんなさぁい!」

 

 メルはマイクで話を続ける。

 

「おい野郎ども、よくお聞きっ! 今日はうちの祐介とそこのクソアホ竜人がスロットで勝負している訳だが……見ているだけで満足か!?」

 

 観衆がメルの言葉にどよめいた、その言葉の真意が見えないからである。

 

「はぁ……お前らなぁ、二人は七聖姫のレイゼちゃんを懸けて勝負をしてるんだぞ!? こんな面白い勝負……アタシ達も賭けなきゃ勿体ねーだろ!! そうだろ!?」

「うおおおぉおぉぉーーーーーっっ!!!」

 

 観客が一斉に拳を上げて沸き立つ。しかしその隅でマイクを取られた斎藤だけは「俺の……マイク……」と肩を落としていた。

 

「へへへ……そうだろ、そうだろぉ!? だけど二人の勝負がいきなりならこの企画もいきなりだからな、今から胴元になって場を作るのも難しい……そこでこれを見ろぉ!」

 

 メルが天に突き立てた拳には1万円札の束が握られていた、その数はおおよそで30枚程である。それを見た祐介は嫌な予感がして鞄の中を手で確認すると、そこに入っている筈の三人共有の財布が無いのに気が付いた。

 

「おいメル! その金ってもしかして俺達の共有している財布から抜いてるんじゃないだろうな!?」

「んもう、こっちはメルちゃんに任せて祐介ちゃんは勝負に集中しなさい! ほらほら、頑張ってね! ね!?」

「え、そのお金って僕達の生活費なんですか!? ちょっとメルさん、こんな事には協力できませんよぉ!」

「お黙りっ! マオはメルちゃんに協力するって言ったばかりでしょ! そしてこの30万を担保にアタシは祐介に賭ける! そこで相手の竜人に賭けるって奴は一口千円で受けてやるぜ! 賭けた額は倍返しだ! さぁさぁ張った張ったぁ!」

 

 決まった、今に観衆が金を持ってどっと押し寄せるに違いない。メルはそう信じて疑わなかったが、現実には目を逸らして冷えきった観衆の姿があった。

 

「あん? こうして金はあるんだ、300口までは受けてやれるんだぜ? なんで誰も来ないんだよ!」

 

 どよめきが拡がる中で「だって、なぁ……」「金が集まったら持ち逃げしそう……」「メルの事だ、不利になったらまた何かやるぜ」と不信感増し増しの言葉がひそひそと聞こえてくる。

 

「メルさんの悪評がのさばりすぎでしょ……どれだけ信用されてないんですかぁ……?」

「うるせー! おい、このメルちゃんが嘘を吐くわけねーだろ! お前らも男だったらどーんと来いよ、おらぁ!」

 

 メルがマイクで煽るが不信感は増すばかりでこれはもう賭場が流れるかなと思われたその時、店長がその巨体でぬっと手を上げた。

 

「お、店長……賭けるのかい? ぐしし……いいぜ、メルちゃんがどんと受けてやるからよぉ! それで、店長は何口買うんだ?」

「そうだなぁ、その前に一ついいか? 俺は相手の竜人を50口までなら買ってもいい、だけど折角この店に七聖姫のレイゼ様が来てくださってるんだ。叶うなら写真を一枚撮りたい、メルはレイゼ様と知り合いなんだろ? だったらお前からも頼んでくれねーか?」

「……ん、いいでしょう!! メルちゃんに任せなさい!」

「メル、ちょっとこっちに来い……」

 

 その勝手な返事にレイゼは思わずメルを呼び寄せたが、その眉間には深い皺が刻まれていてレイゼの怒りの程が伺える。

 

「あのなメル──」

「へへぇーーっ!! お怒りは、レイゼちゃんのお怒りはごもっともでございますぅ!」

 

 メルはレイゼの元へと駆け寄ると直ぐ様に平身低頭して許しを請う。

 

「ですが、これも祐介の為ならばレイゼちゃんには平に御容赦願いたく……っ!」

「私の写真を撮るのが何で祐介の為になるんだよ!」

「ぐしし……レイゼちゃんは祐介が勝つって信じてるんでしょ? あ、勿論メルちゃんも祐介が勝つって信じてるよ。そこでこの賭け事を成立させればレイゼちゃんは大手を振ってここに帰ってこれる! メルちゃん達も大金を手にしてニッコニコって寸法よぉ! それにもしこれが上手く行ったらさ、祐介も喜ぶと思うぜぇ? お金は手に入るし、何て言ったってレイゼちゃんと一緒に暮らせるんだもんなぁ……もしかしたらレイゼちゃんを撫で撫でしたり尻尾をさわさわしたりしてくれるかもなぁ……あ、最後はペロッちゃうかも!」

 

 メルは調子の良い事を口からどんどん出していくので、最初は訝しげだったレイゼも「し、尻尾も……?」と徐々に興味を引かれていった。

 

「わ、わかった。メルに任せる、だけど余り変な事はさせないでくれよ? あと祐介がきちんと、その、撫で撫でとかしてくれるように……頼むぞ」

「あいよぉ、このメルちゃんにまっかせといてぇ! 全員、今の言葉を聞いたか!? 確実に写真を撮りたきゃ50口から! 10口からは竜人が勝てば写真とお金をゲットだぞっ!? さぁさぁ張った張った!!」

 

 七聖姫のレイゼと一緒に写真が撮れる、この言葉が魅力的に見えたのか観衆は財布の中を確認しながらおずおずと手を上げ始める。「お、おれ10口買うぜ!」「俺も10口だ!」「こっちにも10口頼むわ!」と流石に50口も買う猛者は居なかったものの、飛ぶように捌ける賭け札にメルはニンマリとご満悦であった。

 

「おーおー、ノッてきたじゃん? 全部で300口までしか相手に出来ねーから早い者勝ちだぞ!? 他にはいないのかー!?」

 

 メルが賭け金を受け取りながら観衆を煽ると、その中から斎藤がその大きな手を上げて静かに言った。

 

「……その写真ってのはよぅ、マオでもいいのか?」

 

 その言葉の返事を待つように観衆は静まり返る。メルはゆっくりと口を開くと──。

 

「……ん、いいでしょう! マオの写真も許可します!」

「本人の僕が許可を出してないんですけど!? ちょっともー、勝手に決めないでくださいよぉ!」

「うるせー、写真ぐらい撮らせてやれ! あ、勿論このセクシーエルフのメルちゃんを撮りたいって言うんなら撮らせてやるぜ? ええぃ、大サービスだ……祐介も撮らせてやるぜぇーーっ!」

「……あいつ、また勝手に……っ!」

「うおぉおおおぉぉぉーーーーっ!!!」

 

 その瞬間、堰を切ったように歓声が上がって祐介の声が埋もれて消えた。そして次々に「俺はマオちゃんの写真!」「レイゼ様とのツーショット!」「祐介の湯上がりバスロマン写真!」と観衆がメルの元へ押し寄せて賭け札を求めてくる。

 

「ぐしゅ……ぐしゅしゅ……お金が一杯だ、幸せだなぁ! って、おい馬鹿共!!」

 

 残り10口分となった賭け札を握りしめてメルは怒りに肩を震わせていた。

 

「なんでメルちゃんの写真を希望する奴が一人も居ないんだよぉ! レイゼちゃんより少ないのはまだしも、ペッタンコのマオと男の祐介に負けるのは納得がいかねぇぞ!! つーかマオなんかインキュバスって事は男みたいなもんだろ!? だったらメルちゃんに負ける要素が無いだろうが!」

 

 威嚇するかのようにメルは周りを見渡すが、誰もが視線を避けて項垂れていた。無用なトラブルは御免だと言わんばかりの客達の態度がメルを更に苛立たせる。

 

「きっさまらぁ……っ!!」

 

 握り拳を怒りのままに固めるメルを見て「ひっ!」と客達は身体を竦めるが、その群衆の中から一つの手がゆっくりと上がる。

 

「あ、あのっ! 僕……メルさんの写真が欲しいですっ!」

 

 そう声を上げたのは柔らかな毛を身に纏った犬の異種族であった。その声や所作からは若さが伺えて、どこか初々しい。

 

「あらー、こりゃまた可愛いワンちゃんだこと! ぐしし……よっし! このメルちゃんが大サービスでどんなポーズでもしてやろうじゃないか! ほれほれ、どんなポーズがお望みなのかにゃ?」

 

 やっと自身が指名されたからかメルは上機嫌に振る舞う。

 

「あの、できれば戦う構えみたいなのをお願いできますか……?」

「ぐしし……随分とおフェチが過ぎる要求だな、だがまぁいいだろう! このメルちゃんの写真を末代までの家宝とするがよいぞよ!」

「は、はい! 玄関に飾りたいんです! 厄除けになりそうなので!」

「ゴーホームッ! ハウスッ! 何が厄除けだ、とっとと帰れクソ犬っ! しばきまわすぞボケッ!」

 

 上機嫌から一転して怒り狂うメルに犬の青年はキャインッと一鳴きして逃げて行く、その後ろ姿にメルは「けっ! 犬畜生にメルちゃんの写真は千年早いわ!」と捨て台詞を吐いた。

 

「や、厄除け……ぷぷぷ……ま、またまた傑作ですぅ……! 後でうちの玄関にも飾らなきゃ!」

「……マオちゃーん? 何を飾るのかなぁ? あれかな、まーだ懲りてないのかな?」

「うわっ、地獄耳ですぅ! あの、その……許してくださぁい!」

 

 マオの軽口にいつもなら擽りに行く所であったが、マオは祐介に頼まれた通りにハムルのメダルを数えていたのでメルは「ちっ……」と舌打ちをするに留めておいた。しかしそのまま勝負の真っ最中である祐介の隣にそっと近寄ると「ねぇ、祐介ちゃん……」と手を合わせてお願いをし始めた。

 

「な、なんだよ……こっちは今大事な勝負をしているとこなんだけど」

「それは分かってるよぉ、でもこっちも大事な用事でさぁ……残りの10口……買ってくれない?」

「はぁ!? お前……正気かっ!?」

 

 祐介はスロットを打つ手を止めてメルを見た。メルは祐介自身が負ける方に自ら賭けてくれと言い放ったのである、祐介はその言葉の真意が見えずにメルの言葉を待つ。

 

「正気も正気だよぉ! だって誰もメルちゃんの写真を欲しがらないんだもん! だからお願いだよぉ、せめて祐介がメルちゃんの写真を欲しがってくれればアタシも自尊心を保てるんだよぉ! 祐介なら10口買ってくれれば結果に関わらず写真をあげるからさぁ……メルちゃんも頑張ってすっごいポーズをとるからぁ……っ!」

 

 すっごいポーズて……と、祐介は思わず喉を鳴らした。過去のサウナで露見されたメルの裸体が脳裏に浮かんだからである。

 

「あ、その顔はまーたえろすな事を考えてるなぁー? でも、祐介ちゃんならぁ……おっけーだよぉ? ねぇったらぁ……10口買ってぇ、撮影会……しよ?」

 

 耳元で甘く囁くメルを祐介は「ちょ、ちょっと待って」と制した。

 

「か、賭けるにしても俺が賭けた10口分は後で返してくれるんだろうな? まさか俺の小遣いから取ったりしないよな……?」

「……勿論取るけど? 一銭も返す気はないぜ?」

「もう一度言うけど、お前正気か? 何で俺が自分の負ける方へ賭けなきゃならないんだよ! せめて俺が勝つ方に賭けさせろよ!」

「ぐしし……10口で祐介ちゃんの愛して止まない可愛くてきゅーとなメルちゃんを写真に納める事ができるんだぞ? しかも祐介ちゃんの思い描くポーズでだぞ? 10口なんてそれぐらいはいいじゃーん? ねぇ、お願いだよぉ……だ、ん、な、さ、まぁっ!」

 

 ふーっと耳朶に吹き掛けられるメルの息に祐介は身を捩らせて抵抗するが、こうなってはメルの思い通りにいかねば癇癪を起こした様に暴れまわるのも必至だろう。祐介は諦めて溜め息を吐いた。

 

「分かった分かった、10口だけな。ほら、金は払うから賭け札をくれよ」

「毎度ありぃ! さぁさ、賭け札を持ったらそこのアホ竜人にとっとと引導を渡してやれよ! その後は……二人っきりで撮影会だゾ!」

 

 メルが散々勝手な振る舞いをして祐介から離れると、今度はマオとレイゼが祐介の元へとやって来た。

 

「……ふ、二人ともどうしたの? 見ての通り今俺は本当に大事な勝負をしている所なんだけど……?」

 

 ただならぬ雰囲気の二人に念を押すように祐介は言ったが、マオも負けじと「僕達も本当に大事な用事なんです!」と祐介に詰めよった。

 

「あの、僕達の分もメルさんと同じように10口ずつ買ってください! そして僕達とも撮影会をして欲しいんです! だってメルさんだけ二人っきりで撮影会なんてズルいじゃないですか!」

「いやいやちょっと待って! 撮影会はまだしもそれなら10口は買う必要無くない!? しかもそれって俺が負ける方に賭けろって事だろ!?」

「……そうですけど?」

 

 悪びれもせずに言うマオの顔はあどけない。

 

「何でそこだけ頑なに変えてくれないんだ! せめて俺が勝つ方に賭けさせてくれよ!」

「レイゼさん……今の言葉を聞きましたか? 祐介さんはメルさんの我儘は聞けても僕達のお願いは聞いてはくれないんですって……悲しいですよねぇ……うっ……うっ……!」

「メルの我儘はすんなり聞いていたのにな……マオ、今日は一緒の褥で枕を濡らそうか……あぁ、それにしてもメルの我儘はすんなり聞いていたのにな……」

「二回も言うなよ……分かった分かった、10口分ずつ買うよ! 買えばいいんだろ!?」

 

 二人は祐介から1万円ずつ受け取ると何処で用意したのか10口分の賭け札を祐介に渡した。二人は先程の泣き真似から一転して笑顔のままで頭を下げる。

 

「ありがとうございますぅ! えへへ、僕だって撮影会ではメルさんに負けませんよ! 祐介さんが望むのなら……あんなことや、こんなこと……果てには、むふふ……っ! きゃー! 祐介さんのえっち!」

 

 マオは一人で盛り上がると祐介の背中を叩いて離れていった。残された祐介は内心複雑な気持ちである、何せ勝つ気で挑んでいる勝負なのに負ける方に賭けさせられているのだ。それも三万円……これは異世界で言うところのビッグマクド75個分のお金である。それを共用の財布からではなく自身の小遣いからというのは普段から節制を心掛けている祐介には痛い金額であった。

 

「あの、なんか悪いな……私だけでもお金を返そうか……?」

 

 レイゼは一頻りの騒ぎで冷静になったのかおずおずと一万円を返そうと祐介に差し出したが、祐介は首を振ってそれを突っぱねた。それが祐介の不満の現れと見たのかレイゼは悲しそうに目を伏せる。

 

「祐介……ごめんよ……謝るから……ゆ、許してくれないか……?」

「え……あぁ、違うよ。俺はちっとも怒ってないからレイゼも謝らなくて大丈夫、不安にさせてごめんな」

「ほ、本当か……?」

「本当だとも、こんな事で怒ってたらメルの結魂相手は務まらないからな。ただまぁ最近はマオもメルに影響されて無茶をするようになってきて困ってるんだけどな……はは……」

 

 何せメルの奴は結魂と同時に一千万円もの借金を被せてくる傑物である、金額の問題では無いがアレに比べれば祐介は大体の出来事に寛容になれる気がした。

 

「よ、よかったぁ……それなら私も席に戻るから、祐介……勝ってね!」

「任せとけって……っ!」

 

 席へと戻るレイゼの後ろ姿に祐介が掛けた言葉の語尾が弱まったのは、祐介が勝てば三万円が露と消えるからである。とはいえレイゼの進退が懸かった真剣勝負なのだから祐介に手を抜く気はさらさらなかった。

 

「おい猿、祐介といったか……貴様、自分が負ける方に賭けるなどと……正気か?」

「お前なぁ、隣に居たんだから話の流れを見てただろ!? 俺だって自分自身が勝つ方に賭けてーわ! でもレイゼとマオは別にしてもメルは話を聞かねーんだからしょうがないだろ!? あいつの機嫌を損ねると後で大変なんだよ!」

 

 前にメルが拗ねた時は延々と耳元で「ぶすぅー」と不満の声を聞かされる事があった、異種族との身体能力の差からなのか振り払う事も耳を塞ぐ事も出来ずに難儀したものである。祐介も苦労をしているのだ。

 そんな祐介を知ってか知らずかハムルはお決まりの高笑いの後に「しかし、逆によかったではないか」と口を開いた。

 

「……何がだよ、メルと暮らしていると色々と大変なんだぞ?」

「そのような事には興味を持っておらぬわ! いいか、貴様はどうせ惨めに負けるのだぞ、それならば負ける方に賭けた方が庶民の小遣い程度にはなるだろう? くくく……っ!」

 

 堪えきれないといった含み笑いがハムルから溢れるが、もし祐介が負ければ小遣いとして三万円が増えてもメルが受けた300口分──三人で貯めた30万円が吹き飛ばされてしまうのである。これは祐介としてはとても笑い事ではなかった。

 

「それだけ投資していてどっから自信が出てくるのやら……先に言った通り、俺は負けてやる気はないぜ?」

 

 祐介が細かにボーナスを引き続けて1000枚を超えようかといった反面ハムルは未だに投資を続けており、その額は一万円を超えていた。

 

「そうだな、しかし貴様の手の内は見えた。そろそろ全生命の支配者たる竜人の格というものを見せてやるか……っ!」

 

 その瞬間、ハムルに視線を向けていた祐介にゾワリと悪寒が走った。ハムルが何かをした訳では無い、しかし確かに纏っている空気が変わった……祐介はそう感じた。

 

「……くくく、そう恐れずとも貴様には何もせぬ。少なくともこの決闘の儀が終わるまではな……っ!」

「そうかい、それなら俺も伝えておくかな。ハムルよ、お前は俺に後一歩及ばずに負ける。だからそうビビって虚勢を張るなよ、余計に弱く見えるぜ?」

「……ほう、イウデハナイカ」

 

 祐介はピタリと手が止まった。ハムルの放つ敵意が祐介の動きを完全に止めたのだ。ぐっしょりと身体を濡らす冷や汗と背筋が凍る程の敵意である、それは一般的な人生を歩んできた祐介が凡そ体験したことが無い危機感となって祐介に衝撃を与えた。死ぬ、次の瞬間にはハムルによって自身の首が吹っ飛ばされても決して不自然ではない。それを直感で感じながらも祐介はハムルから視線を外しはしなかった、恐怖に駆られながらも逸らさないそれを敢えて言い表すのであれば、それが祐介なりの意地であった。

 

「……君は祐介ちゃんになーにをしようとしてるのかにゃ?」

 

 いつの間にか祐介の傍に立っていたメルが二人の間を遮るように割って入った。そしてまたマオも当たり前のように祐介の傍に立っていた、その目は若干の怒りを訴えているようである。

 

「ふんっ! 田舎者のエルフと穢らわしい淫魔に守られるなどと恥さらしもいいとこよなぁ! 貴様等が心配せずともこの猿は決闘が終わるまで生かしておいてやるわ、理解したならとっとと俺の目の前から失せろっ!」

「うるせー! 決闘が終わっても祐介は寿命までメルちゃんとパチンコを打つもんね! 祐介をやれるもんならやってみなーだ! ベーっ!」

 

 メルはあっかんべーとそこから去って行く、マオもそれについて行こうとするが去り際に「祐介さんは御心のままになさってください……何があろうと僕が必ずお守りします……」と祐介だけが聞こえる声で伝えていった。

 

「……さぁ、勝負再開と行こうか」

 

 幾分か柔和した緊張感の中で祐介はまた己の台と向き合った、それはハムルも同様であったがお互いの顔に笑みは無い。その真剣な表情が決着の時が近い事を知らせているようにも思えた。

 

(──しかし寿命までパチンコって……メルの奴、俺にあと何十年打たせる気なのかねぇ)

 

 何十年後かのパチンコはどうなっているのだろうか、祐介はその馬鹿げた話を少しだけ楽しみにしながらも先ずは目の前の台に集中する事にした。

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